オアシスインサンダ

~毎週の礼拝説教要約~

魚にのみこまれたヨナ

2010-09-19 00:00:00 | 礼拝説教
2010年9月19日 主日礼拝(ヨナ書1:1~2:10)岡田邦夫


 「主は大きな魚を備えて、ヨナをのみこませた。ヨナは三日三晩、魚の腹の中にいた。」ヨナ書1:17

 「むかしむかし,あるところに,浦島太郎という若い漁師が母と二人で暮らしていました。ある日…」。良く知られた浦島太郎のおとぎ話です。この話の元になった伝説は内容も違うし、諸説があるようです。また、深層心理学から解釈をする人もいます。旧約聖書の預言書におとぎ話なのかと思わせるような書の一つにヨナ書があります。ヨナという人が大きな魚にのみこまれ、三日間もいて、岸にはき出され、助かったという話です。現代人はそれはあり得ない、創作の文学作品だと言うかも知れませ。しかし、これは「預言書」だということです。決して、人間の深層心理を神話形式で記された作品ではありません。神の言葉を預かって、私たちにメッセージを伝えている預言書であり、神の聖霊によって書かれたものと認められた聖書なのです。

 「聖書」というように他の書とは違う、聖なる書であり、人の言葉で書かれてはいるが、神の言葉として権威ある書なのです。旧約39書、新約27書の計66書をキリストの教会が「正典」と定めたのです。それは、ジグソーパズルのように、66の各書の色々な形のピースが、正典という枠の中にぴったりと、神の手で収まったのです。ですから、聖書はこれ以上、足しても、引いても、成り立たないのです。
 大相撲というのは実績のある限られた力士しか、土俵には上がれません。土俵に上がってしまえば、横綱も平幕もありません。対等にぶつかり合います。そのように、また、各書は均一ではなく、それぞれ個性を持っていますから、正典という土俵で、主張がぶつかり合います。しかし、主イエス・キリストの救いということにおいて統一しているのです。特に旧約最後の12の小預言書は短いだけに各書の相違が見られます。例えば、ナホム書はアッスリアの首都ニネベは神の正義によって、陥落すると預言し、ヨナ書は今日、話しますように、異邦の首都ニネベへの宣教によって、滅亡からまぬかれる話です。一方は排他的で一方は包容的に一見、対立して見えますが、正典の場において統一され、まとまりを見せていることは確かです。それが聖書というものです。

◇私の歴史の主人公は「私」
 では、外から眺めれば、たいへん面白いストーリーのヨナ書を見てまいりましょう。預言者アミタイの子ヨナというのは、イスラエル北王国のヤロブアム2世の時代に、領土の回復を預言し、「主が…ヨナを通して仰せられたとおりであった」という、2列王記14:25に記された、その人物と思われます。ヨナへの宣教命令が下されます。「立って、あの大きな町ニネベに行き、これに向かって叫べ。彼らの悪がわたしの前に上って来たからだ」(ヨナ1:2)。ヨナはそんな異邦人の地、アッスリヤなどに行きたくはありません。正反対の方向、スペインのタルシシュへに行こうとします。主の御顔を避けての行動です。地中海沿岸のヨッパの港に来ました。そこにお目当てのタルシシュ行きの船がありました。そこで、主の御顔を避けて、もう一歩踏み出します。船賃を払って乗船します。船はタルシシに向かって、出帆します。ヨナは船底に降りて行き、疲れたのか、横になり、ぐっすり寝込んでいました。
 ところが海に激しい暴風が起こり、それは尋常ではなく、船は難破しそうになりました。こういう時、人はどうするでしょう。人生の嵐にもみくちゃにされた時、どうしましょうか。人事を尽くして天命を待つが常でしょう。船長に命じられて、水夫たちは、船を軽くしようと懸命に船の積荷を海に投げ捨てました。また、不安でたまらないから、それぞれ、自分の神に向かって叫んでいました。しかし、一向に嵐は収まりません。切羽詰まったのか、船長は船底のヨナに、何で寝ているのか、あなたも祈れと命じます。水夫たちはパニック、誰かのせいで、このわざわいが起きたのだと言いだし、犯人捜しをします。それをくじで見つけようということになります。くじは何とヨナに当たってしまいました。そこで彼らはヨナを追求します。「だれのせいで、このわざわいが私たちに降りかかったのか、告げてくれ。あなたの仕事は何か。あなたはどこから来たのか。あなたの国はどこか。いったいどこの民か」(1: 8)。
 そこで、ヨナは、自分はヘブル人で、海と陸を造られた天の神、主を礼拝しており、主の御顔を避けてのがれようとしていることを告げます。そして、海を静めるために、「私を捕えて、海に投げ込みなさい。そうすれば、海はあなたがたのために静かになるでしょう。わかっています。この激しい暴風は、私のためにあなたがたを襲ったのです。」と、覚悟を決めて答えました(1:12)。そんなことは出来ない、彼らは懸命に陸に向かってこぐのですが、船は嵐にほんろうされるだけ、人の力ではだめなのです。そこで、彼らはヨナの信じる神、主に祈って、ヨナを海に投げ込んでしまいます。「ああ、主よ。どうか、この男のいのちのために、私たちを滅ぼさないでください。罪のない者の血を私たちに報いないでください。主よ。あなたはみこころにかなったことをなさるからです」(1:14)。すると、驚いたことに、嵐は収まり、海は静かになったのです。人々は今祈った「主」という方を恐れ、航海安全のため誓願をたてたと聖書に記されています。

