新米ペアレントの営業日誌・営業中

2005年3月1日に秋田県大仙市にオープンした大曲ユースホステルのペアレント(経営者)が日々の出来事を送ります。

観光客向けの横手やきそば

2024-03-02 23:01:44 | 食文化

御存じの通り、この1月から横手やきそばをお勉強するため、横手市を中心に焼きそばの食べ歩きを行ってきました。横手市にある焼きそば提供店はかなり廻れた感がありますが、肝心の観光客に勧められる焼きそば店は?という点では、横手だと当YHから近すぎて、少し手駒が足りない感じもしています。

先日お客様の情報で出端屋の田沢湖スキー場店を訪問してきましたが、他にも観光地で観光客向けに少しは名前を知られた「横手やきそば」を提供しているところがありそうです。探していたら、秋田空港の食堂で提供しているとのこと。更に秋田駅の店にもあると云うことがわかり、少ししたらそちらにも足を延ばしてみようと計画中です。

観光地ではよく、「名物に旨いものなし」と云われてしまいます。大体そうしたものは本場以外の観光地で知名度だけで観光客に売ろうとするもので、どうせ観光客は2度は来ないのだからと、値段も高く、味も怪しげなものが多いため、そういわれるようです。提供している店にしてみれば、商売だから!ということもあるのでしょうが、本場横手市では、少し違うからとか、暖簾会に入っていないからという理由で横手やきそばを名乗らない(名乗れない)店もあるほど気を使っている状態ですので、離れた観光地での横手焼きそばもちゃんと見てみる必要がありそうです。

そもそも本場横手市でも、B-1グランプリ優勝から10年以上が経過し、横手やきそばのネームバリューも薄れ始め、追い打ちをかけるような新型コロナ流行による外食の抑制が数年続き、閉店した店も見られるほどで、離れた観光地でもブームの時に比べて横手やきそばの提供も少なくなっているようですが。

時々のち

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横手やきそば食べ歩き ㉞出端屋・田沢湖スキー場店

2024-02-29 23:53:53 | 食文化

今朝、お客様の出発を見送り、税務署に出動。提出だけなので順番待ちもなく、あっという間に終了。これで年に一度の大仕事は終わりましたので、その足で、田沢湖のスキー場までドライブ。

先日のお客様が、スキー場のレストハウスで横手やきそばが出ているとの話で、調べてみたら、横手やきそばで四天王を何度も受賞した出端屋が出ているとのこと。明日から雪になるとの予報もあるので、雪道を避けるには今日がラストチャンス。大曲から1時間ちょっと。ゲレンデ下のレストハウス前の駐車場も空きがありました。

秋田ふるさと村の支店の横手やきそばは650円でしたが、こちらの横手やきそばは850円と、ちょっとゲレンデ価格。屋台風に目の前で炒めてくれるので、その間少し話聞いたら、ここには14-5年前から出ているとのこと。昨年秋に移転した本店でも夜には焼そばを出しているとの話で、改めてそちらにも行く必要がありそうです。

広めの座席部は、平日ということもあり、半分ほど空きがありましたので、適当に座っていただけました。イベントとか週末にはここも一杯になることでしょ。味は出端屋的に少し塩味が効いていて、追いソースは不要。半熟の目玉焼きの黄身と混ぜるとちょうどいい感じになります。

一応、食後にゲレンデに出てみましたが、普段着の人は珍しく、違和感を自分でも感じましたので、早々に撤収。

帰路、田沢湖湖畔で2軒目を狙いましたが、臨時休業の張り紙。おとなしくそのまま帰宅となりました。

一時

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横手やきそば食べ歩き ㉝れんげ草

2024-02-27 23:44:27 | 食文化

昨日は温泉に入ったえがおの丘の食堂、れんげ草(googleMAP口コミ11)にてお目当ての焼そばにありつきました。こちらは以前は横手やきそば暖簾会に入っていましたが、近年は脱会したようで、そのため、提供する焼きそばは「横手やきそば」ではなく、「雄物川焼きそば」となっています。普通盛550円。午後1時を廻っていましたので、席も空いており、10分もせずに到着。見た目は目玉焼き、ひき肉、福神漬けと横手やきそばそのもの。

