オアシスインサンダ

~毎週の礼拝説教要約~

聖霊の風に吹かれて

2015-07-05 15:06:10 | 礼拝説教
2015年7月5日 60周年四泉教会合同礼拝(使徒行伝2:1~12)
岡田邦夫(於・宝塚泉教会)

 「突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。」使徒行伝2:2

 1956年7月8日に「豊中使徒教会」が設立され、その後、四つの泉教会になり、同根の群れとして、協力伝道をし、今日、60周年の合同礼拝が献げられますことはたいへん感謝なことです。私は三田で開拓の途上にあるので、今日の講壇に立つにはしんどさを感じますが、経緯を最も知っている牧師として、お話をさせていただきます。
 では豊中使徒教会の始まりとその後の流れと、すべての教会の出発点であった初代教会の始まりを重ねてみようと思います。

 「五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した」。
 神は実に劇的な出来事を起こされました。耳には響き渡る風のような音を聞かせ、目には舌のような別れた炎を見させ、口には多種の民族にわかる他国の言葉を語らせたのです。それは聖霊が天から降ったしるしです。主イエスの約束、ヨエルの預言が成就して、聖霊の時代が来たのです。
 霊のことは解りにくいもの。ニコデモに主イエスはこう言われました。「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。霊から生れる者もみな、それと同じである」(ヨハネ3:8 )。聖霊の風は神の思いのままに吹き、私たちはその響きを聞くけれど、どこへ行くかは知らないという、聖霊の自由さがあるです。
 聖霊の風が吹き出し、ペテロは大胆にイエス・キリストの十字架と復活の福音を語り出しました。集まって聞いていた人たちのうち、約3000人が悔い改め、信じてバプテスマを受け、聖霊の賜物に与りました。この風はおさまらず、次々と救われる人が教会に加えられていくのでした。ユダヤ教では異端だとして、ユダヤ当局がこれを押さえ込もうとします。迫害がエスカレートしていきます。ヤコブやステパノなどの殉教者が出ますが、内側から吹き出てくる聖霊の勢いを止められません。また、散らされていったクリスチャンはそこで証詞をするので、風は拡散していくのです。
 聖霊は迫害者サウロ青年を捕らえます。回心し、パウロと名を改め、異邦人宣教の使徒として召され、3回にわたって、同行者を得て、伝道旅行に送り出されます。帆船(はんせん)を風が推し進めるように、聖霊の風が伝道を推し進めました。第二次伝道旅行の途中では聖霊の風が吹かないことがありました。風向きが変わり、マケドニアに向かわせました。小アジアからヨーロッパへと宣教へと展開していくのです。第三次伝道旅行では途中では聖霊の風は逆方向に吹きます。危険だからと周りが反対するのですが、エルサレムへと押し出します。そこで騒動が起こり、囚人として、ローマ行きの帆船に乗って、船出します。海上でユーラクロンという大嵐にあい、難破しますが、聖霊の風は乗船員を無事にイタリヤに届けました。遂にパウロはローマで軟禁されながら、世界の中心地で聖霊の追い風に身をまかせ、活動していきます。やがて、世界中に聖霊の風が吹いていくのです。

