presented by hanamura
まだまだ暑い日がつづいていますが、
秋の気配が所々でみられるようになりました。
夕暮れ時には、虫の声が聞こえてきます。
これから訪れる秋に向けて、
そろそろ衣替えの準備をされている方も
いらっしゃるのではないのでしょうか。
花邑では、秋冬の装いに向けて
9月1日から22日まで「更紗の帯展」を開催します。
この企画展では、稀少な江戸時代の和更紗から、
近代の西欧更紗まで古今東西の「更紗」の帯をご紹介します。
そこで今回は、この企画展にちなみ、
「和更紗」とよばれる日本でつくられた更紗に配された、
魅力的な文様についてお話しをします。
更紗は、紀元前3000年頃にインドで誕生し、
その後大航海時代には世界各地へと輸入し、大流行しました。
そして、その国独自の文化と融合した
さまざまな更紗がつくられました。(※1)
「更紗」の定義としては、
広く模様を施して染めた「木綿布」を指すため、
その国、その地域の文化と融合した、
染色方法や色柄の異なる更紗がさまざまに登場しました。
とくに、日本でつくられた「和更紗」は、
つくられた当時の世情が反映されているように思えます。
日本の歴史に更紗が登場したのは
室町時代後期頃です。
インドからもたらされました。
木綿そのものもめずらしかった当時の日本において、
異国からもたらされた更紗は、とても珍重されました。
とくに、インド茜で染められた鮮やかな紅色の更紗は、
活力の旺盛な武将らにもてはやされ、
戦国時代に入ると戦さのときの陣羽織などにも用いられたようです。
また、茶の湯の仕覆(しふく)としても多く使われました。
その後、日本でも各地で木綿の栽培が盛んになり、
江戸時代に入ると日本独自の技法で更紗がつくられ、
これが「和更紗」と呼ばれるようになります。
江戸時代後期には、庶民のあいだにも広まって大流行し、
そのために各地でもさまざまな和更紗がつくられるようになりました。
上の写真は2枚とも江戸時代の後期につくられた和更紗です。
当時つくられていた多くの和更紗の文様は、
インドやヨーロッパからもたらされた更紗の文様を手本としていて、
日本では見られない草花が意匠化されています。
当時、鎖国を国策として行っていた日本では、
異国の文化に接する機会が極端に少なかったためか、
日本の更紗の文様には、
お手本からも飛躍した“空想上の”草花といえるような、
つくり手の想像力で意匠化された抽象的なものが多かったようです。
そうした和更紗の文様は、
とても自由な作風でつくられていて、
時代を経てもなお人々を魅了する、
不思議な魅力を持っています。
古き時代の和更紗を手に取って見ると、
その当時の人々の感情の中に存在した
“異国への憧憬”ともいうべきものが
こちらへも伝わってくるようです。
長い鎖国が終わって明治時代になると、
それまで自由でおおらかだった和更紗の文様は、
時代の感情に合わせて少しずつ変化していきます。
次回は明治時代以降につくられた和更紗の文様について
お話しすることにしましょう。
※写真の和更紗は「更紗の帯展」にて取り扱っています。
(※1)2008年3月11日更新のブログ「和更紗について」を参照してください。
花邑のブログ、「花邑の帯あそび」
次回の更新は9月1日(火)予定です。
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