◇私の歴史の主人公は「主」
 ここで聖書はこれらの出来事の主人公は「主」だと明記しています。嵐は自然に起きたのではなく、「主が大風を海に吹きつけたので、海に激しい暴風が起こ」ったのだということ(1:4)。ヨナが海に投げ込まれて、偶然助かったのではなく、「主は大きな魚を備えて、ヨナをのみこませた。ヨナは三日三晩、魚の腹の中にいた。」のだということ(1:17)。そして、「主は、魚に命じ、ヨナを陸地に吐き出させた。」のだということです(2:10)。それにしても、人が巨大魚に飲み込まれて、生還してきたなどとは前代未聞の出来事です。しかし、預言書の焦点は「主」であり、その主に対する人のあり方です。「ヨナは魚の腹の中から、彼の神、主に祈って、言った」という祈りの言葉を1章を費やして残すほど、悔い改めの祈りは重要なことなのです(2章)。この祈りを要約しますと、
 「あなたは私を海の真中の深みに投げ込まれました。水は、私ののどを絞めつけ、深淵は私を取り囲みました。私がよみの腹の中から『私はあなたの目の前から追われました。しかし、もう一度、私はあなたの聖なる宮を仰ぎ見たいのです。』と叫ぶと、あなたは私の声を聞いてくださいました。私の神、主よ。あなたは私のいのちを穴から引き上げてくださいました。私のたましいが私のうちに衰え果てたとき、私は主を思い出しました。私は、感謝の声をあげて、あなたにいけにえをささげ、私の誓いを果たしましょう。救いは主のものです」。
預言者が言いたいことは「私は主を思い出しました。…感謝の声をあげて…私の誓いを果たしましょう。」という自分自身の悔い改めです(2:7、9)。主に背を向け、タルシシに向かったが、主に止められ、今は主に心を向け、喜んで主の命令に従って行きますという悔い改めです。聖書正典という中でのヨナ書のメッセージはニネベの宣教、すなわち、世界宣教です。主にあっての広い視野と包容さを持っています。そして、その前に必要なのは、自分たちが選ばれた民ということで、異邦人を拒否する「選民意識」が砕かれることです。主にあっての深い内省と謙虚さを持っています。ヨナ書は広い視野と包容さと深い内省と謙虚さとの両極を実にみごとに描いています。神に立ち返れと悔い改めを迫る者がまず、自らが悔い改める必要があるのです。「私は主を思い出しました。…感謝の声をあげて…私の誓いを果たしましょう」。
 新聖歌の配列で、冒頭がⅠ礼拝で、その初めが「賛美・感謝」、次が「悔い改め」です。賛美・感謝と悔い改めとは一対のものなのです。先週のメッセージは2歴代誌20章から、賛美がテーマでした。はからずも今週のテーマは悔い改めですから、ちょうどマッチしています。私たちは主日礼拝ごとに賛美・感謝を重んじると共に悔い改めも重きをおきましょう。悔い改めることを主はお望みです。悔い改めることから、魂が晴れてきます。「かつてはわれ良きものを求めて、主を忘れたり」…「主を用いず主にわれの用いらるる幸(さち)いかに」と賛美しましょう(新聖歌346)。今日、私たちはヨナと共に主を第一することを忘れていましたが、今は御顔のあるところで、主を第一にすることを思い出しました。感謝の声をあげて、主に従いますと祈りましょう。そこから、天の世界が開かれていき、宣教の世界が開かれていくのです。「逃亡者、悔い改めて、いざニネベ」
 私は東京の柴又教会で副牧師をしていたのですが、転任になって、愛媛の壬生川教会に遣わされました。この地に慣れ親しみ、ここに骨を埋めるつもりで伝道しておりました。しかし、何年経っても「東京の人」と紹介され、この地の人と親しくなっても、「よそもの」と意識されていることは明らかでした。5年過ぎた頃から、それがたまらなく辛く、ホームシックにかられました。そのような頃に、村上宣道師を講師とする「四国聖会」があり、私が司会していた集会で、聖霊に示され、全会衆の前で「この地に主に遣わされて、私は従います、主に献身しますと言っていながら、東京に帰りたい、ここは不服だと思っています。これは神への不従順、偽善です。悔い改めます。」と涙をもって告白しました。そして、そこで伝道に専念し、それから、2年後、開拓を示され、近畿に任命されて来ました。もし、あの時、悔い改めていなかったら、この三田の開拓もなかったかも知れません。