世の中は不公平なもの。
これが分かっていない、分かりたくない人ってけっこう多いと思う。
人間の能力は平等ではない。また親の躾がしっかりしている子供と、叱らない教育とかいう優しい虐待を受けた子供とでは、自ずと社会との適応性に差がついてしまう。いくら才能があっても、その才能を活かすのは社会の枠のなか。
叱らない教育を受けた子は、概ね我儘で自分本位になりがちで、結果社会から浮いた存在となる。いかに才能があろうと、それを伸ばす機会も与えられず、才能を活かす機会も与えられない。
また地震や台風など天災などにより、能力があっても、その才を発揮できない状況に陥ることも、人生ではままあることだ。そのような時、耐える訓練を受けていない人は、不遇に潰されてしまう。
それでも、この不公平な世の中であっても、チャンスは巡ってくるものだ。そのチャンスを活かせるか、どうかでやはり差が付く。
差が付く、すなわち人生は不公平なもの。これが現実である。この現実を見据えて努力を積み重ねるものもいる。その現実から目を逸らして、努力を放棄するものもいる。
近年、不公平で不平等で不満だらけの現実から逃避する人が増えている気がしてならない。表題の書では、若者たちにその傾向が強くなっていることを指摘しているが、現実には中高年にも蔓延している。
表題の書では「仮想有能性」という言葉で言い表しているが、たしかに内心で「自分はもっと有能なのに、それを社会が認めてくれない。自分を活かしてくれない」との不満を抱いている人は少なくないと思う。
満たされぬ思いは、他人を見下すことで補っている。「自分以外は全て馬鹿」だと他者を見下すことで、仮想有能性を満足させている。これはネット社会、とりわけSNSの世界で蔓延している。
私からすると、それは逃げに他ならない。堪えるべきは耐え、機会が来るまで雌伏して雄飛する機会を狙うのが王道だと思う。でも、それが出来ないのは、堪えることが出来ないから。
現実にそのような人たちを幾人か見てきた。自分は優秀だと思い込んでいるのだが、傍から見るとさほど優秀ではない。いや、本当は優秀さを持っているのかもしれないが、それを活かす機会を作れなかったように思う。
誰にでもあるはずの不遇な時期を耐えることが出来ず、他人を見下すことで誤魔化してきたツケだと思う。
困ったことに、そのような人は若者だけに限らず、中高年にも散見する。この本の著者も主張しているように、子供は褒めるべきとは褒め、叱るべき時は叱るといった躾が大事だと思います。
不遇な時を耐えるには、子供の時の躾が大切で、世の中は常に自分の思う通りにはならないことを自覚し、かつ耐えるようにしておかなければならないと思います。
これが分かっていない、分かりたくない人ってけっこう多いと思う。
人間の能力は平等ではない。また親の躾がしっかりしている子供と、叱らない教育とかいう優しい虐待を受けた子供とでは、自ずと社会との適応性に差がついてしまう。いくら才能があっても、その才能を活かすのは社会の枠のなか。
叱らない教育を受けた子は、概ね我儘で自分本位になりがちで、結果社会から浮いた存在となる。いかに才能があろうと、それを伸ばす機会も与えられず、才能を活かす機会も与えられない。
また地震や台風など天災などにより、能力があっても、その才を発揮できない状況に陥ることも、人生ではままあることだ。そのような時、耐える訓練を受けていない人は、不遇に潰されてしまう。
それでも、この不公平な世の中であっても、チャンスは巡ってくるものだ。そのチャンスを活かせるか、どうかでやはり差が付く。
差が付く、すなわち人生は不公平なもの。これが現実である。この現実を見据えて努力を積み重ねるものもいる。その現実から目を逸らして、努力を放棄するものもいる。
近年、不公平で不平等で不満だらけの現実から逃避する人が増えている気がしてならない。表題の書では、若者たちにその傾向が強くなっていることを指摘しているが、現実には中高年にも蔓延している。
表題の書では「仮想有能性」という言葉で言い表しているが、たしかに内心で「自分はもっと有能なのに、それを社会が認めてくれない。自分を活かしてくれない」との不満を抱いている人は少なくないと思う。
満たされぬ思いは、他人を見下すことで補っている。「自分以外は全て馬鹿」だと他者を見下すことで、仮想有能性を満足させている。これはネット社会、とりわけSNSの世界で蔓延している。
私からすると、それは逃げに他ならない。堪えるべきは耐え、機会が来るまで雌伏して雄飛する機会を狙うのが王道だと思う。でも、それが出来ないのは、堪えることが出来ないから。
現実にそのような人たちを幾人か見てきた。自分は優秀だと思い込んでいるのだが、傍から見るとさほど優秀ではない。いや、本当は優秀さを持っているのかもしれないが、それを活かす機会を作れなかったように思う。
誰にでもあるはずの不遇な時期を耐えることが出来ず、他人を見下すことで誤魔化してきたツケだと思う。
困ったことに、そのような人は若者だけに限らず、中高年にも散見する。この本の著者も主張しているように、子供は褒めるべきとは褒め、叱るべき時は叱るといった躾が大事だと思います。
不遇な時を耐えるには、子供の時の躾が大切で、世の中は常に自分の思う通りにはならないことを自覚し、かつ耐えるようにしておかなければならないと思います。