ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

攻殻機動隊 士郎正宗

2013-07-24 12:06:00 | 

最近、街並みを眺めていると歩きながらスマホや携帯を見入る人の姿が珍しくない。

ひどいものになると自転車を漕ぎながら入力までしている。器用というよりも危険であり無神経でさえある。いや、危険だと分かっているはずだ。それでも止められないのは、ある種の情報中毒とでもいうべき症状ではないかと思っている。

これは日本だけの現象ではなく、欧米やアジア、アフリカなどでも散見する光景であるようだ。そのせいだと思うが、グーグルやアップルは次世代型スマートフォンに眼鏡型や腕時計型など日常的に常用できるタイプの試作に励んでいる。

私のようなIT音痴からすると、ある種の異様な風景にしか思えないのだが、携帯型コンピューターであるスマートフォンに憑りつかれてしまった人は世界的にもかなりの数に上るのであろう。

御存じの方も少なくないと思うが、表題の漫画はそんな未来を予見した作品として名高い。なにしろこの漫画では、人間の脊髄に端末を直結させて、脳裏に情報を送り込む。すなわちコンピューターを人間に直結させている。まさに電脳を実現した未来社会を舞台に、犯罪者とそれを取り締まる警察とのドラマを描いている。

首筋の裏に端末があり、そこへコードを直結するとインターネットの世界につながり、映像や情報が脳裏に浮かぶ。これこそ、現在歩きながら、あるいは自転車を漕ぎながらスマホに夢中な人々の理想像ではないかと思う。

この漫画のなかで興味深かったのは、幼い頃の事故で脳と脊髄の一部以外は全て義体化(サイボーグ化)している主人公の草薙少佐と、人形使いと呼ばれる謎のハッカーとの電脳融合であった。

正体不明の凄腕ハッカーである「人形使い」が実はネット上でハッキング・プログラミングが自己増殖を繰り返し、擬似生命体として進化し知性を有するに至ったことを自白する。その人形使いが主人公との融合を願い、それを受け入れる。第一部はここで終わる。

果たして電子プログラミングが生命体として進化しうるのか、そもそも生命体とはなにか、知性とは何かについて考え込まざるを得なかった。

現在、アメリカの軍事関係の研究所では人工知能の開発に余念がないと聞くが、私はいささか懐疑的だ。そもそも知性とはなにかの定義さえあやふやなのに、その知性を設計できるのか、大いに疑問だからだ。

単なる生体組織の自己増殖なら現時点でもある程度可能だと思うが、それが自立した生命体へと進化するかは生命体の定義そのものにかかると思う。この漫画を読むたびに私は知性とか、生命体の定義について考え込まされる。

実を言うと、私はこの手のサイバーSFと呼ばれるジャンルがあまり好きではない。安易な超人願望の実現が軽薄すぎて、どうも好意的にはなれない。その唯一の例外が攻殻機動隊なのは、人間というよりも生命体や知性といったものに対する深い洞察が感じられるからだ。

それにしても、脳にマイクロチップを埋め込み、脳髄に端末を接合して直接インターネットにつながる未来って、本当に実現しそうで怖い。あたしゃ、当分スマホには手を出さずにおこう。臆病な性質なので、ネットにはまるのが嫌なんです。やっぱり私は本がいいな。

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ブラック企業批判に思うこと

2013-07-23 14:16:00 | 社会・政治・一般

なんか甘ったれている気がして嫌。

なにがって、最近なにかと話題のブラック企業という奴だ。別にブラック企業と噂される企業が好きなわけでもなく、肩を持ちたい訳でもない。むしろ被害者ぶって告発する側の姿勢が嫌。

たしかに世の中には労働基準法なんて存在しないが如き過酷な労働を負わせる企業はあると思う。また会社の肩書をいいことに威張り散らし、セクハラ、パワハラしまくりの大馬鹿上司もいると思う。

それは実感として分かる。第一私自身が、過酷な労働の末に身体を壊し、長きにわたる療養生活を送ったことがある。身体を壊すほどの厳しい労働環境ならば、我が身をもって体験している。

