ヌマンタの書斎

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日本史必修化に思うこと

2014-01-23 12:17:00 | 社会・政治・一般

日本の常識は、世界の非常識といわれて久しい。

その非常識の最たるものが、軍事に関することである。およそ世界の国々の大半では、軍人は敬意を表される職業である。日本でも太平洋戦争まではそうだった。

しかし、敗戦以降軍人は蔑視の対象とされ、軍事知識を得ようと学ぶことは、戦争を意図する危険な行為だと。いや、正確に云えば、危険な行為だと思わせるよう、GHQが策動し、それに乗る形でマスコミと教職員組合が仕組んだといっていい。

だからこそ、彼らは歴史が必修科目になることを恐れられた。現在、朝日新聞が必死で日本史の必修化を阻止しようと奮闘している。無理もない。

なにせ朝日新聞といえば、歴史を改ざんし、捻じ曲げることで日本を戦争から離れさせ、軍事力の増強を阻止し、平和市民の育成に励んできた独善的平和主義の総本山なのだから。

性質が悪いと思うのは、朝日新聞に代表されるこの手の平和愛好市民たちは、自らの善意と正しさを信じて疑わないところだ。だからこそ、歴史を学べば分かる真実を知られることを厭う。

朝日新聞の思いとは裏腹に、おおよそ世界のほとんどの国において軍人は尊敬され、軍事を整備することにより社会が安定し、商業が盛んになり、生活が豊かになる。もちろん、軍事の拡大が侵略戦争を引き起こすことだってある。

一例を挙げれば、豊臣秀吉の朝鮮出兵は、国内を統一したことで部下に領土を新たに分け与えることが出来なくなったが故に、新たな領土をシナに求めたとの説がある。おそらく元となったのは織田信長の海外志向だと思うが、秀吉には拡大した兵士たちに新たな領土を与えねば、軍を維持できぬとの想いはあったようだ。

これははっきりと認識しなくてはいけないが、軍というものは消費するばかりで、生産はしない。だからこそ、兵に農地を与えて生活の糧を与えることが必要だった。朝鮮出兵の失敗以降これ以上、日本国内に領地を増やせないと覚悟した徳川家康は、兵を官僚化して飼いならす一方で、些細なことで御家取り潰しを連発して、兵の削減に励んだ。

戦乱の日本で幼少時より苦労した家康には、軍の危険性と必要性がよく分かっていたのだろう。最終的には、戦国時代屈指の大軍団を擁した徳川家だけに、その縮小と管理には非常に苦労している。

こと、内政に関する限り、徳川の軍事管理、いわゆる今風に云えばシビリアン・コントロールは見事に成功したがゆえに徳川400年の平和な治世が成功したのだと思う。反面、国際政治に疎く、産業革命による新兵器を用いた帝国主義には対応できず、幕末の混乱で政権の終わりを迎えた。

適切な軍事力は、たしかに平和に貢献するが、状況の変化に対応していかないと、むしろ平和を守れない。また過度な軍事力は不要な戦争を招くのも歴史が教える事実でもある。

軍にせよ、官僚組織にせよ、消費するばかりで生産能力のない集団は、自己増幅志向が強いので、朝日新聞の長年の主張にもそれなりの道理はあると私は思っている。ただし、極端すぎる。

適度な軍事力は、周辺国家との緊張を良い意味で安定化させ、交易を盛んにし、平和に貢献することも歴史的に実証されている現実なのだ。だからこそ、歴史を必修化して学ぶ価値がある。

しかし、戦争を否定し、軍人を蔑視し、軍事を学ぶことは戦争への道だと、日本国民を洗脳してきた朝日新聞ら反日自虐平和愛好市民からすれば、歴史の必修化は断固阻止せねばならぬ。そのように善意で信じきっているのだろう。

愚者は過去から学ぶことをせず、ただ自らの善意に酔い痴れるのみ。まったく困ったことです。


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