かつて横手市にある公共の温泉施設には食堂があり、ほぼ全てで横手やきそばが提供されていましたが、温泉施設自体赤字がほとんどで、食堂も経営は厳しく、残った食堂はここだけになっています。

市内の公共の温泉施設には観光客はほとんど来ない状態。地元の人がわざわざ横手名物をお金を払って食べることも少なく、暖簾会に会費を払ってまで横手焼そばを提供する必要が少ないのかと。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横手焼きそば食べ歩き ㉛シェーシェー、㉜赤いピーマン

2024-02-23 23:40:06 | 食文化

本日は祝日ですが、このところ空振りが多かったので、あえて人の出る祝日に、混んでなさそうな店を選んで出動。

まずは、横手市増田の蔵通りにあるファミリーレストラン(??)シェーシェー(食べログ口コミ数8)。駐車場は商工会の駐車場を利用。横手やきそば暖簾会未加盟ですが、堂々と横手やきそばの張り紙あり。メニューのトップも横手やきそばと、観光客が多い増田町ならでは?!横手やきそば並盛(500円)。安くて助かりますが、食べてみると、出汁感が少し薄いかな?

久々に更に名前入りで、昔は街の貴重な中華料理店だったのでしょう。店内で大判焼きを売っていたり、夏はかき氷などもやっているようで、古株の店のようですが、まるで昔の駄菓子屋の延長線。それでも地元では貴重な食堂なのでしょう。

2軒目は、十文字に戻り、スーパーラッキーのフードコートにある赤いピーマン(食べログ掲載なし)。隣に林泉堂が出ていますが、そちらとは住み分けをしているようでした。焼きそばメインの店で、注文した肉玉子焼きそば(520円)の他、コーンやベーコンが入った焼きそばなどもあり。

来た焼きそばは福神漬付きで見た目は横手やきそば。ただ麺がボソボソで、半熟玉子を早めに混ぜ、追いソースも早々に出動となりました。フードコートの店と云っても、元々焼きそばは駄菓子屋や屋台で売られていたもの。貴重な提供店です。スーパーの総菜コーナーにもここの焼きそばが出ていましたが、総菜なのに追いソース付きで売られていました。豚バラ焼き3枚トッピングでこの値段なら。。。

ということで、本日は久しぶりに2軒はしごして終了。これで37杯目となりました。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横手焼きそば食べ歩き 番外⑤六郷ドライブイン

2024-02-21 23:20:59 | 食文化

週初から税金の申告書類の作成に着手し、少しは目途が付いてきたので、今日は作業の合間に気分転換と昼食を兼ねて近場で、焼きそば食べ歩きを再開。

当YHから最も近い美郷町六郷の国道13号沿いにある六郷ドライブイン(googkeMAP264)。ジャンボ豚カツが売りの店で、定食類やラーメンなどメニューは豊富。その中から選んだ肉玉焼きそば(730円)は、至って普通の焼きそば。紅ショウガが添えてあり、「横手やきそば」の文化はここまで来なかったようです。

さて、昼過ぎから久しぶりの降雪。例年、この時期に最後の大雪になることが多く、今回それか?と少しは覚悟していました。夜中には10cmほどの積雪になり、明日は玄関前を1か月以上ぶりに雪寄せする必要がありそうです。

のち

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横手焼きそば食べ歩き 番外④味楽食堂

2024-02-16 23:35:28 | 食文化

今日は横手はかまくら祭り中のため、地元大曲で数少ない焼きそば提供店の「味楽食堂」に、掃除を終えて出陣。前回は駐車場満車だったのですが、今日は車もありませんでした。店に入ると他には客はなく、カウンターに。注文は焼きそば(750円)。他に目玉焼きそば、五目焼きそばとありました。

カウンター越しに調理を眺めていましたが、焼きそばと云っても、最初にラーメンを茹でる鍋に投入、1分ほどで引き上げて、冷水にさらして、中華鍋にと、ただ単に炒めるだけではないのですね。

来た焼きそばには、トッピングに錦糸卵が載り、紅ショウガとなぜかキクラゲが左右に鎮座。細縮れ麺で味は濃くなく、横手やきそばより油っ気を感じました。それでもさっぱりで、美味しく頂きました。スープが付いてきましたが、塩味のサッパリスープ。今度はラーメンを食べに来てみたいです。

食べている途中で、パラパラと客が来て、中には食べるのの他に持ち帰りも注文する状態。もちろん観光客などは見られず地元の人。こうした食堂自体、街に少なくなってしまいました。

のち一時

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横手やきそば食べ歩き ㉚味一番

2024-02-14 23:02:37 | 食文化

明日から横手でかまくら祭りが始まりますが、本日横手の積雪が0cmになってしまいました。明日は飴の予報で、かまくらは無事に祭り期間を抜け切れるでしょうか?!

