2012年4月8日 イースター・召天者記念礼拝(マタイ27:62-28:15)岡田邦夫
「ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。来て、納めてあった場所を見てごらんなさい。」マタイ28:6
私、東京の柳橋にあるウェスレアン・ホーリネス神学院にT兄が入学するというので、奥様が出席。出身教会の牧師ということで私も入学式に出席させていただきました。その帰りに思い立って、子どもの頃、住んでいた日暮里という所に行ってみました。住んでいた所もマンションが建ち、すっかり風景は変わっていました。子どもの時、広く思えた道路は今見れば狭い。遠いと思えた小学校までの道、今歩いてみれば近い。広く思えた校庭も猫の額のように狭い。47年ぶりにそこに立ってみると様々な想い出がわいて出てきます。特にそのことがあって、人生が決定づけたれたのではないかという出来事がありました。その小学校は丘に面して建っていて、正門は二階。校庭から二階の教室には外付けの階段がありました。三年生の時にその階段から下に飛び降りて遊んでいると、着地に失敗し、左足を骨折。当時ボルトで固定するようなことをせず、療養所のような所に入院して、ただ骨がつくのを待つというもの。そうして学校を休んでいる間、母が算数を教えてくれたのが功を奏して、登校した時のテストでたまたま良い点でした。休んでいる人間が出来ているのに、君たちはどうして出来ないのかと先生が生徒全員にげきをとばしたのですが、私は自分が誉められたと勘違いしてしまったのです。それがきっかけで算数、数学が好きになり、得意になり、すっかり理系の人間になっていました。それで、工業化学科のある高校に進学。通学は先ほどの神学院のある浅草橋で総武線に乗り換え、錦糸町で降りて都電に乗るというものでした。三年生の時に錦糸町の都電乗り場でキリスト教の集会のチラシをもらったことから、教会へ行くようになり、キリスト者となり、牧師になったというわけです。私にとって階段から飛び降りて骨折するような愚かしい事があってこそ、今日、神の救いを得ているのだと思います。その出来事の「記録」は何もないのですが、「記憶」にはしっかりとあります。
◇記憶に残る…弟子たちの
金曜日、イエス・キリストの遺体が十字架から降ろされ、墓に葬られ、弟子たちによって遺体が盗まれないようにと、墓に封印がおされ、しっかりと番兵が墓の番をしたというのが事実です。土曜安息日が終わって、週の初めの日・日曜日の明け方、マグダラのマリヤとほかのマリヤが墓を見に来たのです。すると不思議なことが起きました。聖書を読んでみましょう(28:2ー8)。
「すると、大きな地震が起こった。それは、主の使いが天から降りて来て、石をわきへころがして、その上にすわったからである。その顔は、いなずまのように輝き、その衣は雪のように白かった。番兵たちは、御使いを見て恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。すると、御使いは女たちに言った。『恐れてはいけません。あなたがたが十字架につけられたイエスを捜しているのを、私は知っています。ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。来て、納めてあった場所を見てごらんなさい。ですから急いで行って、お弟子たちにこのことを知らせなさい。イエスが死人の中からよみがえられたこと、そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれ、あなたがたは、そこで、お会いできるということです。では、これだけはお伝えしました。』そこで、彼女たちは、恐ろしくはあったが大喜びで、急いで墓を離れ、弟子たちに知らせに走って行った」。
イエス・キリストは事実、よみがえられたのです。主は記録となるようなもの記念となるようなものは何も残されませんでした。当局も弟子たちが遺体を盗み出したことにして、記録を残さないようにしました。しかし、弟子たちや付き従う女性たちの記憶には鮮明に、しかも、喜ばしい記憶として、強烈に残りました。「すると、イエスが彼女たちに出会って、『おはよう。』と言われた。彼女たちは近寄って御足を抱いてイエスを拝んだ」(28:9)。