でも、私はあの時務めていた会社がブラック企業だなんて考えたことはなかった。はっきり言えば、20代の若い世代が会社にこき使われるのは当然だと思っていた。会社がまだ能力の低い若い社員に期待するのは、体力と頑張りであり、厳しい実務を通じて経験値を高め、やがて会社の中核を担う人材に成長することだ。

若い時でないと出来ないことって沢山あると思う。あの体力あってこそ出来ることは沢山ある。沢山仕事をやってこそ身に付くことも沢山ある。そりゃ失敗して叱れれることも少なくない。でも失敗なんて若さゆえ、未熟さゆえの肥やしであり、その失敗から学んでこその成長だと思う。

もっといえば、若い時に激務を経験しておかないと、年齢を重ねた時に無理がくる。言葉は悪いが、若い時の激務の経験から学んだことの一つに、手の抜き方、さぼり方もある。

若い時は怠惰の顕われ以外のなにものでもないが、体力が落ちた中高年になると貴重なノウハウとなる。これはいくら教科書やノウハウ本を読んでも身に付かない。身体で覚えたからこそのテクニックなのだ。

現在、居酒屋チェーン店のワタミが叩かれているようだが、あれだけの繁盛店である。そこで働く人たちが激務なのは当然であり、若い社員ほど激務を任されるのは当然だと思う。更に付け加えるなら、今どきの若い者は、飲食店での労働を厭う。いくら募集しても十分な人員が揃わない。それでもメニューなどワタミ系のお店は魅力的であり、客は集まる。ある意味、激務は勲章でさえある。

逆に客が来ない不人気店で、仕事がなくて暇な仕事だったら未来を心配するべきだ。過酷な仕事のなかでしか学びえないこともある。若くて体力がある時にこそ経験しておくべきだと私は考える。

でも、ブラック企業告発の風潮は、若い者に楽に稼げることを推奨しているように思えて仕方ない。それが私は嫌だ。

ただ、職場での暴力とか暴言など明らかに反社会的なことをするブラック企業は別であり、これはマスコミが叩くべき存在なのは確かだ。というか、刑事告発するべきだろう。この手の本物の暴力企業には、労働基準監督署では力足らずだしね。

大事なことを一つ加えておくと、20代は仕方ないが、30過ぎたら給与は積極的に上げていくべきだ。小泉・竹中の構造改革以来、30代から40代の給与が低く抑えられてきたのは確かだと思う。その癖、役員クラスの給与は高止まり。

企業を支える中間層をリストラの名のもとに抑圧したがゆえに、企業活力は大幅に減退し、今や国際競争力は落ちる一方だ。何度か書いているが、リストラの目玉に人件費抑制を上げるなら、まずトップが範を示すべき。

それなのに、日本のリストラは弱い立場のものから給与を削り、退職に追いやった。これこそ、日本経済の衰退を招いた大きな要因だと思いますね

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狼の時 ロバート・マキャモン

2013-07-22 12:20:00 | 

狼男には、どこか悲哀を感じてしまう。

月の光を浴びると人の姿を保てず、狼の姿をした怪物に変身してしまうというその不可抗力な運命には苦労が付きまとうことが容易に分かるからだ。その凶悪な牙、凄まじい怪力、不死身に近い強健さなどはモンスターそのものなのに、なぜか受け身の人生であることが分かるからでもある。

おそらく狼男は野生の世界にはいない。人間の社会の片隅でしか生きられぬ不遇のモンスターなのだろう。吸血鬼のように人の血をすすって生きるわけでもなく、死霊(ゾンビ)のように生きている人間に理由なき憎悪を抱くわけでもない。

ただ幼き頃に狼に咬まれてしまったがゆえに、人狼としての人生を歩まねばならぬ理不尽さ。この不自由さこそが狼男の本質である。

狼男あるいは人狼伝説は、古来より世界各地にある。多くの場合、熊や狼など強い動物の皮を被り、その強さにあやかろうとした変身願望から生まれた伝承ではないかと思う。

だが、私が思うにおそらく狂犬病への恐怖が関係しているのではないかと推測している。狂犬病は恐ろしいウィルス性疾患であり、ワクチン接種なしでは現在でも100%近い致死率を誇る恐怖の感染症である。