さて、本日はその横手を避けて十文字で横手やきそばの食べ歩き。十文字の道の駅の道向かいにある「味一番」に。駐車場は店の前にギリギリ2台分。かつては横手やきそば暖簾会に入っていたようですが、今は未加盟に。ということで注文は「一番焼そば(600円)」。店内にはいろいろな張り紙が所狭しという状態で。この店は、元々は横手のバスセンターの待合室にあった店だとのこと。

来た焼きそばは見事な横手やきそば。甘めソースで少し汁気のある焼きそばは、このところ「普通の焼きそば」が多かったので、久しぶりな感じになりました。店の方は話好きなようで、他に客がいないこともあり、しゃべり続け状態なので、落ち着いて食べた気がしませんでした。

朝6時から昼休みなしで夜まで通し営業をしている貴重な店で、当YHのお客様に勧めようかと思っていましたが、好き嫌いがわかれそうなので、相手を選ぶ必要がありそうでした。道の駅のすぐ近くで、今回道の駅の焼きそば店が閉まったことでこの食べ歩きが始まりましたが、閉店の影響はほとんどないとのこと。なんとなくわかりました。

帰路、戻って大曲でもう一軒とも考えましたが、車で走っている間に満腹中枢が満たされて、もったいなくも一軒にて終了となりました。

一時

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横手やきそば食べ歩き キャベツの歴史

2024-02-13 23:58:49 | 食文化

3連休の時間のある時に、ソースに続いて、今度はキャベツの歴史をお勉強してみました。というのは、当初のもんじゃ(文字)焼きやどんどん焼きにはキャベツが入っておらず、関西に伝わって一銭洋食となった当初もキャベツは入っていなかったとのこと。ならば、キャベツの量産時期と、一銭洋食にキャベツが入ってお好み焼きになる時期と重なるのでは?と。

キャベツは紀元前6世紀ごろにはケルト人が栽培を始め、古代ギリシャやローマで薬として使われていたと。中世の欧州では非課税対象だったため、また寒冷地での栽培も可能だったため、貧しい農家の自家用や家畜のえさとして栽培が広まり、日本には江戸前期にオランダ人が長崎にもたらしたが、当時は観賞用。今のような結球性のキャベツが伝わったのは幕末の1850年代の横浜とのことで、居留地の外国人向けだった。

1871(明治4)には、殖産興業の一環で北海道開拓使により栽培が始められ、これが日本での本格的な栽培の始まりとされる。各地で栽培が試みられ、長野での栽培も1893(明治26)年に開始された。ただ、明治前半にはキャベツが一般市民に食べられることは少なく、ソースが出回った頃から徐々に普及が始まった。

またこの頃のキャベツは、今でも北海道の一部で生産されているような現在の倍ほどの大玉だったと云う。このため家庭で邪魔にならない大きさの品種改良などが進み、更に鉄道の全国的敷設(1890年代~)により遠隔地から関東に大量物資輸送が可能になったことやソースの普及、洋食ブームなどもあり、キャベツが食べられるようになったが、今のようにキャベツが大量に食べられるようになったのは、戦後の食糧難以降であると云える。

先日書いた一銭洋食は昭和初期頃からどんどん焼の延長で始まったもので、その当時の関西の一銭洋食にはキャベツは使われることはまだ少なく、今のようなお好み焼きの形になるのは、関東では昭和初期、どんどん焼きから発展する形で一部で食べられていたようですが、関西でお好み焼きが一般的に食べられるようになったのは戦後、との話のようです。ちなみにお好み焼きは関西発祥というのが以前の説になっていましたが、最近では関東で生まれ、大阪に伝わったという説が有力になっているようです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

