ヌマンタの書斎

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憲法改正の前に

2018-04-06 12:00:00 | 社会・政治・一般

戦争を反省するとは、謝罪することではない。

戦争とは、国家間で話し合いによる解決に至らなかった場合に取られる問題解決の手段である。手段であるのだから、その目的を達成してこそ手段として成功だと評価できる。

極端な言い方をすれば、戦争に負けても目的を達成すれば、政治的あるいは歴史的には成功である。

つまり、戦争を反省するとは、目的を達成できなかったことに対する反省であるべきである。もっといえば、その目的の設定が正しかったのか、あるいは適切であったのかから考察すべきである。

その上で、目的達成の手段としての戦争は、適切に運用されていたのかを鑑みる必要がある。

謝罪が必要だとするならば、それは政治指導者が政治目的達成に失敗した場合であり、戦争を具体的に指揮した指導部のやり方が適切でなかった場合である。謝罪する相手は、あくまで自国民である。

戦争の被害を被った相手国で必要とされる謝罪は、その相手国の政治指導者が自国民に対してであるはずだ。そうでないと、何故に戦争で被害を被ったのか、そのことに対する考察と反省が疎かになる。

相手に罪を押し付けて、自分の失態を押し隠すことは、その国の国民にとっては、ある意味大変不幸なことだ。相手が悪いと決めつけてしまうと、自らの誤りを直視せずに済ませてしまい、結果的に同じ過ちを繰り返すことになる。

他人事ではない。我が日本にも、軍部が悪い、軍部の暴走で戦争に巻き込まれた。だから自分も被害者だ。日本政府が悪い、悪いのだから謝罪せよ、謝罪して誠意(要は金だ)をみせろと騒ぐ、自称平和を愛する市民たちがけっこう居る。

本気で馬鹿だと思う。

たしかに軍部は独走し、日本をシナ大陸に引き込み、徒に戦線を拡大し、結果的に欧米との戦争となり、国土を焦土とされて敗戦を迎えた。これは事実である。

しかし、当時の日本、すなわち大日本帝国は、議会制民主主義をとっていた。本当の意味で言論統制や、政治活動制限などがなされたのは、戦争が始まってからだ。そして、軍部の独走は、そのはるか前から始まっている。

参考までに太平洋戦争が始まる前、1930年代の選挙では軍の影響下にある政党の支持率は低く、軍部は苛ついていたほどだ。主たる政党の大半は、軍部の独走を苦々しく思っていたのも事実である。

それなのに、日本政府は軍部の独走を止められなかった。いや、軍の首脳たちでさえ、満州で軍を専横する中堅将校たちの暴走を制御しかねていた。

本当に戦争を反省するならば、まず、この文民統制の失敗こそ考えるべきではないか。なぜ、議会は軍部の独走を止められなかったのか。軍の首脳たちは、現場の暴走を止められなかったのか。この点を考えないで、戦争の反省なぞと云われてもヘソが茶を沸かす。

まず第一に、明治憲法の構造的欠陥がある。よく知られているように、この憲法はプロシア憲法を母体としている。この憲法は、鉄血宰相ビスマルクと、皇帝ウィルヘルム1世との信頼関係あってこそのもの。だからこそ、二代目の皇帝とビスマルクの不和により、皇帝の暴走を議会が止めることができず、第一次世界大戦によりドイツは敗戦に追いやられた。

大日本帝国は、明治維新の元勲たちと、明治天皇との信頼関係により成り立っていた。だからこそ、プロシア憲法はモデルとして理想的に思えた。しかし、元勲たちは老いて政権を退き、若き昭和天皇の時代になると、天皇直轄(統帥権は天皇にあり))の軍隊を議会がコントロールすることが難しくなった。これが第一の問題。

第二の問題は、日露戦争の勝利である。この戦争における日本軍の失敗、失策、失態はひどく勝てるはずはなかった。ところがロシアが日本以上に失敗を重ねたことで、たまたま勝ててしまった。奇跡といっていいほどの勝利である。

古来より、信賞必罰は国家を適切に運営するための当然の道理である。日露戦争においては、まず反省し、処罰し、改善するべきは戦争を主導した軍のエリートたちであったはずだ。しかし、戦争に勝ってしまったことにより、これがなされなかった。勝ったからイイじゃないかと誤魔化した。

その結果、軍のみならず、政府を指導すべきエリート層に「失敗しても、勝ってしまえばイイじゃないか」との思い上がりが生まれた。いや、それどころか、エリートは権限ふるえど、その結果責任は問われないとの自分勝手な屁理屈が確立してしまった。

だからこそ、シナ北東部における関東軍の暗躍により満州国は作られた。当時の日本政府は、満州国建国を国策としていた訳ではない。いや、当の陸軍首脳たちでさえも、満州国建国は予定していなかった。

しかし、結果よければ良しとの思い上がりが、ここでも正当化され、認めざるを得なくなっていた。失敗ばかりした日露戦争の軍首脳たちは、満州で勝手に振舞う陸軍の将官たちを処罰できなかった。明らかな軍令違反なのだが、これを追求すると、過去の自分たちの誤魔化しと整合がとれないからだ。

この二つの問題があったからこそ、日本軍は独走し、暴走し、遂には原爆を落とされ、首都は焦土と化し、敗戦を迎えることになった。

そして、ここで第三の問題が生まれた。日本は自ら敗戦を反省し、責任者を処罰し、改善策を講じたのではない。アメリカの支配下において、軍事裁判で責任者を処罰され、平和憲法を押し付けられた。

つまり、敗戦の反省をすることなく、他人任せで新しい時代を迎えてしまった。

アメリカ軍に守られて、ひたすらに経済再建と高度成長にまい進した戦後の日本は、戦前を上回る巨大国家となった。しかし、敗戦の反省をすることなく、結果良ければイイではないかと誤魔化してきた。

断言します。日本は戦争の敗北を真面目に反省してはいません。ただ、謝罪と責任逃れ(軍の暴走に引きずられただけだよぅ~)で、反省だと誤魔化してきた。

最近になり、ようやく憲法改正の機運は高まってきましたが、私は悲観的、かつ否定的です。自衛隊を合法化することが戦争の反省ではない。反省がなければ、同じ過ちを繰り返す。

私はそう遠くない将来において、日本は再び戦争に巻き込まれると予測しています。自らの意志ではなく、巻き込まれる立場であることが殊更滑稽であり、無様です。

その時、自分は戦争には反対だけど、止む無く巻き込まれたのだと嘆く馬鹿が出てくるでしょう。その馬鹿は、今戦争の反省は謝罪だと叫び、憲法改正に反対し、軍部が悪かったと賢しげに被害者面している輩だと思いますよ。

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