商品と作品は違う。
ビジネスのための仕事と、芸術のための仕事では、当然に求められるものが違ってくる。ややこしいことに、しばしばこの両者は重なり合うことがある。結果的に芸術がビジネスに直結することもある。しかし、いかに芸術がビジネスに活用されようと、本質は違うと思う。
客が求めるものとしての商品と、芸術の追求の結果としての作品は分けて考えるべきだと思う。たとえ重なる部分があるとしても突き詰めれば、売れなくとも芸術は作品として残るが、売れない商品は屑でしかない。
私の下の妹は、一時期プロ・カメラマンを目指していた。今でも時折雑誌などに作品が載ることもあるようだが、せいぜいが小遣い稼ぎ程度のものだ。とても生計の立つものではない。
売れなかった最大の理由は人脈作りに失敗したからだと思う。末っ子で甘えん坊の妹は、どうしても自分の感性に拘る。いくら師匠に客の求めるものを出せと言われても、自分の主観を第一にした仕事をしていた。これじゃ、新しい仕事は来ない。師匠とは縁を切ったと胸を張っていたが、如何せん「芸術家きどり」のアマチュア・カメラマンの作品に金を払う人はいない。
学生時代のつてで、旅行雑誌で仕事を回してもらっているようだが、年に数回では多寡が知れる。ビジネスの世界は結果が全て。良くも悪くも諦めの早い奴なので、夢にこだわりすぎて不幸に陥ることはないようだが、それでも失敗は失敗だと思う。
写真家・長友氏の名前を知らなくとも、この人の撮った写真を見たことのない日本人はまず居るまい。かつて全盛を誇った券\プロダクション、渡辺プロの専属カメラマンとして、また裕次郎や赤木圭一郎の活躍した日活の映画スターの写真を始め、長年にわたり芸能写真を撮り続けた人だ。
私個人としては、長年愛読していた車雑誌「ベストカーガイド」の表紙の写真の印象が強い。この雑誌の表紙は、20年以上にわたり、車と女性タレントを使っていた。ちなみに長友氏の死去以後は、車の写真だけとなっている。女性の表情を上手く捉える人だと思っていた。タイトルにも上がっているハワイの褐色の美女、アグネスを最も魅力的に写した写真家が長友氏だと思う。
表題の本の中で、長友氏の仕事ぶりが語られている。とにかく人脈が広い。映画から新聞社、雑誌社といくつもの業界を渡り歩いた経験を活かして、常に時代の第一線で活躍できた秘訣は、この人脈にこそある。
この本のなかで写真家・長友氏の写真論は、あまり語られてはいない。技術論さえ語られてはいない。語られているのは、写真を撮る仕事がどのようにまわってきたか。映画からTVへと時代の流れが変わるなかで、いかにその変化にのってきたかだ。
多分、長友氏は写真家としての技術とかではなく、人間としての間口の広さで業界を生き延びてきたのだと思う。技術がないわけではない。私個人の感性だと、篠山紀信や野村誠一らの綺麗な写真より、生き生きとした息吹を感じさせる長友氏の写真のほうが好きだった。決して技術の低い写真家ではない。しかし、技術を売りにする写真家ではなかった。
組織の看板を背負って仕事をする会社員とは異なる自由業の世界は過酷だ。自由業の自由とは、首を切られる自由だ。いつ仕事がなくなるか分らない世界で生き延びるには、人脈こそが頼りとなる。人と人とのつながりこそが、最も大事な仕事の技術なのだろう。
自由業の世界では、仕事は人並みに出来て当たり前。技術や知識はあって当たり前。問題は仕事以前のところにある。仕事は人と人との付き合いから生まれる。これが十分に出来ないと、自由業の世界では生きていけないと思う。
ビジネスのための仕事と、芸術のための仕事では、当然に求められるものが違ってくる。ややこしいことに、しばしばこの両者は重なり合うことがある。結果的に芸術がビジネスに直結することもある。しかし、いかに芸術がビジネスに活用されようと、本質は違うと思う。
客が求めるものとしての商品と、芸術の追求の結果としての作品は分けて考えるべきだと思う。たとえ重なる部分があるとしても突き詰めれば、売れなくとも芸術は作品として残るが、売れない商品は屑でしかない。
私の下の妹は、一時期プロ・カメラマンを目指していた。今でも時折雑誌などに作品が載ることもあるようだが、せいぜいが小遣い稼ぎ程度のものだ。とても生計の立つものではない。
売れなかった最大の理由は人脈作りに失敗したからだと思う。末っ子で甘えん坊の妹は、どうしても自分の感性に拘る。いくら師匠に客の求めるものを出せと言われても、自分の主観を第一にした仕事をしていた。これじゃ、新しい仕事は来ない。師匠とは縁を切ったと胸を張っていたが、如何せん「芸術家きどり」のアマチュア・カメラマンの作品に金を払う人はいない。
学生時代のつてで、旅行雑誌で仕事を回してもらっているようだが、年に数回では多寡が知れる。ビジネスの世界は結果が全て。良くも悪くも諦めの早い奴なので、夢にこだわりすぎて不幸に陥ることはないようだが、それでも失敗は失敗だと思う。
写真家・長友氏の名前を知らなくとも、この人の撮った写真を見たことのない日本人はまず居るまい。かつて全盛を誇った券\プロダクション、渡辺プロの専属カメラマンとして、また裕次郎や赤木圭一郎の活躍した日活の映画スターの写真を始め、長年にわたり芸能写真を撮り続けた人だ。
私個人としては、長年愛読していた車雑誌「ベストカーガイド」の表紙の写真の印象が強い。この雑誌の表紙は、20年以上にわたり、車と女性タレントを使っていた。ちなみに長友氏の死去以後は、車の写真だけとなっている。女性の表情を上手く捉える人だと思っていた。タイトルにも上がっているハワイの褐色の美女、アグネスを最も魅力的に写した写真家が長友氏だと思う。
表題の本の中で、長友氏の仕事ぶりが語られている。とにかく人脈が広い。映画から新聞社、雑誌社といくつもの業界を渡り歩いた経験を活かして、常に時代の第一線で活躍できた秘訣は、この人脈にこそある。
この本のなかで写真家・長友氏の写真論は、あまり語られてはいない。技術論さえ語られてはいない。語られているのは、写真を撮る仕事がどのようにまわってきたか。映画からTVへと時代の流れが変わるなかで、いかにその変化にのってきたかだ。
多分、長友氏は写真家としての技術とかではなく、人間としての間口の広さで業界を生き延びてきたのだと思う。技術がないわけではない。私個人の感性だと、篠山紀信や野村誠一らの綺麗な写真より、生き生きとした息吹を感じさせる長友氏の写真のほうが好きだった。決して技術の低い写真家ではない。しかし、技術を売りにする写真家ではなかった。
組織の看板を背負って仕事をする会社員とは異なる自由業の世界は過酷だ。自由業の自由とは、首を切られる自由だ。いつ仕事がなくなるか分らない世界で生き延びるには、人脈こそが頼りとなる。人と人とのつながりこそが、最も大事な仕事の技術なのだろう。
自由業の世界では、仕事は人並みに出来て当たり前。技術や知識はあって当たり前。問題は仕事以前のところにある。仕事は人と人との付き合いから生まれる。これが十分に出来ないと、自由業の世界では生きていけないと思う。