ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

ダサい

2024-08-22 09:11:30 | 日記

私が初めて自分の車として父に渡された車は本田のシビックだった。

小さいが良く走る車で、欠点はあったが私はけっこう気に入っていた。その次の車はホンダの初代プレリュードでデザインは少しダサいが、天井にブラインドがあるタイプで車を停めて夜空を見上げることが出来ることが気に入っていた。

そして自分で初めて買った車もシビックだった。しかもマニュアルシフトであり、大垂水峠をよく一人で走りに行ったものだ。運転はさほど上手くないので週末は避けるヘタレであった。でもあのシビックはエンジンの回転数を2千から三五〇〇程度に保持すると、エンジン音が気持ちよく、山道を快適に駆け抜けることが出来た。

以来三〇年近く、ひたすらホンダの車を乗り続けてきた。だから電気系統が弱いとか、シートがへたれ易いなどの欠点は嫌ってほど知っている。だがエンジンは快適であり、燃費も良く、なにより車を操作する快感があった。これはいくらトヨタの車の出来が良くても、真面目過ぎる車からは味わえない悦楽である。

だが心臓を悪くしてからは車を手放した。さすがに運転中に心室細動などが起きて事故を起こす可能性を否定しきれなかったからだ。実際、ICD(除細動器)の埋め込み手術を受けて退院後だが、二回ほど発作を起こしていることがICDのログに残っている。私は3秒程度の目眩だと感じていたが、実際には10秒近い失神状態であった。

これは怖かった。だから車を手放したことは後悔していない。とはいえICD埋込患者の生活指針では、2年以上何事もなければ運転再開は可能だとされている。もう三年目に入るので、そろそろ新車を買おうかと思っているが、取り敢えずは次のペースメーカー外来での診察次第だ。

長年HONDA党の私ではあるが、多分次は買わない。理由は簡単でデザインがダサ過ぎる。本来ならば候補に挙がるはずの新型フリードがその典型だ。これが商用車ならば、まぁまぁお洒落と云えるかもしれない。しかし、メインで乗る普通車としてはダサ過ぎる。

残念なことにおそらく塗装の質感は数段良くなっているし、内装だってそう悪い質感ではないはず。いざハンドルを握って走り出せば軽快だろうし、燃費も良いだろうと予測できる。だけど、あの外観はあんまりだ。まったくワクワク感がない。かつてのHONDAには、トヨタにも日産にもない快活さがあった。その魅力が失われている。

実は初めてではない。以前にも何度かデザインがダサ過ぎると思わせることが十数年おきにあった。まだ悪い癖が直っていない。

まだ決めてはいないけど、次はハイブリッド・エンジンを搭載する予定のスバル車になるかもしれません。実は何度か同乗しているのですが、けっこう気に入っています。特に安全運転装置のアイサイトは魅力的。これで燃費さえ良ければなぁ~と思っていたので、ハイブリッド・エンジン搭載はとても気になる情報なのです。

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動く政局

2024-08-20 12:42:45 | 社会・政治・一般

臆病者は生き残る。

岸田首相が事実上の退陣を宣した。すなわち次の総裁選には立候補しないということだ。その判断に過ちはない。正直次の衆院選挙で岸田を顔にしては勝てない。

思えば初手をしくじったと思う。本来、自民党総裁の座を狙えるような大派閥の親分ではない。あくまで与党内の少数派に過ぎなかった。ただ暗殺された安倍・元首相の存在が大きすぎた。後継の菅首相も安倍派を背景にしているからこそであり、本来は党内の大物ではなかった。

まして岸田は小規模な派閥の長に過ぎず、党内の人望は薄かった。だが正統派の政治家として、首相になれるチャンスを逃すほど間抜けではなかった。ただ余裕がなかったと思う。旧安倍派などの大派閥の支持は不確定であり、党内の少数派との連携にも自信がない。良くも悪くも宗教団体との繋がりが浅く、連立相手の公明党とも親しくはない。

妙な言い方だが、小物ではないが大物でもない中途半端感が、他の派閥から期待されてしまった。岸田氏当人にとっては綱渡りで首相の座へたどり着いたようなものだったのだろう。だから不安で仕方なかった。それ故に禁じ手にも手を出してしまった。

「聞く力」をアピールするのは良い。これこそ野党にはない姿勢なのだから。ただ話を聞く相手を間違えた。よりにもよって穏健で保守本流を強く自覚している自民党の根強い支持者たちがもっとも嫌う意見に耳を傾けただけでなく、それにお墨付きを与えてしまったのが岸田首相だった。

少しでも支持者を増加させたい岸田首相の必死さがうかがわれるが、自民党内でも少数意見に過ぎないLGBTの推進を望む人たちに媚び売ったことは、ある意味致命的な失策であった。いや、少数派だからこそ安直に扱えるとでも考えたのだろうか。

おかげで岸田政権は、公明党からも与党内部からも強い支持を得られぬ弱体政権となった。焦りに焦った岸田首相はよりにもよって最大派閥である安倍派の切り崩しにかかった。これは戦略としては正しかった。でもやり方が稚拙だった。

長年自民党内で少数派の悲哀を味わっていた小泉・元首相はその点狡猾だった。政治の浄化を訴え「自民党をぶっ壊す」と叫びながら、実際には当時自民党を仕切っていた竹下派を公共事業削減、郵政民営化により兵糧攻めにした。自分は表面には出ても、決して自らの手を汚さず、不満を抱えていた霞が関の官僚たちにやらせる卑劣さを、さわやかな笑顔で誤魔化した。

残念ながら実直に過ぎた岸田首相には小泉氏が持っていた卑劣さ、厚かましさ、狡猾さが全く足りなかった。だから次期総裁選に出馬して二期目を目指そうとしても、党内主流派からの支持はなく、退陣を選択せざるを得なかった。

だが煮ても焼いても首相は首相である。自ら傷つくことなく身を引き、今後の政局に関与する気は満々だと思う。麻生も菅もいずれ消えるし、対抗馬はいない。岸田首相は勇敢でもなく、賢明でもないが、臆病者の狡さは持っているようだ。

馬鹿にする向きは多いと思うが、侮らないほうが良いと思います。可能性は低いですが、屈辱と共に退陣した第一次安倍内閣の復活を誰が予想したでしょう。お坊ちゃまの麻生にそこまで執念はないし、どこか淡々として汚れた場所に踏み込まない菅には情熱が欠ける。

まだまだ若い岸田には、まだ心の奥底に執念が熾火のように残っていると思いますよ。

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はるかなる風と光 美内すずえ

2024-08-19 09:17:49 | 

日本の漫画が世界中に広まりつつある。

それは確かな事実だが、広まっているのは専ら少年漫画である。つまりもう一つの一大分野である少女漫画は意外なほど広まっていない。

もちろん例外もある。欧米のみならず北欧や東欧での「美少女戦士セーラームーン」の人気は凄まじく冬季五輪のフィギュアスケートの女性メダリストたちは熱烈なファンであることを公言している。またフランス革命を舞台とした「ベルサイユのバラ」は西欧では神アニメとされている。決して人気がない訳ではない。

しかし少女漫画の世界の広さ、深さはもっと凄い。私は年の近い妹が二人もいた関係で、けっこう少女漫画を読んでいたから知っている。もっといえば、少年漫画を描いている女性漫画家も多数いることも知っている。「鋼の錬金術師」の荒川弘や「鬼滅の刃」の吾峠呼世晴が女性漫画家であることは、もう有名だと思う。

今や漫画家における男女比は女性が優勢であり、女性漫画家なしでは少年漫画も立ち行かないほどだ。ある意味、ジェンダー平等をもっとも実現した分野なのだ。もっとも日本を男女差別の激しい国だと規定して反日自虐に夢中な方々は興味がないご様子。全く勝手なものだ。