その症状の一つに極度の精神不安からくる錯乱などがあり、口から涎を流しながら暴れ、やがて死んでいく狂犬病患者への恐怖から狼男伝説の土壌になったのではないかと思っている。犬に咬まれただけでこうなのだから、狼に咬まれればもっと凄いのではないか、そう恐れても不思議はない。

ところでモンスターの定番の一つでもある狼男だが、ホラー小説の主役になることは意外とない。吸血鬼の手下であったり、魔王の配下であったりしての登場があるくらだ。

むしろ1950年代以降の映画などでモンスターとして登場して知名度が上がったのが実情だろう。アメリカではアニメやアメコミなどにも登場しているので、けっこう人気がある。ちなみに月を見ての変身や、銀の銃弾に弱いといった設定は映画から始まっている。古来の伝承にはそのような記述はないと思う。

数少ない狼男もののホラー小説で今回取り上げたのは、マキャモンが「ホラー小説脱却宣言」をしたのち、いろいろと試行錯誤の作品を発表したなかの一作である。ただし、純粋なホラー小説ではなく、むしろミステリー&ホラーの味付けといいたくなるエンターテイメント小説なのだと思う。

なにしろ主人公の狼男はイギリス諜報部のスパイなのだ。ヒットラーが恐怖統治をするヨーロッパにおいて、上司の命令で暗躍する諜報部員なのである。もちろん、上司も組織も彼が狼男であることは知りはしない。

多分、マキャモンはスパイ小説が書いてみたかったのだと思うが、そこに狼男の要素を加えてしまうあたり、やはり腐っても鯛なのか。スパイという存在の孤独感を強調するために狼男の設定を用いたと強弁してもいいが、別に狼男でなくたってスパイは孤独な職業だ。

いろいろとつっこみたいところはあるのだが、エンターテイメント作家としてのマキャモンは、やはり一流でありかなりの長編ではあるが楽しめたのは間違いない。しかし、まあ、ここまで書いておきながら一向にホラーに回帰することなく、ホラーの要素を持ち込んだ小説に固執するマキャモン先生。

頑固だよ、頑固に過ぎるよ。もっとも最近はキングでさえ純粋なホラーとは言いかねる作品を数多く出しているのだから、これも時代の流れなのか。特にホラーとSFの融合した作品は最近の主流のようにさえ思う。

でもスパイとホラーはイマイチかな。どうせなら歴史とホラーでやって欲しいなァ。

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ホルモン美味し

2013-07-19 11:58:00 | 健康・病気・薬・食事

嬉しいことに、幾つになっても知らないことは数多あり、知る喜びは溢れている。

若い頃から肉は好きだったが、経済事情から肉といえば鶏肉か豚肉で牛肉は偶のごちそうであった。もっとも85年のプラザ合意以降急速に進んだ円高と、牛肉の輸入規制の緩和のおかげで、安い牛肉が出回るようになった。

おかげで社会人になってからは、美味しい牛肉を満喫できるようになった。まァ、これは肉といえば牛の関西や、沖縄などとは大きく事情が異なる関東圏ならではなのかもしれない。

現実問題、日本では肉食の習慣は比較的新しい。鳥や豚はまだしも、牛肉が庶民に普及したのは明治時代以降なのは確かだ。率直に言わせてもらうと、まだまだ肉を美味しく食べる知識が慣習の域にまで達しているとは言い難い。

一例を挙げれば、やはり問題になったレバ刺しだろう。食中毒が頻発して現在は生のレバーを店で食べることは出来なくなってしまった。これはレバ刺し発祥の国である朝鮮半島ではありえない。

もちろん生のレバーには危険はある。だが、昔からレバ刺しを食べてきたコリアの人たちは、生の肝臓の扱いを熟知しているから、食中毒は起こらない。これは鮮魚の扱いに不慣れな東南アジアの国々で刺身を食べて起きる食中毒や、寄生虫感染と同じ理屈なのだろう。

それでも食文化の発達した日本は、学習能力も高い。実のところ、正肉(赤身の肉)の扱いに関しては、既に世界標準だと云ってイイ。ただ、熟成の仕方が、ドライエイジングではなく、ウェットエイジングに偏っているところが特徴でもある。

