ヌマンタの書斎

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古代史講義 佐藤信 編

2020-11-27 11:58:00 | 
最近、自信喪失気味。

私は十代の頃から歴史好き。SFやミステリーも好きだが、歴史ものだって相当に好きだった。勉強などまるでやらず、成績が学年で下から数えて一桁台の時だって、歴史の教科書だけは好き勝手に読んでいた。特に勉強しなくても、歴史の成績だけは相当に良かった。

ただ雑学志向が強かったので、高校では世界史を選択した。おかげで私の日本史の知識は中学レベルで停滞してしまった。にもかかわらず、私に危機感がなかったのは、世界史の中における日本史という視座をもっていたからだと思う。

これは大学受験浪人中の代ゼミの武井先生の教えに拠るところが大きい。私の武井先生の講義を通じて、世界史との対比で日本史を把握することが出来た。また世界史の人気講師であった山村先生の講義も並行して受けており、その講義により世界文明と日本文明の対比という視座を持つことも出来た。

実は私の大学受験勉強は6割が世界史で、3割が英語、残りは国語というか漢字の勉強という著しく偏ったものだ。大学なんて世界史で合格したようなものだ。その自覚というか自負はあった。

だからだろう、日本史を蔑ろにしていたことに気が付かなかった。多分、病気で長期間の療養生活を送らなかったら、日本史の理解が著しく低いこと気が付かなかったかもしれない。

いずれにせよ、そのツケを今、払わされている。自分の日本史知識が不足していることを知ったきっかけは大化の改新を自分なりに勉強しだしたことだ。

私は日本の政治史を考える上で重要なターニングャCントとして、「大化の改新」「戦国時代の終結」「明治維新」そして「GHQによる間接支配」の四つだと考えていた。ただ、GHQに関してはまだ評価には早過ぎると思っていたので、残り三つを重点的に勉強しなおしていた。

ところが、「大化の改新」を調べれば調べるほどに、矛盾というか納得がいかなくなった。あまりに作為的に過ぎる「日本書紀」の影響が強すぎる。この時代の歴史考証に耐えうる資料は非常に少ない。だからこそ、一度「日本書紀」に疑問をもってしまうと、全てが怪しくなってきた。

気になって書店で、中学校で使われる歴史教科書を立ち読みして驚いた。私の頃とだいぶ違っているぞ!

こりゃ、本気で勉強しなおす必要があると自覚せざるを得なくなった。自称歴史好きが聞いて呆れる醜態である。そんな私が一つの指標にしているのが、表題の書だ。

専門家でない私でも分かりやすく古代日本史の現在地を示してくれる。ページ数の少ない新書ではあるが、内容は非常に濃い。考古学的手法から気象学による当時の環境推察など、多面的に古代日本史に光を投げかけており、現在も研究が進行中であることを教えてくれる。

私も少し腰を据えてじっくりと、古代の日本史を学び直そうと思います。

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