ところが少女漫画となると呆れるほどに世界には知られていない。っつうか翻訳されていない。そのことは欧米の少女漫画ファンをして日本語を学ぶ動機となっている。いや本当に彼女らの日本語学習の動機が少女漫画を原語で読みたいからになっているほどである。

実際、山岸涼子や美内すずえ、里中満知子などのヴェテラン勢の作品は十分世界に通じると私は考えている。ただ欧米でもアジア、中東でも漫画は男の子向けであり、女の子向けの漫画には驚くほど無知である。実に残念だ。

ちなみに表題の作品ではナポレオンが描かれているが、私が彼を知ったのはこの作品が最初だった。もちろんフランス革命は「ベルばら」からだ。予想というよりも確信に近いのだが、そう遠くないうちに、日本の少女漫画が世界を席巻する日も近いと思います。

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博打の才能

2024-08-16 09:33:43 | 経済・金融・税制

私には賭博に才能がない。

そのことに気が付いたのは大学受験浪人の時だ。代ゼミの午後クラスという遊び人もしくは朝が起きれない人向きのクラスであり、そのせいで遊び仲間が増える始末であった。

私は朝を起きるのは平気だが、午前中は地元のパチンコ屋の「モーニング台」でひと稼ぎするのが慣習となっていた。だから午後のクラスは理想的であった。

地元で遊んでいるうちは良かったが、そのうち代々木の駅前のパチンコ屋の換金率が良いことを午後クラスの遊び仲間から聞き、午後はそこで稼ぐようになった。しかし所詮私はよそ者だ。私が荒稼ぎしていることが次第に地元の常連客に知られてしまった。

私のパチンコ必勝法は、毎日ノートに出玉の良い台を記録して、出る台を予想して狙う単純なものだ。今は知らないが、当時は店のマネージャーが営業終了後に天釘を調整したりして、出やすい台を設定して客寄せパンダにする店が多かった。だからその客寄せ用の台を毎日チェックして、その台を中心に打てば確実に稼げた。

新参者の私が荒稼ぎをしていることに、地元の常連客が妬み、結果私は店の裏の倉庫に呼び出されてリンチに遭いそうになった。幸い予備校の遊び仲間が店頭で騒いでくれたので、すぐに開放されたが精神的ダメージは残った。

今から思うと、私の失敗はその店の雰囲気を読むことを怠ったことだと思う。一応、挨拶はしていたが反感を買っていたことに気が付かなかった。これはばくち打ちとしては致命的だと思う。勝ち続ける賭博なんてありえない。雰囲気というか流れを読んで撤退のタイミングを計ることが出来ないと博打は続けられない。

少し頭を冷やし、冷静にパチンコに投下した資金と回収した資金のデーターを集計したら時給換算で700円程度であったと判明した時は衝撃だった。私はけっこう稼いでいるつもりだったが、深夜喫茶のボーイ以下の稼ぎであった。

数字というものは厳格にして残酷な現実を教えてくれる。どうも私は博打の才能に乏しいようだ。ちなみに高校生の頃の地元のパチンコ屋は、小学生の頃から銭湯などで顔見知りの常連客ばかりであったので、甘やかされていたのだろう。

以降私はパチンコから足を洗い、ホテルの駐車場の係員という地味ながら確実に稼げるバイトだけやっていた。運が良ければ客からのチップが期待できるので、地道な働き方を再評価できた事は大きかった。

パチンコ等の賭博からは足を洗ったが、社会人になってから安易に株に手を出したこともある。もっとも、こちらは長い闘病生活中に始めた資格試験の学費に使ってしまった。売却損ではあったが、手持ち資金の重要さのほうが大事だった。