まだまだありそう、地域の焼きそば

2024-02-11 23:47:06 | 食文化

このところ横手焼そばを食べ歩き、空いた時間で焼きそばのお勉強をしていますが、調べてみると、他にも地域限定の焼きそばがあるようです。かつてB級グルメの人気がうなぎ登りになった2010年頃、続々とB級グルメのイベントに地域の焼きそばが出てきました。黒石つゆ焼きそば(1960年頃~)や、釜石焼きそば(1950年代~)辺りは歴史もあるものでしたが、一方で北見塩焼きそば(2006年~)のように街おこしのために新たに開発された焼きそばも多く見かけられました。

B-1グランプリに出て来て、知名度を上げた焼きそばもありましたが、それ以外にもそこまで積極的でなく、地元に根付くことで長く続く焼きそばが、あることもわかりました。近い所では新庄。地元では鳥モツラーメン推し、山形県全体でも蕎麦やラーメンの需要が高い中で、数軒ですが独特な焼そばを出しているようです。量多めで干しエビが載り、パツパツ麺とのこと。

また酒田ラーメンで知られた酒田・余目地区にも「あとかけソース焼きそば」なるものがあるとのこと。以前テレビでも扱われて人気になったとのことですが、勉強不足で知りませんでした。こちらは味付けなしの焼きそばに食べる人間が食べる時にソースをかけるとのこと。

料理する人間にとっては、「これにはこの味があう」と思って味付けをして提供するため、後から味を変えると云うのは邪道だと思っていましたが、近年量を食べる人にとっては「味変」は普通の行為?このあとかけソース焼きそばは、その味付け事態を客任せにしており、かつて焼きそばが子供たちのおやつだった時代に、いかに安くするかなどを考慮して生み出された料理なのでしょうか。発祥の理由としては、昔のソースは火を通すと劣化するため、なんて話になっていますが、それぞれ非常に興味深いもので、春になったら足を運んでみたいと思っています。(写真は北見のオホーツク塩焼きそば、だいぶ昔の写真です)

のち一時のち

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横手やきそば食べ歩き 「一銭洋食」

2024-02-10 23:37:03 | 食文化

本日から3連休で、今日は西木の紙風船、刈和野の綱引き、湯沢の犬っこ祭りと冬祭り前半のピークですが、当YHは静かなものです。暖かくなったら一所懸命働きましょうと割り切って、今日は在宅で粉モノのお勉強。

関東育ちですので、粉モノにはそんなに馴染みがありませんが、関西から九州にかけては、粉モノは文化と云えるほど奥が深いようです。ちょうどお勉強していたのが、焼きそばが生まれる前段階の業界全般の話で、文字(もんじゃ)焼からどんどん焼きが生まれ、それがお好み焼きになるタイミング。時代的には明治後半から大正、昭和前半(戦争前)の時代。

先に書いたようにウスターソースが日本でも作られ、大正デモクラシーの中、カフェブームが来たり、一見華やかな時代。しかし世相は日露戦争(1904-05)で成金が生まれたものの、その反動による経済恐慌(1920)や戦地支援で物資を大量に送ったことなどによる米騒動(1917)、関東大震災(1923)などもあり、経済的に不安定な時代。また明治後半から八幡製鉄所開設(1901)に始まる重工業拡充策が計られて、東京や大阪が都市化する一方、地方から出稼ぎや人口流入が始まり、大きな経済格差が出来た時代でもあったようです。

こうした時代に、東京で現在のお好み焼きの芽が出て、また日本中にどんどん焼きが広がり、関西以西ではこれが「一銭洋食」という名前で大流行。デパート(百貨店)が生まれ(1906白木屋)、三越の食堂(1930)でお子様ランチ(30銭)が人気になる一方、生活困窮者救済のための(公設)簡易食堂が生まれ(1920-)定食10銭で提供されていた時代で、一銭で「洋食」が食べられると云うのはありがたかったのでしょう。

粉モノやB級グルメのマニアのサイトを見てみると、東北にはどんどん焼きとして残っている場所は複数あるようですが、関西や九州には、この時代に提供されていたものに近い状態で今も販売されているものがあるようで粉モノの奥深さを垣間見てしまいました。

(写真は山形のどんどん焼き、過去のものです)

のち一時

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする