陸海軍けんか列伝

日本帝国陸海軍軍人のけんか人物伝。

164.米内光政海軍大将(4) 以後米内と末次は、会っても口もきかない犬猿の仲になった

2009年05月15日 | 米内光政海軍大将
 演習を展開中は、演習の想定や構成などが、司令部から信号で伝えられる。その内容について疑義があったのか、米内艦長は、司令部の先任参謀に信号でただした。

 先任参謀は、司令部の威信にこだわったのか、米内の意見をいれて命令を改めることをせず、こじつけがましい返事をした。

 すると米内艦長は、いつもの沈黙を破って、少々度が過ぎると思われるほど自説を主張してゆずらなかった。はたにいた候補生は、こうした艦長の態度を、けげんな顔をしてみつめていた。

 やがて、演習は終わった。米内艦長は、候補生を集めて次の様に訓示した。

 「諸君は将来、艦長や幕僚になるのであるが、陛下からおあずかりした艦の保安については万全を期さねばならぬ。艦の運動については、けっしてあいまいなことは許されない」

 実松と兵学校同期の正木生虎候補生(後、海軍大佐、戦後、司馬遼太郎の『坂の上の雲』の先生)が「死」の問題で悩んでいた。自分の死だけでなく、部下の死にも直面する指揮官たるものの苦悩であった。

 この遠洋航海で、正木の念頭から「死の問題」は離れなかった。かれは悩み続け、神経衰弱症状の様相だった。そんな時、正木は米内艦長から呼ばれた。

 艦長室に入ると、米内艦長は笑顔で「どうだ、正木候補生、君はなにか深く考えこんでいるんじゃないか」と言った。正木候補生は気持ちがほぐれ、「死の問題」を打ち明けた。

 米内艦長はじっと、耳を傾けていたが、「考えることはいいことだ。だがあまり眼を近づけすぎると、かえって実体が良く見えないものだ。時には眼を遠ざけたほうがいい。また、瞬きもしないで見つめると、眼がつかれて、対象がぼやける。すこし時間をおいて考えなおしてみたらどうか」と言った。

 そして、「これを読んでみたまえ」と、半紙二枚に毛筆で書いたものを正木候補生に渡した。「心の力」という書物から摘記したもので次の様に書かれていた。

 「心はこれ身の王 王に威ありて国泰し 心を尊び心を養ふ その徳即ち身に現す 疫癘もこの人を襲わず 毒蛇もこの人を螫さず 昼は煩ひ無くして居泰く 夜は夢無くして睡り穏なり 出る息よく律に合し 人る息よく呂にかなふ 精力毛髪の末に溢れ 顔色常に嬰児の如し 眼曇らす足迫らず 晴天を戴き天地を踏む 行けば端気これを譲る 妖気いかでか犯さむ 語ればこの声雲に徹す 天童耳を傾けて聴かむ」

 正木候補生はこの「心の力」を、何度も何度も読み返しているうちに、神経衰弱は回復していった。

 軍艦磐手が横須賀軍港に停泊していたときのこと。あるとき米内艦長が鎮守府に用があって、艦載汽艇に乗り、百メートルほど舷側を離れたとき、本艦から、「帰れ」という信号があった。

 艦長の乗艇に対して帰れというのだから、よほどの事件でも突発したのだろうと、急いで戻った。すると信号をしたのは副長で、乗り遅れた士官を乗せるためと分かった。

 このときは、米内艦長は怒った。上陸を中止した米内艦長は副長を艦長室に呼びつけ、厳然と訓戒した。「いやしくも艦長の乗艇を、こうした理由で呼び戻すとはなにごとか。軍規の上からも許しがたい」。副長は軽率を詫びたという。

 昭和七年五月十五日、海軍の青年将校、陸軍士官学校生徒、民間人らによる五・一五事件が起き、犬養毅首相が暗殺された。

 後に末次信正海軍中将(海兵二七・海大七)が第二艦隊司令長官で鎮海に入港した時、酒の上で、米内中将と末次中将が口論となった。

 日頃おとなしい米内中将が、「五・一五事件の陰の張本人は君だ。ロンドン会議以来、若い者を炊きつけてああいうことを言わせたり、やらせたり、甚だけしからん」と二期先輩の末次中将の胸ぐらをつかんで詰め寄った。

 末次中将は憤然としていたが一言も言葉を返さなかったという。以後米内と末次は、会っても口もきかない犬猿の仲になった。昭和八年の海軍の定期異動で末次中将は連合艦隊司令長官、米内中将は佐世保鎮守府司令長官に補された。

 小島秀雄中佐(海兵四四・海大二三)が海軍省副官だったとき、米内佐世保鎮守府司令長官から一通の手紙が副官宛に来た。開いて見ると義済会の金の借用申込みであった。

 米内司令長官は父親の遺した借金を背負って、軍人になって以来ずっと返済していた。だから中将になり、鎮守府司令長官になっても貧乏は少しも変わらなかった。さらに公用以外の宴会費はすべて自弁であったので、階級が進めば進むほど料理屋の払いも増えてくるのだった。

 佐世保鎮守府司令長官ともなれば、部外の友人や知己から借りようと思えば幾らでも借りることはできるが、米内はそういうことは決してしなかった。これ位の地位にいて義済会に借金を申し込んだ者は、恐らく前後にないだろうと、副官はすっかり感激したという。