陸海軍けんか列伝

日本帝国陸海軍軍人のけんか人物伝。

198.東條英機陸軍大将(18)嶋田は替えたほうが良いと思う。このままでは海軍は収まらぬ

2010年01月08日 | 東條英機陸軍大将
 赤松大佐の申し出に、岡田大将はあわてて、大いに恐縮したような素振を見せ、「ああそうか、そりゃ悪かったなあ。大変申し訳ないことをした、もうしないよ」と言った。

 赤松大佐が「そうですか? それじゃ、総理のところへ行って、ちょっと謝ってください」と言うと、岡田大将は「わかった、そう取り計らってもらえれば、会いにいこう」と答えた。

 さらに赤松大佐が「今後自重して策動のような行動はしないと、はっきり総理に申し述べていただけますね?」と念を押すと、「よしよし、承知したよ」と岡田大将は、その場を取り繕うような感じで答えた。

 東條首相との会見時間はその日の午後二時に決まった。この朝、東條首相は宮中の定例閣議に出席し、「最近、日本にもパドリオが横行し始めたようだから、諸君も充分ご注意願いたい」と発言し、閣僚達をにらんだ。

 東条英機暗殺計画(工藤美知尋・PHP研究所)によると、昭和十九年六月二十八日、高木惣吉海軍少将(海兵四三・海大二五首席)が、重臣の岡田啓介海軍大将を訪問した。

 そのとき、岡田大将は前日の二十七日に、首相秘書官の赤松大佐が、首相官邸へ来訪の要請があり、首相官邸で東條首相と岡田大将の対決になったことを高木少将に話した。

 その模様が「高木資料~岡田大将との会見秘録」に次の様に記されている。

 六月二十七日午後一時過ぎ、首相官邸二階の応接室で、岡田と東條は会見した。両者は、一応会釈はしたものの、すぐ沈黙してしまった。しばらくして東條から口火を切った。

 東條「あなたが色々動いておらるると聞いているが、私はそれを、はなはだ遺憾に思っています」

 岡田「総理から私の行動について遺憾に思うとの言葉を聞いて、私はむしろ意外である。私は海軍の現状を見聞して、嶋田では収まらぬ。いくさもうまくできぬ。総理の常に言われる陸海の真の提携もできなくなると考えるからこそ心配しているのであって、総理のためとこそ考えている」

 東條「もしあなたが言葉どおりでおるのならば、何ゆえ陛下や宮殿下までをも煩わせるか。さようなことはまことに不穏当ではないか」(いらだちながら、言葉荒く言った)

 岡田「お上や宮殿下がいかようのことを遊ばれたかは、私は全然関知せぬところで、私を引き合いに出されるのは当たっておらぬ」

 東條「海軍の若い者どもが、嶋田のことでかれこれ言うのは、けしからぬことではありませぬか。あなたはそれらの若い者を抑えて下さることこそ至当ではないか」

 岡田「海軍の若い者が、上司のことをかれこれ言ったならば、それはけしからぬことで、あなたの言われるとおりだ。しかし嶋田ではいかぬと考えたのは私である。今の海軍の状況を見たり聞いたりしてこれではいかぬ、これは嶋田では収まらぬと考えたので、若い者には罪は無い」

 東條「嶋田海軍大臣を替えることは、内閣が更迭となるから、私は海軍大臣を替えることはできません」(岡田がなかなかしぶとく、東條はますます激昂した)

 岡田「私は、嶋田は替えたほうが良いと思う。このままでは海軍は収まらぬ。戦もうまくいかぬ。また世間も収まらぬ。結局東條内閣のためにならぬから、ぜひ考慮されたがよろしい」

 東條「それは意見の相違で、私はできぬ。戦争のことを言われるが、サイパンの戦いは五分五分と見ている」

 岡田「これ以上はただ繰り返すことになるが、重ねて私は、嶋田は替えたほうが良いと思っている。ぜひ考慮されたがよろしい」

 こう言い切ると、岡田は席を立った。東條は岡田を玄関まで送りながら、怒るようにして言った。「考慮の余地はありません」。会見は三十分で終わった。

 「東條英機」(上法快男編・芙蓉書房)に東條首相の秘書官・赤松貞雄大佐(陸士三四・陸大四六恩賜)の手記が掲載されている。岡田と東條首相の対決会見後の様相を記している。

 それによると、岡田が首相官邸を辞した後、赤松秘書官は東條首相に重臣の岡田海軍大将との会見結果を尋ねたら、東條首相は不機嫌だった。

 東條首相は「赤松は確実に当日の会見趣旨を岡田氏に伝達したのか」と詰問された。岡田氏は嶋田海相排斥等の策動については、一応は簡単に陳謝したが、それだけに止まり、後の会見時間の大部分は海相に対する海軍部内の不評を縷々首相に陳述したに過ぎなかったとの事だった。

 赤松秘書官は岡田氏に対し事前に、首相に会ったらよく陳謝した上、今後自重して策動と疑われる行動はしない旨をはっきり申し述べる様にとお願いしたのに拘らず、そして岡田氏も「よしよし承知したよ」といわれながら事実はこれと反対に会見の機会を逆用したことを知った。

 赤松秘書官はやはり岡田氏は狸爺だなと思わざるを得なかった。赤松秘書官としても使者の任務を全うしえぬ結果になり、誠に遺憾と感じた。