税理士となり人並み以上に経済知識は付いたと思うが、私は投資に関する助言はほぼしない。自信がないからであり、また安易に人に薦めるものでもないと考えているからだ。


先週のことだが、日銀が利上げを発表して間もなく東京株式市場がバブル景気崩壊を超えるような大幅値下げを起こしパニック状態となった。日銀及び財務省では責任回避に必死だが、ここ最近NISAを始めたばかりの新人投資家たちは阿鼻叫喚であるらしい。

上がり過ぎれば下がる。それが市場の価格調整機能だ。賭博に疎い私でも市場の過熱感は感じていたので、「自分たちの判断は正しい」という役人の独りよがりの発言で市場がパニックを引き起こすことは予想の範囲内であった。

まぁ土地神話を破壊した総量規制に比べればマシな気がする。株式市場の上げ下げは、どちらかといえば自然現象に近く、上がれば下がるの原則に忠実なだけだ。ただそのきっかけが安直な役人の余計な差し出口であっただけ。

役人というものは、書類上の数字は知っていても現場の空気を知らないから、時折今回のような失態をしでかすだけ。今利上げをやれば株式相場に多大な悪影響が出ることなんて、相場に疎い私でも事前に知っていたこと。知らなかったとすれば情報入手の努力をしていないだけだと思います。

冷淡なようですけど、空気を読むのが下手で博打の才能がないと自覚している私には当然の理なのです。

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日本の川

2024-08-15 14:16:41 | 社会・政治・一般

最近ようやく分かったことがある。

日本の夏は暑い、酷暑といっても良いと思う。だからこそ海水浴や川遊びが盛んなのだが、在日の外国人、とりわけアジアの方が水難事故で亡くなることが少なくない。

少し不思議に思っていた。アジアではプールのような施設は少なく、自然の川での水遊びは珍しくない。海よりも川で水泳を覚えるほうが多いくらいだ。特に東南アジアでは、川は生活の場であり、魚取りなど生計を立てる場でもある。泳げる人は珍しくない。

ところがそんな東南アジアの人に限って日本の川での水難事故を起こすことが珍しくない。いや南米、特にブラジルの人も同様である。毎月群馬に仕事で通っている関係で、ときおり外国人の方の税務相談を受けることがある。そんな時の雑談で、ようやく謎が解けた。

海外の川は概ね流れがゆったりしていて、洪水こそあれど日本のような激流は珍しいそうだ。確かに日本の川は山から海までの距離が短い上に、水量が多いだけでなく、川底の地形が複雑なため水流も見た目よりも荒々しい。

以前、YouTubeで国体選手だった水泳選手に、実際に日本の川を泳がせる企画を視聴したことがあります。体格の良い水泳選手でさえ、川幅20メートルほどの河川を泳いで渡るのに四苦八苦。結局、40メートル以上下流に流されて、ようやく横断できました。

川から上がってきたその水泳選手は「いや~マジ怖いです。途中溺れかけました」と苦笑していた。見た目には緩やかに流れる川なのですが、水面近くの流れと、川底から巻いて流れを狂わせる水流のせいで、まっすぐ泳ぐことが出来なかったそうです。水泳選手でこれですから、一般人が溺れるのも当然なのでしょう。

ましてメコン川やアマゾン川のゆったりとした川で泳ぎを覚えていると、日本の河川の流れの複雑さに戸惑うことが多いのは当然だ。また日本人も最近は川で泳ぐことをしなくなっているので、危険な場所を知らないケースが多く、それで溺れてしまうらしい。

言われてみれば、私自身、川で泳いだのは20の頃に沢登りをやっていた時が最後だ。沢登りでは渡渉することは珍しくないが、せいぜい膝下までが歩ける限界で、水深が膝より上だと安全確保のためにザイルを結んでいた。泳げるような深い沢だと危険だと判断して迂回することが普通だった。

積極的に泳ごうとは思わなかったのが日本の川だ。ゆったりと流れる大陸の河川に慣れているアジア圏の人たちが、日本の川で溺れるのもある意味当然なのかもしれませんね。

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