 風にも追い風、向かい風、そよ風とあります。私たちの群れに聖霊の風はどんな風に吹いたのでしょうか。
 私たちの群れに最初の風がまき起ったのはこうです。1955年3/3-4、日本福音連盟総会が開かれ、日本ホーリネス教団の総理、車田秋次師が大阪に来られた時のことでした。そこに松井えき姉が会いに行き、こう頼みました。「私は神田教会で先生から洗礼を授けていただきました。結婚して、豊中にいるのですが、ホーリネスの教会が欲しいのです」。すると翌年の4月に神戸教会の斉藤源八師が来てくださり、松井宅で家庭集会が始まりました(主人の栄太郎兄は日本基督教団豊中教会員だったのだが)。ホーリネスの説教にひかれ、人が集まってくるようになりました。1956年7月8日、仮集会所において「豊中使徒教会」が開設され、その時の受洗者が4名でした。その年の10月に松村悦夫師が初代牧師として派遣された。それはそよ風だったが、だんだんと追い風となっていきました。
 そして、岡上の町の松井栄太郎商店の倉庫の二階が礼拝堂に提供されて、長く使わせていただきました。しかし、借り物、自分たちの会堂を持つことを総会で決議、歩いて10分の所、中桜塚の物件を得て、転居することとなりました。聖霊の風向きが外向きへと変わっているのです。松本三郎牧師をはじめ全員移転するはずでした。ところが、残るという人たちが現れ、教会が分裂の危機にさらされました。人間関係の嵐です。しかし、聖霊がその嵐を静めていきました。その時、教団委員長が初代の松村師だったこともあり、思い入れも強く、委員長の強い執行権を行使し、豊中使徒教会から株分けする形にしました。1980年9月1日、豊中泉教会が設立。81年3月22日、献堂式と事は進みました。泉丸という船は聖霊の強い追い風を受け、加速をつけて進んでいくことになるのです。不満がまだ治まっていなかったので、82年5月5日、正式な株分け作業をし、聖霊の風の通りを良くし、使徒丸の船も泉丸の船も聖霊の風を受け、それぞれ独自の航路を行くことになりました。
 もう一つの風が起こっていました。さかのぼって、1977年10月、宝塚市でホーリネスの二家族が家庭集会を始めました。T姉に「この町にはわたしの民が大ぜいいる」のみ言葉が示されていたからです(使徒18:10)。受洗者、献身者が起こされますが、近くの教会にゆだました。福音的な教会、ホーリネス教会が必要だとずっと祈っていました。時が来ました。聖霊の旋風(せんぷう)が起こるのです。1981年、それを豊中泉教会に願い出ると、82年1月の臨時総会が開かれ、宝塚開拓が決議さます。すぐ2月には宝塚市中筋山手の土地を寄付すると、ある婦人から申し出がありました。3月にはプレハブ仮会堂を設置し、5月には集会開始します。1984年4月1日、株分けし、宝塚泉教会が設立しました。10月には新会堂(一期工事)完成。大変な勢いでした。
 豊中使徒教会にも良い風が吹き、祝され、人も増えていったのですが、やはり、会堂は借りもの、1990年、そこを出る必要に迫られました。逆風が吹いたのです。11月25日の臨時総会を経て、1991年1月1日、豊中使徒教会は豊中泉教会に統合されました。事情でそうなったのではないのです。「見よ、わたしはエフライムの手にあるヨセフと、その友であるイスラエルの部族の木を取り、これをユダの木に合わせて、一つの木となす。これらはわたしの手で一つとなる」とのみ言葉が臨んで統合したのです(エゼキエル37:19)。統合記念礼拝には100名が集まり、一同感動しました。ただ、統合に伴う痛みがあったことを忘れてはなりません。
 もう一つの風が起こっていました。10年以上前から、箕面で家庭集会がなされ、箕面開拓が使徒教会のビジョンでした。統合で、時到来ととらえ、統合と開拓をセットの方針を立てました。1991年4月1日、豊中、宝塚から株分けし、みのお泉教会が設立されました。そして、1993年11月、箕面市小野原に新会堂が完成しました。み言葉を示し、聖霊が箕面に向かわせたのです。「シオンの義が朝日の輝きのようにあらわれいで、エルサレムの救が燃えるたいまつの様になるまで、わたしは…黙せず…休まない」(イザヤ62:1)。
 聖霊の風はやまないのです。統合、開拓の年の11月には宝塚泉教会の会堂二期工事を着工。翌1992年3月に完成しました。立派な会堂です。宝塚泉教会には最初の献堂式から、三田開拓の祈りがありました。1994年、豊中からT姉が三田に引っ越したのが契機でした。彼女は宝塚泉教会の礼拝に通っていました。しかし、1995年1月17日、阪神・淡路大震災。宝塚泉教会のG姉と義母の方の二人が全壊の家の下敷きになり犠牲になりました。たいへんなショック。姉妹は三田のため祈っていた人でした。その祈りを無駄にしてはならないと、1995年、家庭集会を続けました。聖霊の流れが来ていました。多い時は20名も集まるのです。1996年には祈祷会、会場を借りて月1~2回礼拝を開始しました。何より、「この川が流れる所では、すべてのものが生き返る」とのみ言葉に導かれたからです(エゼキエル47:9)。震災という向かい風を追い風に変えていただいたのです。三田市西相野の中古の農家を購入し、1998年4月1日、宝塚泉教会から株分けされて、三田泉教会が設立したのです。
 まだ、やり残していたことがありました。三泉教会を産み出してきた、もとの豊中泉教会の会堂はすっかり老朽化していました。しかし、主は忘れてはおられませんでした。大きなうねりを起こしたのです。2008年7月31日、蛍池の土地146坪を購入し、そして、驚くべきことに、2011年10月15日、150名収容可能な、見事な新会堂が完成したのです。土地9千万円、会堂1億3千万円、合計2億2千万円の必要が瞬く間に集まり、現在、借入金はないのです。どれほど、強い聖霊の追い風が吹いたでのしょうか。
 泉グループは「ヨセフは…泉のほとりの実を結ぶ若木、その枝はかきねを越える」のみ言葉に導かれているのです(創世49:22)。60年という間、聖霊の風が吹いて、み業がなされてきたのであり、今も、四泉教会に追い風はやまず、吹き続けているのです。私たちは聖霊の風をキャッチしようではありませんか。聖霊の風に帆を広げようではありませんか。よどまないように、聖霊の風通しの良い霊性を持ちましょう。思いのままに吹く聖霊の風に身を任せていこうではありませんか。