高温多湿な日本ではドライウェイジングが向かないが、それ以上に日本人が好む脂身が適度に混じった所謂差しの入った赤肉には、ドライ法よりもウェット法の熟成の方が合っているのだろう。また捨てる部位の多いドライ法を厭う精肉業者が多いことも関係あるのだと思う。

私は長い事、ヒレ肉よりもロース肉を好んでいた。肉の旨味とは、脂身の旨味だと思い込んでいたぐらいだ。しかし、年齢を重ねると、脂身の多い肉は胃にもたれる気がして、哀しいことに量が食べられない。

やもすると、好きだったカルビ肉でさえ、時として紙を食むような感触さえ感じる有様だ。そのせいか、最近はロースよりもヒレを好むようにさえなってきた。同時に関心が湧いてきたのが、通称ホルモンと呼ばれる内臓肉だ。

美味しいホルモンは、大きな貝を食すような独特の味わいがあり、決して嫌いではなかった。ただ、よく食べかたが分からなかった。だいたい種類が多すぎて、肉の名称でさえ怪しい始末である。当然、焼き加減も分からず、自然と箸が遠のいた。

ところが最近、機会がありホルモン肉を美味しく頂くことが出来た。その際、いろいろと教わったのだが、何が驚いたって流通経路が違うことだ。牛は解体され正肉(いわゆる赤身)は食肉卸業者のもとへ行く。

ところが内臓系の肉(いわゆるホルモン)は、畜産副産物卸業者のもとへ行く。つまり流通経路が違っている。つまり仕入れが二系統となる。ここに問題がある。はっきり言えば、正肉は金を出せばいい肉が入手できる。ところがホルモンは金だけでは、良い肉は手に入らないからだ。

正肉は熟成が命だが、ホルモンは鮮度が命だ。内臓は解体してみないと、その出来不出来は分からない。それゆえホルモンはどうしても品質にばらつきがある。正肉は熟成ぐあいが肉の獅ンを決める。しかし、ホルモンは素早く正確な下処理が必要となる。ここが難しい。

例えばホルモンの代表とされる大腸(関西だとテッチャン)は、便の通り道だけに丁寧な下処理をしないと臭みが残る。ところが卸業者に任せてしまうと、獅ンがある脂肪の部分をごっそりと剥ぎ取られてしまい味が落ちる。

だから腕のいい料理人は自ら大腸の下処理をやる。冬場でも冷たい真水で丁寧に大腸を洗い、臭みをとると同時に旨味の脂肪の部位を適度に残す。これはけっこう大変な作業となる。だからこそ、このような丁寧な下処理をする料理人は、当然に目利きであり、仕入れにもうるさい。

納品されたホルモンの質が悪いとすぐに卸業者に突っ返す。私も偶然立ち会ったことがあるが、それは険悪な場面となるが料理人は絶対に引かない。後で聞いたら、ここで下手に出ると卸業者に嘗められて、質の悪いホルモンを押し付けられるという。だからこそ、ホルモンの仕入れは難しい。

ところでホルモンは景気が悪くなると流行る料理の代表格だ。特に鍋料理としてホルモンを売りにしたお店が、不況の時には雨後の竹の子の如く新規開店される。あくまで私の経験上だが、この手のホルモン鍋のお店で、質のいいホルモンを仕入れることが出来るところは多くないと思う。

ホルモンは仕入れ原価が安いので、お店にとって不況時に仕入れ原価を抑制できる魅力がある。また鍋にしてしまえば、スープの出来次第でホルモンの質の悪さも誤魔化せる。「そんないい加減な仕事をするから、卸業者に騙されるんだ!」と件の料理人さんは怒っていたが、その人自らホルモンの出来不出来を判別できるようにるには十年でも足りないと言っている。若い料理人には難しいのは当然なのだ。

しかし、面白いもので、若い料理人だって自分が質の悪いホルモンを卸業者から押し付けられていることに気が付いている。そのホルモンを如何に美味しく料理するか、ここに料理人の遣り甲斐があるのだと広言する料理人だっている。

目利きに自信があるベテランの料理人だって、ホルモンの出来には波があることを認めている。正肉と異なり均質な仕入れが不可能な食材がホルモンであるらしい。だからこそ料理人の創意工夫の腕が問われる。食べる側からすると、実に面白いではないか。

今まであまり食べる機会が少なかった内臓系の肉だが、今後はいろいろ勉強しながら楽しんで食べていこうと思います。

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個人情報漏えい問題に思うこと

2013-07-18 12:05:00 | 社会・政治・一般

ウサギの耳は何故長い?

