八咫烏の声

神社の行事、社務などの日記です。

地鎮祭と装束の話

2013年06月04日 14時30分06秒 | 神職用具

こんにちはO出仕です。

本日は宮司と地鎮祭のご奉仕をして参りました。

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新たに株式会社大英産業さまがモデルルームを建てられる、この土地の神様をお招きしまして、この土地を祓い清め、お守りいただけるように御祈願いたしました。

天気にも恵まれ、無事に執りおさめることができました。

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日差しと風が強いなか、夏服の狩衣が効果を発揮してくれました。

平安時代の人々は、随分と暑さに悩まされたらしく、このような装束でも、実は暑さをしのぐための工夫が凝らされているのです。夏服に限らずです。

装束の袖口が広いのも、風を入れるためだといわれています。

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でも今の洋服と比べると暑そうに見えますよね。

やはり実際には暑いのですが、もし光源氏がTシャツや、半袖を着ていたとしたら興醒めでしょう。

このような装束は、王朝びとの美的センスと実用性を突き詰めたすえのデザインなのでしょうね。

装束だけでなく、王朝びとの美へのこだわりは、現代の私たちには計り知れないものがあります。今見ても驚くものばかりです。

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さてまた工事も進んでおります。

埋め立てた地に土がかぶせられ、見渡すととても広く感じます。

参拝者の方にはもうしばらく、不便を感じさせてしまうかもしれませんが、安全に進んでいってほしいと思います。


乾燥注意!

2012年11月13日 13時04分45秒 | 神職用具

午前中は生憎のお天気でした。

こんにちは。禰宜です。

本日は朝から雨・風・雷と非常に厄介な天候でした。

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しかしそんな天候にも関わらず、多くの七五三詣の御家族が来られました。

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祈願中に雷が「ゴロゴロ・・・」と鳴り出すたびに

「あ・・・子どもは泣いちゃうかな?」

と心配したのですが、杞憂に終わって一安心(笑)

結構大きめの雷鳴も鳴り響いたんですけどねー。良かった良かった。

さてさて。

11月も中盤に入ってだんだんと乾燥する時期になってまりました。

そんなわけで、祈願も一段落した午後から楽器のお手入れをしました。

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神社で使う楽器は竹製の物が多いのですが、このような楽器は乾燥を嫌います。

油断していると・・・・「ピキッ」とヒビが入ってしまう事もあるんです。

そんな乾燥を防ぐために取りだしたるは・・・

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椿油。

人によってはサラダ油や鼻の油でも良い・・・らしい。

とにかく油ならなんでも良い・・・のでしょうか?

まぁ、そんな疑問は置いておいて・・・とりあえず塗り塗りしましょう。

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塗ると御覧の如くテカります。

この状態の時はあまり口を付けたくないなぁ・・・。

しかしこれも乾燥防止のためです。我慢我慢。

これらの楽器は大切に扱えば数百年は保ちますから・・・大事にしないといけませんね。

禰宜


装束

2012年04月20日 13時06分21秒 | 神職用具

こんにちはK権禰宜です。

今日は朝から肌寒く春らしくない天気ですね。

さて、今日は神職の装束・斎服について。

斎服とは、冠・袍・単・差袴等の人揃えのことを言います。

神社本庁の『神職の祭祀服装に関する規程』では、この斎服を礼装と定めており(他に正装と常装がある)、中祭(歳旦祭、元始祭、紀元祭など)のおりに用いることとされています。

また、神葬祭の時に着たりもします。

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私はこの斎服の着装が苦手なのですが・・・衣紋の練習ということで、I権禰宜に着付けをします。

なんというか・・・折りたたんは紐で留めていくような感じです。

んー、こうだったような・・・と考えながらも完了。

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なかなか上手くできませんが、これもひとつの勉強ですね。


神職道具 ~浅沓~

2010年04月27日 13時30分49秒 | 神職用具

朝は結構な雨だったんですけどね。午前中の内にお天気になったみたいです。こんにちはI権禰宜です。

さて今日は不定期で続けている神職道具紹介です。

今回ご紹介するのは・・・

「クツ」

です。

正式には「浅沓(あさぐつ)」ですね。

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こんなのです。

我々神職が普段履く履物は雪駄(草履)ですが、今回ご紹介する「浅沓」は祭典で使用する履物です。

どうです?黒くてのっぺりとした感じが「なんともいえない重厚感」を醸し出していませんか?

神社によっては通常の御祈願もこの浅沓を履いてご奉仕する場合もありますが、ここ岡田宮では主に例祭など特別な祭典で使用します。

この浅沓。材質は木で、所謂「木靴」です。それ故に、浅沓を履いて歩きますと「カッポ、カッポ」と味のある音を響かせてくれます。また数人から数十人の神職がこの浅沓を履いて並んで参進いたしますと、それはそれは厳かな「靴音」が境内中に響き、なにやら神聖な気持ちになります。

なかなか数十人規模の参進を見る機会は少ないかと思われますが、伊勢神宮など超規模な神社で見る機会があれば、どうぞ目を閉じて耳を澄ましてみてくださいね。

I権禰宜


神職道具 ~狩衣~

2010年03月30日 12時28分00秒 | 神職用具

肌寒さは残るものの、春の空気は気持ちが良いですよね。こんにちわI権禰宜です。

さて本日は神職道具のご紹介。

今回は

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狩衣(かりぎぬ) です。

普通、『神主さんの装束』といったらこの装束を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。

この狩衣。その名の如く、もともとは平安朝の頃に貴族・官人の狩猟服装で、他の装束と比べると機動性が高く、また着脱も容易なことから広く愛用され、やがて貴族等の普段着として定着しました。

普段着ですから着る機会も多く、現在私たちが『お公家さんの装束』をイメージした時、神職の時と同じくこの装束を思い浮かべるのはこの為です。但し、あくまでの普段着ですのでこの装束で天子様の大前に参ずることは一切不可でした(というよりも禁中にすら入れませんでした)。まぁ・・・やっぱりいくら動きやすくても普段着じゃ駄目ですよね・・・

やがて時代を経ると、公家の普段着だけではなく上級武家の普段着としても用いられてきます。大河ドラマなどでよく上級武士である源家将軍や足利将軍などが着用していますよね。彼ら将軍様は武士といっても単なる武士でなく武家貴族だからです。

ちなみに、狩衣と構造が似た装束は他にもたくさんあります。最も格式の高い装束である束帯(そくたい)や、狩衣よりは格式が高い直衣(のうし)庶民なども着用する水干(すいかん)などがそれです。これらは大体(水干は少し異なりますが)が襟元を蜻蛉という留め部位に引っかけて上下を合わせて着用する形態です。

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写真で見るとこの部分です。

恐らく奈良時代からの漢服の影響なのでしょうが、これが明治時代まで朝廷の正式な服制として続いた所を見ると、この「襟元で引っかけて着る」という方法はとても息の長いファッションですよね(よほど着やすかったのか、他に考えなかったのかは不明です)。

そんなに繁栄した装束も現在まで制服として主に使用しているのは神職ぐらいです。どうぞ神社で御祈願の際は、1000年(奈良時代さらに中国王朝時代を合わせるともっとですが)以上の歴史を誇る着用方法・襟元で引っかけて着る」装束を御覧下さいませ(笑)

I権禰宜