八咫烏の声

神社の行事、社務などの日記です。

端午の節句

2010年05月05日 14時27分54秒 | 日本の風習

甍の波と雲の波 重なる波の中空を 橘かおる朝風に 高く泳ぐや 鯉のぼり~♪

Wanpaku_deka

端午の節句、こどもの日ですね。お子様方の健やかな成長をお祈りいたしております。こんにちわI権禰宜です。

さて、冒頭の歌は皆さんご存知の唱歌「鯉のぼり」ですが、最近はすっかりこいのぼりを見かけなくなりましたね。

私が子供の頃は隣近所の家々でこいのぼりが高く泳いでいた風景が見られたのですが、近年は住宅事情の関係か、はたまた少子化の影響か、こいのぼりが泳ぐ姿は少なくなってきています。仕方のない事なのでしょうが、日本の風習が段々見られなくなっていくのは少し寂しいものですね。

この端午の節句。起源は中国で、「屍に鞭打つ」の故事で有名な春秋時代の呉の将軍で、最期は主君より死を命じられた伍員(伍子胥)を供養するために始められたとか、または同じく中国の戦国時代の楚の重臣で、滅びゆく祖国に絶望して汨羅に身を投げた屈正(屈原)を供養するためだとか、様々な説があります。このように当初は非業の死を迎えた人物を供養する=邪気を払うという習慣で、現在見られる「男児の節句」という認識はありませんでした。中国ではこの日菖蒲を飾って邪気を追い払う行事が行われたといいます。

奈良時代以降、日本にも端午の節句の習慣が伝わると、宮中では端午の節句の日に菖蒲を髪飾りにして出仕する風習が生まれ、やがて鎌倉時代に武士が政権を担うようになると、「菖蒲=尚武」というようになり、この頃から端午の節句は「男児の節句」となった様です。また現在の様にこいのぼりを立て、鎧兜や五月人形を飾る様な形になったのは江戸時代になってからといわれます。

鎧兜は子供の健康を願い、こいのぼりは子供の立身出世を願う。

五月飾りはそんな思いが込められているといいます。

子供が健康で立派な人物に育ってほしい・・・親が願う事は何時の時代も変わりません。

I権禰宜