ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

「ぎゃんぶらあ自己中心派」 片山まさゆき

2008-07-17 12:33:15 | 
どうも私はギャンブルは向いてないらしい。

一部から嘘付け!と言われそうだが、18でパチンコから足を洗って以来、ギャンブルはやらないようにしている。パチンコには、相当熱中したし、そこそこ稼いでいた。予備校の頃なんざ、開店から閉店までパチンコ漬けで、合間に授業に出る有様だった。一応勝っているつもりだったが、冬休みの頃に冷静に計算してみると、それほど勝っていたわけでないと気がついた。

投資額と、回収額の差額を計算して、次回の投資額を差し引けば、一日1500円程度の稼ぎでしかない。これなら、喫茶店のバイトのほうがマシだと分った。25年以上前のパチンコだから、投資額も一日1000円程度で、日がな一日遊べたことを思えば、そう悪い稼ぎでもないが、やはり真面目に働いた方が稼げる。

稼ぎの多寡もさることながら、受験勉強を犠牲にしてまでしてパチンコに熱中していたことは、結果的に愚かなことだったと、今にして思う。唯一つ、良かったことは、自分がギャンブルに向いてないことが分ったことだけだ。

私はけっこう負けず嫌いで、ギャンブルでも勝とうと真面目に努力してしまう。その真面目さが冷静さを奪い、負けを重ねる要因になる。遊びなのだから、楽しめば良いのだが、勝とうと意地になってしまう。勝てば金になるので、そのことが殊更冷静さを失わせ、金を注ぎ込ませる。理性が麻痺して、中毒のようにギャンブルにはまってしまう。

自分だけは大丈夫だと言い聞かせたが、結果的には私も例外ではなかった。一年浪人したにも関らず、成績があまり向上しなかった最大の要因はパチンコだと思う。以来、ギャンブルには距離を置くようなった。その唯一の例外が麻雀だ。

麻雀だけは社会人のマナーとして必要になると思い、ルールを覚えた。最近はほとんど廃れたようだが、あの頃の麻雀は、大人の付き合いの一環だとされていた。そのことを知っていたので、主に大学の頃に先輩や同期と内々で遊んだ。

これは本当に面白い遊びだった。複雑なルールではあるが、新しい手を覚えるたびに、遊びたくなったものだ。部活で汗を流し、飲み屋で一杯やった後、しばしば雀荘に入り浸ったものだ。率直に言って、知的遊技としての面白さは群を抜くと思う。

ただ、私はギャンブルにはまる怖さを知っていたので、絶対に点数計算だけは覚えなかった。一線をひかないと、私は麻雀漬けになると、容易に予想できたからだ。もっとも会社を辞めて以降、この20年麻雀のパイは握っていませんがね。

麻雀を題材にしたマンガは相当数あるが、表題のマンガほど笑いに徹したものはなかった。ルールを知らなくとも、このマンガは楽しめるから凄い。ただ、あまり麻雀の力は向上しないと思うが、それを気にする読者もいるまい。

主人公の情けない負け方に、自分のほうがマシと自らを慰めた人、けっこう多いと思う。自己憐憫にひたっているうちは、決して強くなれないのが麻雀なんですけどね。
コメント (4)
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