8時、起床。
トースト(+ジャム)、サラダ、紅茶の朝食。
松本の「シェ・モモ」で購入したレモンとブラッドオレンジのコンフィチュール。
10時に自宅を出て、菩提寺のある鶯谷へ。
今日はお施餓鬼法要が行われる日。法要はお寺によって日が違うが、うちの場合、たいてい母の日と重なる。
でも今日はお昼から句会があるので、お墓参りだけして失礼しますとお寺には伝えてある。
2週間後の法要(母の三周忌と父の十三周忌)の確認(卒塔婆の数など)などもしておく。
仏花にもカーネーションが混じる。
曇り日だが、雨にはならないだろう。
墓参りをすませて、神楽坂へ向かう。
東京駅の片隅に公衆電話がひっそりと3台並んでいる。
最近目を引く広告。
人影がまったくない瞬間というのもある。
神楽坂。
会場である「SKIPA」に定刻(11時)5分前に到着。
本日の出席者は7名。8名の予定だったが、お子さんが熱を出したためあゆみさんは欠席。ただし、投句はされていて、選句もスマホで参加。主宰の紀本さんは和服である。夏井いつきさんかと思った(笑)。
本日の作品は8名×3句で24作品。
紀本さんが作品の読み上げをした後、各自、選考に入る。パッと決まるときもあるのだが、今日は粒ぞろいという感じで、いつもより時間がかかった。
私は次の3作品を選んだ。
天(5点) 夏浅し放物線の山上る
「放物線の山」という表現がモダンな技法で描かれた絵画を観るようなスッキリとした印象を与えてくれる。それが「夏浅し」という季語とマッチしている。
地(3点) 茶畑に機影濃くして夏近し
描かれているのは現在の情景だろうが、どこかで72年前の戦争の集合的記憶と繋がっている。茶畑と機影のコントラスト、現在と過去のコントラスト、二重のコントラストが作品を陰影深いものにしている。
人(1点) しゃぼん玉ねこの小径の先の先
格調の高い作品を2つ選んだので、1つはポップな作品も入れておこうと選んだ作品。兼題の「先」が「先の先」と二つ組み合わせて使われており、望遠レンズで捉えたような効果を出している。
私だけでなく、みんなも選考には時間がかかったようであるが、各自の選んだ句を発表した結果は以下のようになった。
13点 茶畑に機影濃くして夏近し 万笑
本日の特選句は久しぶりに句会に参加した万笑(ばんしょう)さんの作品。恵美子さんとあゆみさんが「天」、私が「地」を付けた。GWに屋久島に旅行したときに作った句だそうで、機上から下を見ると(九州の、昔、特特攻隊の飛行場があった土地)茶畑に自分が乗った飛行機の影がくっきりと映っているという情景を詠んだものだそうだ。そうか、飛行機からの視点とは思いつかなかったが、戦争の記憶との連続性はやはり意識されていたのだ。
8点 「先生へ、産まれました」の初夏の文 恵美子
蚕豆さんと理衣さんが「地」、あゆみさんとこかよさんが「人」を付けた。私はこの4月、5月に数人の方から「産まれました」の報告をメールでいただいたので、タイムリーな句だった(メールは広い意味で「文」だろう)。「先生へ」の部分を「 」の中に入れるか入れないかという問題はあるが、どちらの場合もありえるだろう。つまり宛先を示すものであれば「 」の外の方がよいし、文の最初に置かれる言葉であるなら「 」の中に入れた方がよい。 恵美子さんは最初は「 」の外に置き、推敲して「 」の中に入れたそうである。
8点 長袖の似合うひとにも夏来る あゆみ
理衣さんが「天」、万笑さんが「地」を付けた。「長袖の似合うひと」というのが男性なのか女性なのかで(また、鑑賞するのが男性なのか女性なのかで)鑑賞の仕方は変わって来るだろう。万笑さんの解釈では「長袖の似合うひと」というのは男性で、長袖はワイシャツなのだそうである。そういえば、ワイシャツの長袖をまくりあげて仕事をしているときの男性の二の腕の筋肉に惹かれる女性というのはけっこういると聞いたことがあるが(笑)、そのイメージだろうか。この場合、始めから半袖のワイシャツでは「袖をまくりあげる」というのが欠落していてセクシーではないのだろう。他方、「長袖の似合うひと」が女性の場合は、上品なイメージがある。半袖になってしまうとその上品さが損なわれる。なのでいっそのことノースリーブがよいと思います(笑)。
8点 苔清水集めてゴクリ、またゴクリ 万笑