歴史上の事実としてはイエスの遺体がおさめられたはずの墓が空っぽになっていたということで、復活を示す記録となる証拠はありません。しかし、歴史を越えた事実、神の国の事実があるのです。復活の主に出会った弟子たちの記憶の中にあったのです。生きた記録、証拠と言えます。歴史遺産としてではなく、生きた記憶として、代々引き継がれ、今日の私たちキリスト者にも受け継がれているのです。そして、事実、復活の主は今も私たちに出会ってくださるのです。
◇記憶に残る…キリストの
そのようなわけで、主イエスは死に勝利をされ、死人の中にはおられず、栄光の姿に復活されたのです。そして、復活された主イエスは女たちに、こう言われました。「恐れてはいけません。行って、わたしの兄弟たちに、ガリラヤに行くように言いなさい。そこでわたしに会えるのです」(28:10)。弟子たちのは死者を葬る墓で会うのではなく、生前、生活をしていたガリラヤで会うと言うのです。かつて網を打って漁師をしていた所、ある者は収税所で坐っていた所、そこで主と出会い、弟子となり、3年過ごした所で再び会われるというのです。3度もイエスを知らないと言ったり、主が最も苦しい十字架の受難の時にはみんな逃げてしまった弟子たち、会わせる顔がないのですが、イエス・キリストには大切な選びの弟子として、記憶の中に鮮明にあったのです。復活の主は記憶する弟子たちだけに会われたのです。
最後の日が来た時に、罪ある者、神に反逆する者には、あなたは私の記憶にはないと厳しいですが再臨のイエス・キリストに捨てられるのです。しかし、主を信じる者たちは、十字架の贖いという福音によって、あなたは私の記憶にあると証言されて、主と同じ栄光の姿、復活のからだにかえられて、新天地において、神と共にあることが出来るのです。世界の歴史に名を残すより重要なのは、神の記憶に残していただけるかどうかなのです。どんなに罪深い人間でも、ただ、イエス・キリストを信じるだけで、十字架と復活の福音を信じるだけで、父なる神の記憶に残していただけるのです。「信じない者にならないで、信じる者になりなさい。見ずに信じる者は幸いです」(ヨハネ20:27、29)。
「ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。来て、納めてあった場所を見てごらんなさい。」マタイ28:6
私、東京の柳橋にあるウェスレアン・ホーリネス神学院にT兄が入学するというので、奥様が出席。出身教会の牧師ということで私も入学式に出席させていただきました。その帰りに思い立って、子どもの頃、住んでいた日暮里という所に行ってみました。住んでいた所もマンションが建ち、すっかり風景は変わっていました。子どもの時、広く思えた道路は今見れば狭い。遠いと思えた小学校までの道、今歩いてみれば近い。広く思えた校庭も猫の額のように狭い。47年ぶりにそこに立ってみると様々な想い出がわいて出てきます。特にそのことがあって、人生が決定づけたれたのではないかという出来事がありました。その小学校は丘に面して建っていて、正門は二階。校庭から二階の教室には外付けの階段がありました。三年生の時にその階段から下に飛び降りて遊んでいると、着地に失敗し、左足を骨折。当時ボルトで固定するようなことをせず、療養所のような所に入院して、ただ骨がつくのを待つというもの。そうして学校を休んでいる間、母が算数を教えてくれたのが功を奏して、登校した時のテストでたまたま良い点でした。休んでいる人間が出来ているのに、君たちはどうして出来ないのかと先生が生徒全員にげきをとばしたのですが、私は自分が誉められたと勘違いしてしまったのです。それがきっかけで算数、数学が好きになり、得意になり、すっかり理系の人間になっていました。それで、工業化学科のある高校に進学。通学は先ほどの神学院のある浅草橋で総武線に乗り換え、錦糸町で降りて都電に乗るというものでした。三年生の時に錦糸町の都電乗り場でキリスト教の集会のチラシをもらったことから、教会へ行くようになり、キリスト者となり、牧師になったというわけです。私にとって階段から飛び降りて骨折するような愚かしい事があってこそ、今日、神の救いを得ているのだと思います。その出来事の「記録」は何もないのですが、「記憶」にはしっかりとあります。
