ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

「トリフィッドの日」 ジョン・ウィンダム

2008-07-08 16:52:17 | 
この季節は、草の匂いが濃厚に漂う。

雨が降った翌日に、森や公園に行けば、草の匂いがいつもより強く漂っていることに気がつくと思う。雨を吸い取った土壌が微生物の活動により豊饒な栄養を植物に供給する。植物は太陽の光を得て、光合成を活発化させて、その葉孔から酸素を放出する。

雨で埃を洗い流された草木が、太陽の光を反射して緑に輝いてみえる風景は、見た目には美しい。近づけば、草の匂いが衣服に浸み込むほど濃厚だ。草の匂いは、豊かな自然の証であるが、正直言って私は少し苦手だ。草木の逞しさに圧倒された経験が、思い起こされるからだ。

山に登るには、通常尾根道を辿ることが多い。尾根道以外だと、沢筋を登り詰める。整備された登山道は、ほとんどが尾根道か沢筋道だ。人が頻繁に歩く道は、踏み固められ、快適に歩ける。

しかし、尾根道だろうと沢筋道だとろうと、人が通わなくなった道は、あっという間に草木に占拠され、藪のなかに道は埋もれる。かろじて、野生の動物が動き回ることで出来る獣道が、藪の中にトンネルを作る。

この藪のなかの獣道を歩くと、膝から上は草に邪魔されることとなる。その草を手で漕ぎ分けながら、分け入って歩く。これを藪漕ぎと言う。たかが草というなかれ。覆いかぶさる草を手でどかしながら歩くのは、体力的に相当しんどい。コツがあって、泳ぐように草を掻き分け、膝下で草の茎を押しのける感じで歩くと、比較的疲労が少ない。

それでも、一日藪の中を漕いでいると、夕方には疲労困憊になる。衣服には草木の匂いが浸み込み、茨や刺で皮膚は裂け、傷だらけになる。馴れないと、一日でへたばると思う。

昔、童話で「おじいさんは、山に芝刈りに行きました」なんて書いてあったが、もの凄い重労働だと分ったものだ。草なんて、たいしたことないと思う人は、一日草と格闘してみれば、いかに草が強固な存在だか思い知らされると思う。

表題の作は、歩く草に侵略され、占拠された未来の地球を描いた古典的SFの名作だ。ある晩、流星雨が降り、それを見た人は皆盲目になる。目の見えぬ人類に襲い鰍ゥる歩行する食肉植物トリフィッド。読んだのは中学生の時だが、自分ならどうするだろうとワクワクしながら読んだものだ。

いずれ人類は衰退し、新たなる種へと進化するか、まったく別の種に滅ぼされるかもしれない。人類は絶滅しても、きっと植物は生き残ると思う。

いずれ私が死んだ時は、その遺骸が大地の肥やしとなり、植物を生茂さすのは構わないけど、植物そのものに食われるのは勘弁して欲しいなぁ~。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする