フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

8月25日(日) 晴れ

2024-08-26 11:25:09 | Weblog

8時、起床。

バター&ジャム(みかん)トースト、目玉焼き、ソーセージ、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。

食事をしながら『日曜美術館』をリアルタイムで観る。東京国立博物館で開催中の造形作家・内藤礼の個展が紹介されていた。「現代美術の作家の個展を東博で?」と思ったが、東博の建物そのものを作品に取り込んでしまうという説明を聞いて「なるほど」と思った。行ってみたくなった。東京ステーションギャラリーで開催中の「空想旅行案内人 ジャン=ミッシェル・フォロン」展の紹介も行われていた。先日、大学に行った帰りに寄ればよかったなと思う。東京駅丸の内北口の改札を出たところにあるので、大学への行き帰りには前を通るのである。

朝食で使った食器を流しで洗いながら、よく水道の水のことを考える。

パン皿はさっと洗うだけ。珈琲カップもスポンジは使うけれど洗剤は使わない。牛乳のグラスはしっかり洗う。サラダの器も目玉焼きの黄身が付いているので洗剤を付けてしっかり洗う。食器ではないが、目玉焼きとソーセージを焼くのに使ったフライパンは油が付いているからブラシでごしごし洗う。どの食器を洗うために使われるかは水の運命であると思う。その一方で、ただ蛇口から出て、何にも使われず、流しの排水溝にそのまま流れていく水もある。はるばるやってきて、何の役にも立たず、無念なのか、洗剤や油にまみれずラッキーなのか、どっちなのだろう(どっちでもないんでしょうが)。しかし、そもそも水道水というものは、空から降ってくる雨の一部なのである。ほとんどの雨は海に落ちるのである。そして海と空の間を循環しているのである。

「悠久のサイクルの中に人間が介入して水道水という特殊なルートを流れる水を作っているわけですね」

だから何という話である。聞き流してくれ。「はい、水に流します」

昨日のブログを書く。書いている途中で、疲れが出て、布団でしばらく横になる。めったにないことである。寝不足に加えて、これが夏バテというものだろうか。

雲の動きが乱れている。

昼食で外出はせず、即席めん(チキンラーメン+生卵)ですます。

食事をしながら『サンデー・ソングブック』をリアルタイムで聴く。先週、先々週、山下達郎は風邪で収録を休んだが(宮治淳一がピンチヒッターを務めた)、今日は復帰して、竹内まりやと恒例の「納涼夫婦放談」をした(来週も)。二人の声が聴けてよかった。

原稿(論文)を書く。老眼鏡を鼻先に引っ掛けるようにして、手元の本を参照するときは眼鏡を通して、パソコンの画面は眼鏡を通さず上目遣いに見る。いちいち眼鏡を掛けたり外したりの手間が省けるが、いかにも老人らしい所作である。老人役がすっかり板についてきた。

今日は庭のガマカエル(ヒキガエルの俗称)は早くから器の水に浸かっている。彼らはふだんは家々の庭にいるが、産卵のためにはやはり水場(池)が必要で、でも、近所に池のある庭なんてもうないのではないだろうか。一体、どうしているのだろうと気になっている。

夕食はハンバーグ、サラダ、スープ、ごはん。

食事をしながら『マル秘の密子さん』第7話(録画)を観る。次週は休止とのこと。日テレ恒例の24時間番組のためだが、今年のテーマは、これまでと同じ「愛は地球を救う」ではなく「愛は地球を救うのか?」となっている。

デザートはシャインマスカット。

ようやく原稿(論文)の第一章を書き終える。思いのほか時間がかかってしまった。その分、第二章はペースが上がるはずである・・・だとよいのだが。

風呂から出て、今日の日記を付ける。

1時半、就寝。