紀本さんが「天」、恵美子さんが「地」を付けた。やはり屋久島に旅行したときの作品で、縄文杉を見るために島の奥地に何時間も歩いたときのことを詠んだものである。「岩清水」というのが普通の言い方かと思うが、「苔清水」と表現したところに鬱蒼とした場所の臨場感がある。「、」が必要かどうかについては異見があるところで、私は「、」や「。」は俳句には不要と考えるが(散文ぽくなるので)、視覚的な効果は確かに出ると思う。
8点 夏浅し放物線の山上る 恵美子
私が「天」、紀本さんが「地」を付けた。さきほどの「産まれました」の句もそうだが、今回の恵美子さんはいつもとは違った作風で来たようである。「放物線」といったような語句は蚕豆さんが得意でよく使うものだが、その蚕豆さんからは「上る」は「登る」と表記した方がよいのではという意見が出た。確かに階段なら「上る」だが、山は「登る」とするのが普通だ。ただ、私の感覚では、「登る」とすると画数が多くなり、軽快な感じが減じるように思われるので、「上る」でいいように思った。
5点 ヒナゲシに騙されないでとイヌフグリ こかよ
万笑さんが「天」を付けた。見た目がきれいな女に騙されてはだめよと、見た目がきれいでない女が男に向かって注意をうながしているということだろうか。実際には、イヌフグリは小さな紫のかわいい花を咲かすのだが、いかんせん、名前で損をしている。ご存じない方のために説明しておくと、「ふぐり」とは「陰嚢」つまり「キンタマ」のことである。つまり「犬のキンタマ」という名前なのである(実の形状がそれに似ているというので命名されたようである)。いくらなんでも、それはないでしょうという名前である。
5点 履歴書を今破りをり青葉風 恵美子
蚕豆さんが「天」を付けた。就活で悪戦苦闘している大学生が見たら、拍手喝采しそうな作品である。恵美子さんによると、「履歴者」は他の書類(たとえば離婚届とか)でもよかったらしいが、「青葉風」という若者のイメージ、そしていまの就活の時期からして、「履歴書」が一番相応しいだろう。恵美子さんは今回3句すべてが上位入選である。
5点 白桜忌プラネタリウムで出遭う人 蚕豆
こかよさんが「天」を付けた(5点を取った3句はどれも一人の人が「天」を付けたもので、特定の人のツボにハマったということだろう)。「白桜忌」は与謝野晶子の命日(5月29日)で夏の季語。その日にプラネタリウムで出逢った男女が恋に落ちるという展開が予想される。「白桜忌」という季語がまず最初にあって、プラネタリウムはロマンチックな連想で持ってきたもの故、つながりの必然性という点では弱いか。
3点 幸先のよかったはずの夏蜜柑 紀本直美
こかよさんが「地」を付けた。この作品では夏蜜柑を食べているシーンに至る物語は省略されている。何が幸先がよかったのかはわからない。恋の話なのかもしれないし、試合の話なのかもしれない。何であれ途中からパッとしなくてなって、いま、「最初はよかったんだよな」とぼやきながら夏蜜柑を口に運んでいるのである。俳句が「省略の文学」であることの見本のような作品である。
3点 ユーフォニウム踊る真夏の終電 紀本直美
あゆみさんが「地」を付けた。ユーフォニウムはトランペットを太くして曲げて抱えるようにして吹く楽器(ネットで検索して下さい)。太古の海を泳いでいた三葉虫を連想させる。オーケストラの練習が深夜に及んで、その帰り途なのだろう。ユーフォニウムの奏者は居眠りをしていて、抱えた楽器のケースがゆらゆらと揺れている。そのうち、楽器はケースを飛び出して、真の中の演奏会を勝手に始めるかもしれない。そんなファンタジックなアニメ映画、『トイストーリー』の楽器版を連想させる。
3点 気をつけて行ってらっしゃい綿帽子 こかよ
理衣さん、恵美子さん、蚕豆さんがそろって「人」を付けた。点数は高くはないが多くの人の共感を得たポップな作品である。面白かったのは「綿帽子」をタンポポの綿毛の比喩と読んだ者と、比喩ではなく婚礼のときに新婦が顔を覆うのに用いた被り物そのものと読んだ者がいたことだった。前者であれば、風に乗ってタンポポの綿毛たちに「行ってらっしゃい。いい場所に着地するんだよ」と見送っている情景となり、後者であれば花嫁を「行ってらっしゃい。幸せにね」と見送っている情景となる。私はタンポポの綿帽子と受け取った。「気をつけて」にはそういうニュアンスが感じられるのである。
1点 チューリップ雨に気づいて「あ」の形 理衣
万笑さんが「人」を付けた。チューリップの花を上から見ると「あ」の形に見えるということだろう。「あっ、雨が降ってきた」と言っているみたいに。 実際にそう見えるかは別として、着眼点が面白い。
1点 しゃぼん玉ねこの小径の先の先 万笑
