富士山は優美な形状の山である。
ただし実際に登ると、決して優美ではなく、むしろ過酷な山である。だからこそ死亡事故が絶えない危険な山なのだ。
富士山の特徴は火山である以上に、独立峰であることだ。富士山は他の山脈とはつながっておらず、平地に富士山だけが独立してそびえ立っている。実はこの独立峰は風の影響を受けやすく、天候の急変が日常的である。しかも遮るものがない独立峰ゆえに風が直接吹き当る。
風は登山をする上で危険な現象である。何故なら体温を奪うからだ。夏山ならば風が体温を冷やしてくれるから、むしろありがたいと思う人は多い。しかし、夏山のシーズンで凍死する登山者は決して少なくない。正確には凍死ではなく、低体温症による死亡である。
人間は体内で蛋白質や脂肪を燃焼させて体の恒常性を維持することで生きている。しかし風で体温を奪われると、この恒常性が機能低下して眠るように死んでしまう。夏山は気温こそ低くないが、汗や雨で体が濡れることが多く、それゆえに冷えやすい。そこに強い風が吹きつければ、体内生産される熱量よりも風などで奪われる熱量が多ければ、恒常性は低下して生体機能が低下して死につながる。
富士山はこの低体温症が起こることが多い条件が揃っている山なのだ。緩やかな勾配の穏やかな山だと勘違いする人が多いが、本当は本邦屈指の危険な山である。おまけに砂礫と岩で覆われているので、強風が吹くと、砂塵が危険な速度で飛んでくることもある。
私は歩荷訓練中に台風が接近してきたので、大慌てで下山したが背後から飛来してくる砂礫の痛さにめげた記憶がある。更に付け加えるならば、雷の恐怖もある。なにせ逃げ場がない。落雷は人に直撃するよりも、地面を電流が走って被雷するケースが多い。もうこれは運しだいであり、雷雲が生じやすい午後の夏山登山が厭われるのも当然の道理である。
かくも危険性が高い富士山は、それゆえに入山時期を限定している。夏山シーズンでも安心して登れるのは7月から8月にかけての3週間ほどではないかと思う。特に8月は台風や低気圧、前線の接近だけで危険度が跳ね上がるので御免被りたい。
ちなみに冬の富士山は死の世界である。私は日本山岳会主催の冬季登山講習を富士山の下部で受けたことがあるが、あれはマジで怖かった。なにせ凍り付いた雪が、強風により強固に固められて、ピッケルやアイゼンが食い込まない。講師の方は、凍り付いた雪には場所により強度が違う箇所があるので、そこに打ち込みすれば良いと教わった。それは分かるが、疲労困憊している時にその判断が出来るのか、まったく自信がなかった。
最近、軽装で富士山に登る無謀な登山者、いや観光客が事故を起こすケースが報じられているが、当然というか馬鹿だと思う。静岡県や山梨県が富士山を観光資源と考えているのは承知しているが、救難活動の危険性を思えば、もう少し正しい情報を提供すべきだ。
私は富士山は素人向けの山だとは考えていません。むしろ熟練者でも事故を起こす危険性が高い山だと認識しているほどです。偶然、安全に登山できた経験者の話は当てにしない方が良いですよ。