八咫烏の声

神社の行事、社務などの日記です。

覆水盆に返らず

2012年05月29日 12時50分57秒 | ことわざうんちく

今日から私も私服は半袖にしましたよ。

こんにちは。I権禰宜です。

さぁて今回も誰も待ち望まない「ことわざうんちく」をやってしまいましょう。

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『覆水盆に返らず』


昔々・・・殷の時代。東海に呂望という人物がおりました。

呂望は若いころから本ばかり読み、さらにたまに外出したかと思うと釣りばかりする様な男でした。こんな有様が続いたものですから、ついに彼の妻は愛想を尽かして彼の元から去っていてしまいます。
しかしマイペースな呂望はそんな事は些細な事と言わんばかりに、これまでどおりの生活を続けるのでした。

ある日の事、呂望がいつものように釣りをしていると、人品卑しからぬ人物が話かけてきました。

そう・・・「釣れますか」と。

話してみるとこの貴人は世に名士として名高い西伯(西方総督)・姫昌でした。

当時、殷は紂王という王が治めていました。

紂王は英邁な気質を持ち、また勇敢な性格の王でしたが、それ故に己の才に驕り、自分に意見する者は片っ端から処刑するような暴君となってしまいました。このため臣下は紂王の怒りを恐れて誰も意見するようにならなくなり、国の政治は大いに滞り人々の不平不満は日に日に高まっていったのでした。

紂王の下で大臣を務めた経験もある姫昌はこのような国の状況を憂い、広く優れた人材を欲していました。「怠け者」の呂望が姫昌と会ったのはまさにそんな時です。

呂望は姫昌と話をすると、不満が溢れる国の状況・・・そして姫昌自身がどの様に動くべきかを的確に助言します。

これを聞いた姫昌は大変喜び、

姫昌:「私の祖父・太公は『何れ天下の賢者が我が家を栄えさせるに違いない』とかねてより仰っられた。呂望殿、まさしく貴殿は太公んだ者に相違あるまい!」

・・・と言って呂望を大将軍に任じて、来たるべきに備えたのでした。

やがて姫昌は病没してしまいますが、呂望は姫昌の跡を継いだ息子の姫発を補佐して殷軍を牧野の戦いで撃破。さらに都・朝歌に攻め上がり殷を滅ぼし、新たな王朝・周を建国します。

周王朝成立後、新たな国王となった姫発は、建国の元勲である呂望にの国を与えてその功績に報いました。

この呂望の栄達を聞きつけたのが、かつての愛想を尽かして出て行った彼の妻。

彼女は斉の君主となった呂望の前に跪き、復縁を乞います。

呂望はそれを黙って見ていると、おもむろに傍にあった盆(器)を手に取ると中に入っていた水を地面にこぼしてこう言いました。

呂望:「いま地面にこぼした水を元の通り、盆に戻せたのなら貴女の願いを聞き届けよう」

これを聞いた元妻は必至に地面をすくいますが・・・元に戻せるはずも無く・・・。

呂望:「一度地にこぼしてしまった水を元に戻す事は出来ない。それと同じく一度別れた夫婦が元に戻る事は出来ないんだよ」

こうして元妻の申し出を断った呂望。その後は血縁関係に拘らずに能力主義で斉を治め、死して太公の諡を贈られる事になります。

そう、このお話は斉の初代君主・太公のお話です。

さてさて・・・一度起こってしまった事は元には戻せない・・・という意味で使われる『覆水盆に返らず』ですが、元に戻したい当人にとってはなかなか厳しい諺かもしれませんね。

まぁしかし元に戻せない事を嘆いても仕方ありません。

さっさと新しい水を汲んだ方がずっと建設的ですね。

もしくは最初から覆水させないようにするかのどちらか。

私も気をつけましょ。

I権禰宜


刎頸の交わり

2012年05月08日 13時53分25秒 | ことわざうんちく

本日は汗ばむぐらいの陽気です。

・・・これからどんどん蒸し暑くなってくると思うと・・・憂鬱です(汗)