私が「人」を付けた。感想はすでに述べたので省略するが、万笑さんも今回3句すべてが入選した。久しぶりの句会ということだったが、どこか別の句会で腕を磨いていたのではなかろうか(笑)。
友の死を知らずに春の旅に出る 蚕豆
紀本さんが「人」を付けた。「友の死」という悲痛な出来事と「春の旅」という楽しい行為、ふつうならば両立しない二つのものを結びつけているのが「知らずして」という事情である。印象的な作品で、私も最初、選ぼうかと思ったが、ただ、ちょっと違和感というか場違いな感じがして、選ばなかった。以前、或る卒業生の死の知らせを聞いて、「二十九の春爛漫の別れかな」という句を詠んだことがあり、自分なりに満足のいく出来であったが、句会には出さなかった。そのときの気持ちを思い出した。
お気づきと思うが、今回、私の作品は1つも入選しなかった。これを「坊主」という。坊主の悲哀は句会に参加する人ならば誰でも知っているが、実は、22回目の句会にして私は初めて「坊主」を経験したのである。いま、将棋界では藤井聡次4段という新人がデビュー以来負けなしの17連勝中で話題を集めているが、私も「いろは句会」では無傷の(坊主知らずの)21連勝中だったのである。
しかし、今回は選考中に「今回は坊主かもしれない」という予感があった。いい作品が多かったからだが、午前中、句会に来る前に菩提寺に寄って墓参りをした(そして法要をさぼって句会に出た)のが「坊主」を呼び込んだのかもしれない(笑)。ちなみに私の3句は次のとおり。
向日葵の群れる道その先の空
新緑やつぼめし口の紅の色
真昼日やガラス細工の海月たち
一番の自信作は「向日葵の」の句で、向日葵の「群れる道その」先の空、と中の句が句またがりになっていて、向日葵の 群れる道 その先の空、と「5・5・7」の破調となって、ストイックな静謐さをかもし出している、と自分で注釈(自画自賛ともいう)をつけておこう。
お隣の「トンボロ」からココとヴェルデ(別々の常連客のペット)がやってきた。
句会が終わって、食事会へと移行。こかよさんがチキンカレーで他の人は定食を注文。
食後にアイスチャイ。
主宰の紀本さんは今日は和服である。最近テレビで活躍中の俳人、夏井いつきさんみたいだ。
句会の仲間からいただいたものだそうで、その方は、一度、句会に着て来た着物は二度と句会には着てこないという着道楽の方だそうである。どんだけお金持ちなのだろう。
恵美子さんから書道展の案内をいただく。
同人書作展 6月28日(水)~7月9日(日) 国立新美術館2階展示室
私は毎年うかがっているが、いつも雨が降っているような気がする。
2時半頃、解散。
今日はこのお二人が大活躍だった。万笑さん(左)と恵美子さん。
次回の句会は7月2日(日)、兼題は「海のイメージを詠んだ句」である。
私はその足で大学へ。
3時過ぎに卒業生のリオさんが研究室にやってくる。
彼女はつい先日、2017年3月に文化構想学部を卒業したばかりの人(7期生)である。ゼミには所属していなかったが、私が卒業研究(卒論)を指導していたので、ゼミ生と同じように教え子といって差し支えないだろう。貸してあった本を返しに来たいというので、この時間に来てもらったのである。彼女は学生時代と変わらず大学のそばに住んでいる。
しばらく研究室で近況などを聞いてから、カフェでお茶でもしましょうということになる。
人気のないキャンパスで、空を見上げながら、働き始めたばかりの卒業生ならみんな言うことを彼女も言った。
「もう一度、大学生になりたい!」
「カフェゴト―」は最近は日曜日も営業している。なので日曜日に研究室を尋ねに来る卒業生をここでもてなすことができるのはありがたい。
二種類のケーキを選んでもらって(タルトタタンとチーズケーキ)、ハーフ&ハーフで。
「カフェゴト―」を出たのは5時。これから近所の百均ショップで買い物をするという彼女とは、地下鉄の駅前の横断歩道のところで別れた。どうぞお元気で頑張ってください。
帰りがてら、投稿駅構内の書店で、高橋順子『夫・車谷長吉』(文藝春秋)を購入。直木賞作家で、あの傑作『赤目四十八瀧心中未遂』を書いた人の妻(詩人)が書いた本だ。立ち読みを始めたら止まらなくなって、レジにもっていった。
蒲田に着いてもまだ空は明るさを残していた。
夕食はハンバーグ。
ようやくブログが「現在」にほぼ追いついた。時は矢のように飛ぶが、「現在」に引き離されないようにしっかりと併走していかなくてはならない。『騎士団長殺し』の主人公も言っているように、「私は時間を味方につけなくてはならない。」