◇記憶に残る…弟子たちの
金曜日、イエス・キリストの遺体が十字架から降ろされ、墓に葬られ、弟子たちによって遺体が盗まれないようにと、墓に封印がおされ、しっかりと番兵が墓の番をしたというのが事実です。土曜安息日が終わって、週の初めの日・日曜日の明け方、マグダラのマリヤとほかのマリヤが墓を見に来たのです。すると不思議なことが起きました。聖書を読んでみましょう(28:2ー8)。
「すると、大きな地震が起こった。それは、主の使いが天から降りて来て、石をわきへころがして、その上にすわったからである。その顔は、いなずまのように輝き、その衣は雪のように白かった。番兵たちは、御使いを見て恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。すると、御使いは女たちに言った。『恐れてはいけません。あなたがたが十字架につけられたイエスを捜しているのを、私は知っています。ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。来て、納めてあった場所を見てごらんなさい。ですから急いで行って、お弟子たちにこのことを知らせなさい。イエスが死人の中からよみがえられたこと、そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれ、あなたがたは、そこで、お会いできるということです。では、これだけはお伝えしました。』そこで、彼女たちは、恐ろしくはあったが大喜びで、急いで墓を離れ、弟子たちに知らせに走って行った」。
イエス・キリストは事実、よみがえられたのです。主は記録となるようなもの記念となるようなものは何も残されませんでした。当局も弟子たちが遺体を盗み出したことにして、記録を残さないようにしました。しかし、弟子たちや付き従う女性たちの記憶には鮮明に、しかも、喜ばしい記憶として、強烈に残りました。「すると、イエスが彼女たちに出会って、『おはよう。』と言われた。彼女たちは近寄って御足を抱いてイエスを拝んだ」(28:9)。
歴史上の事実としてはイエスの遺体がおさめられたはずの墓が空っぽになっていたということで、復活を示す記録となる証拠はありません。しかし、歴史を越えた事実、神の国の事実があるのです。復活の主に出会った弟子たちの記憶の中にあったのです。生きた記録、証拠と言えます。歴史遺産としてではなく、生きた記憶として、代々引き継がれ、今日の私たちキリスト者にも受け継がれているのです。そして、事実、復活の主は今も私たちに出会ってくださるのです。
◇記憶に残る…キリストの
そのようなわけで、主イエスは死に勝利をされ、死人の中にはおられず、栄光の姿に復活されたのです。そして、復活された主イエスは女たちに、こう言われました。「恐れてはいけません。行って、わたしの兄弟たちに、ガリラヤに行くように言いなさい。そこでわたしに会えるのです」(28:10)。弟子たちのは死者を葬る墓で会うのではなく、生前、生活をしていたガリラヤで会うと言うのです。かつて網を打って漁師をしていた所、ある者は収税所で坐っていた所、そこで主と出会い、弟子となり、3年過ごした所で再び会われるというのです。3度もイエスを知らないと言ったり、主が最も苦しい十字架の受難の時にはみんな逃げてしまった弟子たち、会わせる顔がないのですが、イエス・キリストには大切な選びの弟子として、記憶の中に鮮明にあったのです。復活の主は記憶する弟子たちだけに会われたのです。
最後の日が来た時に、罪ある者、神に反逆する者には、あなたは私の記憶にはないと厳しいですが再臨のイエス・キリストに捨てられるのです。しかし、主を信じる者たちは、十字架の贖いという福音によって、あなたは私の記憶にあると証言されて、主と同じ栄光の姿、復活のからだにかえられて、新天地において、神と共にあることが出来るのです。世界の歴史に名を残すより重要なのは、神の記憶に残していただけるかどうかなのです。どんなに罪深い人間でも、ただ、イエス・キリストを信じるだけで、十字架と復活の福音を信じるだけで、父なる神の記憶に残していただけるのです。「信じない者にならないで、信じる者になりなさい。見ずに信じる者は幸いです」(ヨハネ20:27、29)。