8時、起床。朝食は釜揚げシラスの茶漬け。軽めのご飯にたっぷりの釜揚げシラス。熱湯を注いで、醤油を垂らし、ズズッとかっ込む。う、うまい。
今日は自宅でだらだらと過ごす。外出しなかったので髭も剃らなかった。昨日も剃らなかったから顎を手でなでるとジョリジョリする。
昼頃、風呂釜の修理の人が来る。昨日から機能が停止しているのである(うちには1階と2階に風呂があるので、昨日は1階の風呂に入った)。自宅を新築して10年が経過し、あれこれメンテナンスが必要な時期なのだろう。修理して延命するのではなく、風呂釜は新しく買い換えることにした。工事費込みで30万円ほど。う~む、贅沢をしなければ東京で一家4人が一月は暮らせる金額だ。
昼食はポトフとトースト。山口瞳『行きつけの店』(新潮文庫)を読む。単行本が出たのは15年ほど前で、そのとき購入しているのだが、文庫本には文庫本の味わいがある。私にも「行きつけの店」と呼べる店はいくつかあるが、この本を読むと、うっかりそういう言葉を使いにくくなる。年季が違うし、レベルも違うのだ。
「小泉信三先生は、隅田川の川開きの日に、桂文楽、古今亭志ん生、三遊亭円生の三人を柳島の亀清楼へ招んで落語を聞き、みんなで花火を楽しまれたという。そのとき、志ん生は大津絵を歌った。すると、小泉先生は、いつも涙を流されたそうだ。風の強い寒い日に、火消しの女房が出かけてゆく夫の身を案ずるという歌であって、その歌いだしは「冬の夜に風が吹く」である。まことに哀れ深い歌であるが、これはどうしても志ん生でなくてはいけない。/私は、その志ん生を神田川(鰻屋)へ招んだことがある。やっぱり暑い日だった。志ん生は脳溢血で倒れて、もう、寄席へもホール落語へも出られなくなっていた。志ん生は、親類の女性に負ぶさって出てきたが、そのとき、「こんなになっちゃって・・・」と笑った。泣き笑いの顔だった。それが、実に可笑しいのである。私は、笑っていいものかどうかわからなくて、困った。」(72頁)
すごいでしょ。・・・といっても文楽、志ん生、円生の名を知らない世代にはピンと来ないかもしれない。たとえば、私が、「甘味あらいに小雪を招んで、一緒に贅沢あんみつを食べた」と書いたら、「すごい!」と思うでしょ。その何倍もすごいのである。
「私は、寿司政へ行くと、いつも、中トロとアナゴを握ってもらう。それでカンピョウの海苔巻きを食べるとオシマイだ。あれも食べようこれも食べようと思って出かけるのだが、いつでもそうなってしまう。この、アナゴがいい。甘からず辛からず、とろけるようだ。アナゴとかカンピョウとかは、職人の腕の見せ所ではないだろうか。」(89頁)
私にはこの真似はできそうもない。なぜなら私はお酒を飲まないから。お酒を飲む人は、寿司屋でまずは刺身をつまみつつ酒を飲み、しかるのちに何かを握ってもらう。だから中トロとアナゴとカンピョウ巻きで「ごちそうさま」と言えるのだ。こっちはいきなり握ってもらうわけだから、どうしてもガツガツしてしまう。ゆとりに乏しい。
山口瞳は成人の日の新聞に長いことサントリーオールドの広告を書いていた。その一例が載っていた。酒場での立ち居振る舞いについて書かれたものだ。
「今年は酒場のことを教えよう。/酒場へ行くなら、超一流の酒場へ行き給え。安っぽい酒場で飲むな! 超一流というのは「いわゆる銀座の高級酒場」のことではない。/まず、カウンターのない酒場は失格だ。できれば、カウンターがあって、そこで立って飲ませるような酒場を選び給え。若いんだから、立って飲め。/六時開店、十一時閉店という店がいい。終電までに帰れ。タクシーで帰宅するのは二十年早い。/ママさんが美人でスター気取りであるような店は避け給え。バーテンダーは無口なのがいい。/「金を払っているのだから何をしてもいい」と思っている客は最低だ。だけど超一流の酒場へ行っても怖気づくな。なぜならば、きみは「金を払っている客」なのだから・・・。正々堂々、平常心でいけ! 目立ちたい一心で、隣の客に話しかけたりするな。/キチンと飲み、キチンと勘定を払い、キチンと帰るのを三度続ければ、きみは、もう、超一流の酒場の常連だ。立派な青年紳士だ。店の方で大事にしてくれる。(以下略)」(52-53頁)
私は酒を飲まないけれど、ここに書かれていることは、酒場だけではなく、食べ物屋一般にあてはまるように思う。最後のところの「店の方で大事にしてくれる」というのは言いえて妙である。「行きつけの店」という言葉から私が連想する店は、どこも、勘定を支払うときに、「いつもありがとうございます」と言ってくれる。ただし、チェーン店は「ありがとうございます」としか言ってくれない。「いつもありがとうございます」という言葉はマニュアルにないのだろう。
「読者にお願いがある。どうか、自分の行く店を紹介しただけのものと思わないでもらいたい。私は、旅館、料亭、小料理屋、酒場、喫茶店などは文化そのものだと思っている。そこで働く人たちも文化である。私自身は、そこを学校だと思い、修業の場だと思って育ったきた。読者もここで何かを学んでくれたら、こんなに嬉しいことはない。」(259頁)