8時半、起床。
目が覚めてから、床を離れるまで、15分ほど(長いときで30分ほど)かかる。まだ眠いからということもあるが、深呼吸をして気息を整えるためである(そうすると耳鳴りが小さくなったり、気分が安定する)。
チーズトースト、目玉焼き、ベーコン、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。
朝刊の折り込み広告は地元のスーパーのチラシなどが多いのだが、今朝は珍しくひざ軟骨のためのサプリの広告が入っていた。「あれっ?」と思った。
昨日の夕刊のトップニュースが膝の痛みの新しい治療法の開発の記事だったからだ。「なぜ医療関連の記事がドップに?」と思ったが、今朝の折り込み広告が膝の痛みに関連したものなのは、たんに偶然なのだろうか。
昨日のブログを書いてアップする。
今日も朝から不安定な空模様である。
「カミナリが来そうな予感がします」(緊張気味のチャイ)
3時を回った頃、遅い昼食を食べに出る。
京浜東北線に乗って、多摩川を越える。大田区は東京23区の南の外れで、一駅隣の川崎は神奈川県である。
川崎で南武線で乗り換えて2つ目の駅が矢向(やこう)である。「パン日和あをや」や「ノチハレ珈琲店」に行くときはここで降りる。地元(蒲田)周辺でもなく職場(早稲田)周辺でもない、飛び地的なカフェエリアである。
飛び出し注意のパネル。このキャラクターは「とびちゅうくん」というらしい。ローカルなものなのか、全国区的なものなのか、知らないが、どんなものにも名前は付いているのだ。
鶴見川や多摩川が氾濫した場合のこの付近の想定される浸水の深さが示されている。蒲田の場合は、鶴見川ではなく呑川が問題になる。最後に床上浸水を経験したのは、たしか伊勢湾台風(1959年)のときだった。当時、私は5歳だったが、水が引いた後、一階の畳を外した床の上をカマドウマがぴょんぴょん跳ねていた光景を覚えている。
「ノチハレ珈琲店」は昨日から夏休み明けの営業を始めている。いつもより混んでいるが、座れるテーブルはあった。
注文を済ませて、持参した居安正訳のジンメル『社会学の根本問題』を読む。
マヨたまトーストと梅ソーダ。
レモンスカッシュではありません。梅ソーダにレモンの輪切り。これが合うのだ。
食事中は本は読めないので(手に持てないから。しかも借りている本だし)、キンドル・スクライブをテーブルの上に置いて、『村上春樹 雑文集』を読む。
「音楽にせよ小説にせよ、いちばん基礎にあるものはリズムだ。自然で心地よい、そして確実なリズムがそこになければ、人は文章を読み進んではくれないだろう。僕はリズムというものの大切さを音楽から(主にジャズから)学んだ。それからそのリズムにあわせたメロディー、つまり的確な言葉の配列がやってくる。それが滑らかで美しいものであれば、もちろん言うことはない。そしてハーモニー、それらの言葉を支える内的な心の響き。その次に僕のもっとも好きな部分がやってくる―即興演奏だ。特別なチャンネルを通って、物語が自分の内側から自由に湧きだしてくる。僕はただその流れに乗るだけでいい。そして最後に、おろらくいちばん重要なものごとがやってくる。作品を書き終えたことによって(あるいは演奏し終えたことによって)もたらされる、「自分がどこか新しい、意味のある場所にたどり着けた」という高揚感だ。そしてうまくいけば、我々は読者=オーディエンスとその浮き上がっていく気分を共有することができる。それはほかでは得ることのできない素晴らしい達成だ。」(「違う響きを求めて」より)
食後にアフォガードを注文する。
バニラアイスにエスプレッソをかけていただく。
店には1時間ちょっと滞在した。
蒲田に戻ってくる。夕方の風が涼しくなっている。
近所の専門学校の庭のベンチで一服していく。
居安正はジンメル研究一筋の研究者である。
夕食はもつ煮込み、薩摩揚げ、ポテトサラダ、生タラコ、カキタマ汁、白菜の漬物、ごはん。
食事をしながら『プレバト』を追っかけ再生で観る。
デザートは梨。
借りた本というのは線を引いたり、欄外にメモを書き込んだりができない。そうするとどうも文献を遠巻きにしているようで、「読み込んでいる」という感じが乏しい。該当部分をコンビニでコピーしてきて、書き込みをしながら読む。ようやく内容が頭に入ってくる。
風呂から出て、今日の日記を付ける。
2時半、就寝。