こんにちはI権禰宜です。

さて本日は以前ご紹介した「完璧」の故事の続編・・・

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『刎頸の交わり』


~前回までのあらすじ~



野心溢れる秦の昭王は、趙の国宝「和氏の璧」をその手中に収めるべく15の城(小国の領地に相当する土地)との交換を持ちかける・・・。

しかしそれを偽りの条件と見た趙の使者・藺相如怒髪天を衝く勢いでこれを阻止。

決死の藺相如に感心した昭王も「和氏の璧」を諦め、ここに藺相如は見事璧を完うしたのであった・・・。

・・・しかしこれで事は終わらなかったのである!


趙の恵文王:「よくぞ戻った藺相如よ。その方のお陰で我が国の宝は守られたぞ」

藺相如:「私ごときに畏れ多いお言葉でございます」

恵文王:「いや一介の食客にしておくには勿体無い。そなたを正式に趙の臣としよう」


こうして藺相如は正式に趙の家臣として迎えられたのでした。

しかしやがて趙を再び危機が襲います。


秦の使者:「趙王様、我が大王が申すには、両国の末永い友好を願って、黽池(べんち 秦の国内)の地で宴を催したいとの事でございます。ぜひとも御出席くださいませ」

恵文王:「・・・相分かった。家臣と諮る故、暫し待たれよ」

藺相如:「大王様、秦が黽池にて会見を願ってきたとか」

恵文王:「うむ。だが余は行かぬぞ」

藺相如:「・・・」

恵文王:「考えてもみよ。相手はあの油断のならぬ秦王。しかも黽池は既に奴らの領内じゃ。これではまるで己から死にに行く様なものだ」


そこへ趙が誇る名将の一人・廉頗(れんぱ)が参内します。


廉頗:「大王様」

恵文王:「おお、廉将軍」

廉頗:「お話は聞かせて頂きました。この会見は行わなければなりません」

恵文王:「会見を行う!?馬鹿を申すな!その方は余に自ら死地に飛びこめと申すのか!?」

廉頗:「畏れながら申し上げます。大王様の申す通り、成程これは秦の罠の可能性が高うございます」

恵文王:「ではなぜそのような事を申すのだ!」

廉頗:「秦との会見を断れば、天下はどのような目で我が国を見ましょうか?きっと秦に恐れを為して会見を断ったと見られるに違いありません。これでは益々秦をつけ上がらせる事となりましょう」

恵文王:「・・・だからと申して・・・!」

藺相如:「大王様、私めも廉将軍の御意見に賛成でございます」

恵文王:「おお・・・藺相如、お前もか・・・!」

藺相如:「これ以上秦を増長させれば次々と難癖をつけてくるでしょう。私も大王様のお供いたします。どうかご決断を」

恵文王:「・・・分かった。良きに計らえ・・・」


こうして恵文王は秦との会見の地・黽池へと向かうことになります。


恵文王:「・・・では行って参る」

廉頗:「それでは大王様。もし大王様が30日で趙へ御戻りにならなければ、秦に御身が害されたとみなし、王太子を王位に就けてその仇を報じたいと思います」

恵文王:「う・・・む・・・」

廉頗:「藺相如よ。大王様を宜しく頼むぞ」

藺相如:「ははっ。かしこまりました」


このような悲愴な覚悟の趙王一行は一路黽池へと赴きます。


秦の昭王:「おお!趙王よ、よくぞ我が秦国へ参られた!」

恵文王:「・・・この度はお招き頂き御礼を申し上げる・・・」

昭王:「ははは!何を申される。我らは元は同族ではないか。堅苦しい事は無しじゃ!」

恵文王:「はい・・・」


予想通り、会見で威圧感を前面に押し出す秦に対し、趙王は針の筵に座る思い。友好の宴(建前)は秦のペースで進んで行きます。


昭王:「いやいや・・・御貴殿の父君(武霊王)には余が即位をする際に大層力添えを頂いてのう・・・。これからも趙とは仲良うしていきたいものじゃ!」

恵文王:「は、はあ・・・」

昭王:「そうじゃ!御貴殿は琴の名手と聞いておる。どうじゃな?両国の友好の為に一曲弾いてはくれまいか?」

藺相如:「!!」

昭王:「今日は友好の宴じゃ。まさか興を醒ますような事は申されまい・・・のう?」

恵文王:「あ・・・いや・・・。う・・・よ、よろしゅうござる」


昭王に促されるままに恵文王は琴で一曲弾きます。


昭王:「はっはっは!流石趙王。見事な腕前じゃ!・・・記録官!!」

秦の記録官:「ははっ」

昭王:「今、趙王が余の為に披露した見事な腕前しかと記録せよ!」

記録官:「仰せのままに」


実はこれ、恵文王に琴を弾かせることによって趙を侮り、趙を秦の家来扱いしているのです。

口惜しい気持ちの恵文王と趙の臣下一同でしたが、ここで敢然と立ちあがったのが、誰あろう藺相如です。


藺相如:「秦王様!」

昭王:「・・・?おお、そなたはいつぞやの・・・そう!藺相如ではないか」

藺相如:「この秦の国では祝いの席で皿を弾いて歌うと聞いております!我が王も秦王様のために一曲奏じましたので、ぜひ秦王様にも我が王の為に皿を弾いて歌って頂きたい!!」

昭王:「な・・・何じゃと!?」


皿を弾いて歌うという行為は、秦が中央から遠い地・・・つまり田舎である事の名残でした。藺相如は恵文王の恥を雪ぐため、昭王に田舎の風習をやれと言ったのです。


昭王:「ぶ、無礼であろう!」


秦の兵士がざっと前に進み出ますが、藺相如はこう言い放ちます。


藺相如:「お静まりを!拙者と秦王様の距離は僅か5歩。これがどういう意味かお分かりですかな!?」

昭王:「ぐ・・・」

藺相如:「さぁ秦王様!この皿を御使い下さい!!」

昭王:「・・・・・・くっ」


ついに昭王は皿を手に持つと「チーン」と1度叩きます。


藺相如:「記録官!!!」

記録官:「は・・・はい!」

藺相如:「趙王様が秦王様に皿を叩かせたと、よおーく書き残しておくのだ!!」


その後も・・・


秦の家臣:「趙王様、我が王の長寿を祝われて趙国の15城を献上されてはいかがかな?」

恵文王:「あ、いや・・・その」

藺相如:「貴国こそ我が王の長寿を祝われて秦の都を献上(咸陽)されてはどうか?」

秦の家臣:「え・・・」

昭王:「愚か者め。余計な事を申すな。・・・趙王よ・・・失礼した」


ついに秦は趙を臣下扱いできぬまま宴を終える事となりました。


趙へ帰国後・・・

恵文王:「藺相如よ・・・。そなたのお蔭で、余や趙国の面目は保たれた。心より礼を申すぞ。この度の働きによって、その方を大臣に任命しよう」

藺相如:「過分なるお取り立てでございます。この御恩に報いるため尚一層励む所存でございます」


しかし・・・


藺相如の大臣就任を喜ばぬ人物がいました。

だれあろう趙の名将・廉頗将軍です。


廉頗:「おもしろくない。なぜあのような者が大臣などになるのじゃ。わしは数十年、軍を率いてこの趙を守ってきた。しかし奴は口先だけで成り上がっただけではないか!見ていろ!今度藺相如に会う事があれば・・・わしは奴を散々に辱めてやるぞ!」


今まで自分が趙を守ってきたという自負があったのでしょう。誰かれ構わずこのような事を言う始末でした。

これが巡り巡って藺相如の耳にも入って来ました。


藺相如:「そうか・・・。将軍がそのような事を」


この後、藺相如は出来るだけ廉頗と顔を合わせないように心がけるようになりました。

ところがある日、藺相如は偶然街中で廉頗を見かけます。藺相如は慌てて物陰に隠れ、廉頗が通り過ぎるのを待ち、居なくなったのを確認してから再び表に出る様な行動をとります。

このあまりにも卑屈な行為に藺相如の従者は憤り、この日の夜、従者は揃って藺相如に暇を乞います。


従者:「御主人様。本日の行為はあまりにも卑屈すぎます。我々は貴方様の徳を慕って仕えてきましたが、最早我慢の限界です。どうぞお暇を下さいませ」

藺相如:「・・・。お前たちは秦王と廉頗将軍。どちらが恐ろしいか?」

従者:「・・・?それは勿論秦王ですが・・・」

藺相如:「私はその秦王を2度に渡ってやりこめた。その私がどうして廉頗将軍を恐れようか。しかし今この趙の国が保っているのは私と廉頗将軍がいるからだ。些細な事で私と将軍が争い、秦に付け入る隙を与えてしまってはどうしようか」

従者:「!!!御主人様のお志・・・よく理解いたしました。我々が浅慮でございました。何卒これからもお傍にお仕えさせてください」


数日後・・・


従者:「御主人様、・・・その・・・廉頗将軍がお会いしたいと申しておりますが」

藺相如:「いや。会わぬ方が良いだろう」

従者:「いえ・・・実は既に将軍は屋敷へ来られているのです」

藺相如:「なんと!この屋敷に来られているのか。それでは会わぬわけにはいくまい。よし。将軍にお会いしよう」


早速藺相如は応接間に行くと、そこには裸で跪く廉頗の姿が。


藺相如:「!?これは将軍・・・一体そのお姿はどうされたのです!?」

廉頗:「藺相如殿・・・お話は全て聞かせて戴きました・・・。この愚か者は貴殿の深遠にして寛大なる御心を計ることが出来ず・・・まさに穴があれば入りたい気持ちで一杯です・・・。拙者がこれまで貴殿に与えた侮辱を考えれば、到底足りるとは考えられませんが・・・どうか貴殿の御心が晴れるまでこの棘の鞭で拙者を打って頂きく存じます」

藺相如:「将軍、何を仰られますか。許すも何も、この趙国が本日まで保って来られたのは将軍の武略によるものでござる。さぁ・・・お着物をお召し下され」

廉頗:「かたじけない・・・藺相如殿。貴殿は正に大人物だ。拙者は貴殿の為に頸(くび)を刎(は)ねられても悔いは無い!

藺相如:「将軍、それは拙者も同じ気持ちでござる。拙者も将軍の為なら喜んで頸を刎ねられましょう!!


・・・こうして絆を深めた藺相如と廉頗。2人が健在の間はさしもの超大国・秦も趙を平らげることが出来ませんでした。


以後、頸を刎ねられても構わない程の間柄を刎頸の交わり・刎頸の友と呼ぶようになります。


・・・なんか今日のうんちく・・・長かったですね。


さて!

皆さんに頸を刎ねられても構わない様な友達はいますか!?

居ない人は・・・いつか見つかれば良いですね!


ちなみに私も刎頸の友を絶賛募集中です!(笑)


I権禰宜


完璧

2012年04月10日 06時48分43秒 | ことわざうんちく

桜がどんどん散ってきて物悲しいですね。

こんにちは。早くも来年の春が待ち遠しいI権禰宜です。

さて。本日は「このことわざを教えて~」・・・とのリクエストがありましたので、それについてご紹介しましょう。

『刎頚の交わり』

・・・をリクエストされたのですが、この故事を知るにはもう一つの故事を知っておいたほうがよいので、今回はこれにしましょう。

『完璧』

昔々・・・戦国時代の趙の国に藺相如(りんしょうじょ 生没年不詳)という人物がおりました。

藺相如は趙の王(恵文王)に仕える宦官の食客となっていましたが、ある日西の超大国・秦から趙の王城に使者がやってきました。

その使者が言うには・・・

秦の使者:「我が大王(昭王)が申すには、趙の陛下秘蔵の宝玉『和氏の璧』と、秦にある15城(小さい国に相当する程の領地)を交換したいと言う事です」

恵文王:「むむむ。なにぶん急なことなので臣下の者と相談したいので時間をいただけまいか」

こうして趙の宮廷では、秦の申し出を受けるか否かの議論が交わされます。

家臣A:「『和氏の璧』は天下の名宝とはいえ15城もの領地との交換なら悪くないのではないか?」

家臣B:「いやいや秦は強国。おとなしく15城を交換するとは限らないぞ」

家臣C:「まさか。秦と趙はもとは同族。そこまでの非礼はすまい」

家臣D:「今の秦王は油断のならない人物と聞く。そう簡単に事が運ぶかどうか・・・」

このように長時間議論が重ねられましたが、なかなか結論がでません。

そんな中、藺相如の主人である宦官が王に進言します。

宦官:「陛下。私めの食客に藺相如と申す者がおります。彼は知勇が備わった人物でありますので、ぜひかの者にお任せください」

恵文王:「おう。そのような者がおったのか。ではその者に任せてみよう」

こうして藺相如は趙の使者として天下の名宝「和氏の璧」を携え秦の都・咸陽に向かったのでした。

咸陽で秦の王・昭王と謁見した藺相如は「和氏の璧」を王に献上します。

藺相如:「秦王様。これが我が趙国の秘宝『和氏の璧』でございます」

昭王:「ほほう!これが天下に名高い『和氏の璧』であるか!なるほど見事なものであるの。ほれ、そなた達も見てみよ。これが趙が秦に恐れをなして献上してきた『和氏の璧』じゃ!」

王は側近や愛妾に「和氏の璧」を見せぶらかせるばかりで、15の城を渡すという話を一向にしてきません。

藺相如:「(なるほど・・・。これは15城を趙に渡すつもりは無いということか・・・)」

そこで藺相如は昭王の前に進み出てこう言います。

藺相如:「秦王様。実はこの『和氏の璧』には小さな瑕があります」

昭王:「む?瑕とな。どこにあるのじゃ?」

・・・と昭王が璧を藺相如に渡すないなや、藺相如は宮殿の柱の前に立ってこう叫びます。

藺相如:「この『和氏の璧』は趙の国宝!ゆえに趙の重臣達の中には秦を疑う意見も多かったのだが、我が趙王は秦を信じて潔斎をされてまでこの璧を私に託したのだ!!」

藺相如:「しかし今の秦王の振る舞いを見ると、側近や愛妾に見せるばかりで15の城の話を出す気配も無い!これはあまりにも非礼ではないか!この上はこの璧を叩き割り、私もこの柱に頭をぶつけて死んでくれよう!!」

あまりの藺相如の形相に驚いた昭王は、大急ぎで地図を持ってこさせ具体的な15城の領地を示しました。しかし藺相如はそれが本気では無いということを感じると、昭王に恵文王と同じく潔斎を求め、昭王はこれを渋々了承します。

そして数日後、潔斎が明けた昭王に対して藺相如はこう言いました。

藺相如:「恐れながら秦は油断のならない国。代々の王が約束を守ったという話は聞きません。このため璧は既に趙へ持ち帰らせました。というわけで璧と15城の話は無かった事にしていただきたく存じます」

昭王:「こやつ!!!余を騙したということか!!」

藺相如:「・・・無礼は重々承知しております。おとなしくお裁きをお受けいたします」

昭王:「・・・・ふむ。(堂々とした態度。殺すには惜しい者だな)」

昭王:「藺相如!よくぞ『和氏の璧』を守り通した!趙への帰国を許す!」

こうして藺相如は趙へ帰国することが出来、かつ璧を完うすることが出来たのでした。

知恵と胆力で強国と渡り合った藺相如は大したものですね。

ただ私は昭王の度量の大きさも大したものだと思います。

さぁ!次回(いつになるかわかりませんが)は刎頚の交わりについてお話しましょう!

I権禰宜


推敲

2012年03月07日 14時21分34秒 | ことわざうんちく

昨日に続き穏やかな一日です。

こんにちはI権禰宜です。

さて、本日もO権禰宜とK出仕は研修に行っておりますので、私は社務所でポツン。

・・・しゅん。

さぁ!気を取り直して今日はことわざうんちく。

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『推敲』

昔々・・・唐の時代。田舎から官吏登用試験を受験しに帝都へ出てきていた賈島(779~843)という人物がおりました。

この賈島。学才は確かなのですが、一度物事を考え始めると周りが見えなくなる性質であったらしく、ある日ロバに跨って都大路を進んでいるうちに『李凝の幽居に題す』として、詩作に夢中になってしまいました。

賈:「閑居隣並少なく・・・」

賈:「草径荒園に入る・・・」

賈:「鳥は宿る池中の樹・・・」

賈:「僧は推す月下の門・・・いや、僧は敲く月下の門・・・」

賈:「・・・いやいや・・・推す・・・まてまて・・・敲く・・・」

賈:「推す・・・敲く・・・」

田舎者がロバに跨り何かブツブツ言いながら都大路を進む・・・。

長安の人々にはさぞかし奇異に感じられた事でしょう。

こうして賈島は詩作に耽るあまりフラフラと行くあてもなく道を進んでいました。

が、

運悪く、前方から高官らしき一行がやってきます。

もちろん賈島は気付きません。夢中になりすぎです。

そして当然のように高官の列にぶつかってしまう賈島でした。

従者A:「無礼者!京兆尹(都知事)様と知っての狼藉か!」

従者B:「見るからにあやしい奴め!牢にぶち込んでくれる!」

賈:「ひええ!お許しください!京兆様御一行とは露知らず!」

そこへ騒ぎを見た京兆尹の韓愈(768~824)が進み出ます。

韓:「これこれ、これは何の騒ぎかね?」

従者A:「申し訳ありません、京兆尹様。狼藉者がおりましたゆえ」

従者B:「すぐにひっ捕らえますので、暫しお待ちを」

賈:「お・・・お許しを」

韓:「ふむ。一体どうしたという訳なのだね?」

賈:「じ、実は・・・」

賈島はこれまでの経緯を話します。

これに韓愈は暫し思案した後に、

韓:「それは君、『敲く』の方がよろしい」

賈:「おお!左様に思われますか!」

・・・と、二人は仲良く詩について論じ合います。

これが縁で賈島と韓愈は親しくなり、やがて二人は詩友となったのでした。

以上が何度も文を練る・・・という意味の「推敲」の由来です。

賈島さん、ぶつかったのが理解ある人で良かったですね。

世の中は誰しも韓愈のような人ばかりではありませんから。

そういった意味では『よそ見をせずに周りには充分気を付けなければいけない』とも取れることわざです(笑)

ちなみに私はブログはあまり推敲を重ねていません(汗)

反省。

I権禰宜


画餅

2012年01月28日 15時10分39秒 | ことわざうんちく

寒さが続きます。

・・・辛いです。

こんにちはI権禰宜です。

今日も朝から厄除祈願がたくさんありました。

さて今日もことわざうんちくです。

本日は日本人が大好きな三国志の時代のお話。

『画餅』

昔々・・・大陸は魏・呉・蜀(漢)の三国に分裂し、互いに天下を競い合う時代でした。そんな中、三国中最大の勢力を誇る魏の明帝は分裂した大陸統一するために、広く有能な人材を求めていました。

そこで明帝は家臣の廬毓を呼び出してこう言いました。

明帝「我が魏国が天下を統一するには君のような有能な人材が必要だ。そこでそんな有能な君に広く人材を集めてもらおうと思う。だが人材を発掘する際には世間の名声だけで選んではいけないぞ。世間の名声というものは実にあてにならない。食べようにも食べられない、そう、画に描いた餅の様なものだ

・・・なるほど。道理ですね。

世の中の評判に惑わされず人物の本質を見極めないといけませんね。

I権禰宜