そう難しいことではない。ウサギは小柄で力も弱く、肉食動物にとって格好の獲物である。それゆえにいち早く危険な情報を聴覚により得るため、ウサギの耳は長く伸びた。

情報が自分の安全を守ることは、ウサギだって知っている。

先月以来、アメリカの元CIA職員スタージ氏が告発した個人情報入手問題だが、日本の場合騒ぎ方がオカシイと思う。まず、安全保障のために盗聴をするのは当たり前であって、どの国でも可能なら、可能な限りやっているだけのこと。

アメリカは日本大使館への盗聴なんざ、太平洋戦争のはるか前からやっている。同盟国であろうと敵対国であろうと、自国の安全のために必要な情報を得んとするのは、当然なのだ。むしろ、やっていない方がおかしい。ウサギに嗤われても仕方ないぐらいの常識だ。

ただし、やるなら秘密裏にやる。それが鉄則だ。別にロシアのプーチンだって今回の告発がなくたって、アメリカの情報機関が個人情報を不正に入手しているくらいは知っている。同様なことをロシアやフランスの情報機関だってやっているはずだしね。

私が滑稽だと思うのは、スパイ活動と称される情報収集をいけないことだとの前提で報じるマスコミの異常さだ。だいたいがマスコミ自体、日ごろからスクープを狙っての違法ギリギリの取材を繰り返しているではないか。

まして国家の安全保障のためならば、情報収集は必要不可欠なのは当然のこと。日本のように平和憲法とか称する欺瞞に束縛されているのなら、尚更情報収集に努めて平和を維持する努力を日ごろから絶やさぬ努力を惜しんではいけない。

スパイ活動といえば、映画007やミッション・インポッシブルなどの派手な場面を思い浮かべることが多いと思うが、実のところあんな派手なことは滅多にしない。むしろ地味で地道な目立たぬ活動が主となる。

たとえば戦争に必要不可欠な石油や食料の流通量などを地道に調べれば、戦争準備をはじめるとその流通量が飛躍的に増えるのは当然だ。そうなると輸送経路に負担がかかるため、鉄道ダイヤの変更や備蓄用倉庫需要の動きなどから察知することも可能だ。この手の情報は、公にされていることが多いので、わざわざ極秘文書を盗んだりする必要はない。

実際、スパイの情報収集は新聞や業界雑誌などおおっぴらに公開された資料を丁寧に分析することで相当な情報を入手できる。実をいえば、日本の商社はこの手の情報分析を得意としている。

私が以前に聞いた話では、情報が制約される共産圏でも、人事情報などは新聞に堂々記載されるので、それを元に組織の人事構成を調べることは可能だとのこと。こうして組織の動きを察知したり、予測したりして誰とつながりをもつべきか、あるいは手をきるべきかの判断材料の一つにしているという。

そういえば、日本でも官庁に納品するような業者は、日経に出る官庁の人事情報は必ずチェックすると言っていた。別に大企業でなくても、こんな形での情報収集は当然やっていることを思えば、国家の安全保障のためなら情報収集は当然の義務だろう。

いくら強大な軍隊をもっていても、闘うべき相手の情報なしでは戦えない。そして適切な情報さえもっていれば、実際に戦わなくても情報を活かすことで有利な交渉は可能となる。

平和を守るためには軍隊だけではダメだ。適切な情報を入手し、その情報を活かして交渉に有利に望む。スパイ活動もその一環に過ぎない。ただ、今回のスタージ氏の告発は、むしろ告発されてしまったこと自体が失敗だ。

その意味で、しっかりと職員の管理をしていなかったアメリカ政府の失態であることは間違いない。日本政府としては表向き抗議の必要はあるだろうが、それよりも自国政府の情報管理体制を見直すほうが大事でしょう。

私としては、日本軍を強大化させるよりも、まずは情報収集機関を強化させるほうを優先すべきだと思います。もっとも、平和幻想にお愛想笑いしている日本政府に、その情報を適切に使えるかは、いささか疑問ではありますがね。

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