OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

帰る場所

2008-05-14 23:57:37 | Weblog
裕太が帰ってきて、「家は極楽やなぁ~」と言う。「お茶がいつも冷蔵庫にあたりまえあるってスゴイやんなぁ~」って。なんでも、一人暮らしを始めて、最初に思ったのが、それだったらしい(^^;。

けど、だからといって、彼も彼の姉も、決して実家に戻ってこようとはしない。いくら楽でも、いくら便利でも、自分だけの場所を外に持ちたいのだと思う。そして、それは健全な考え方なのだと思う。

わたしは、生まれた時からこの家に住んでいて、結婚しても、子どもを産んでも、この場所から離れなかった。そのことによって、楽な思いもしたし、逆に辛い思いもしたし、トータルでは、結局、フツー程度の喜びと悲しみの中で暮らしてきたと思うけれど・・・子どもたちには、わたしと同じ生活は勧めない。

こういうことを考えていて、一番思い出すのが、家族と喧嘩をして家を飛び出した時のことだったりする・・・けっこう、何度か話したエピソードだけど、また書いちゃおう。

今でこそ、つつがなく暮らしているけれど、結婚して数年は当たり前に家の中がゴタゴタした。父と母とワタシ、ずっと三人でくらしていた家に、突然に異端者である夫が加わったのだから、そりやぁ当然のことだ。父や母から聞かされる夫への不満。夫の方は決して言葉で舅姑のことを悪く言うことはなかったけれど、ヒシヒシと感じる彼の苛立ち。その間で、幸せとは程遠い時間を過ごしていた。

ある日、恒例となった母の愚痴に遂に切れたワタシは、藍那の手を引き、裕太を胸に抱いて、家を飛び出した。でも・・・どこにも行く場所がなかった。今はもうない、阪神パークに行き、ベンチに座って、ぼぉ~っと時間を過ごした。幼い藍那も、赤ちゃんだった裕太も、母親の心情に感じるものがあったのか、まったくぐすらなかったと思う。

その時、つくづく思ったのだ・・・実家という、逃げ帰れる場所が欲しいと。我が家が実家で・・・しかも親と夫のことで喧嘩したワタシには、どこにもいく場所がないもの。

いろんな事情で、帰ることのできる実家をもたない方は、たくさんいらっしゃると思うけれど・・・実家でなくてもいいので、人は「帰る場所」あるいは「逃げ込める場所」もしくは「翼を休ませる場所」を持たなきゃいかんと思う。実際に、そこに逃げ込むことがなくても、自分にはそういう場所、あるいは、そういう人がいると思うだけで、人は頑張れるような気がする。うん、気がする(^^)。

時間がないので、読み返しなしでUPします。誤字脱字、意味不明ゴメンであります(^^;。