ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

「バスタード」 萩原一至

2006-07-19 09:50:33 | 
日課といっていいぐらい、一日一回は必ず本屋を覗く。ここ十数年の習慣である。先日、ふと漫画のコーナーを覗いたら、見つけたのが表題の第24巻。まだ続いていたのだな。

90年代、週刊少年ジャンプの全盛期を支えた漫画の一つに、萩原一至の「バスタード」があった。ドラゴン・クエストを始としたRPGゲームの流行を受けての、魔法と怪物の出てくる漫画の一つであった。かなり人気があったようで、高額納税者ランキング・漫画部門ではトップランカーの一人だったと記憶している。

実は雑誌連載時は、ほとんど読んでいない。読み出したのは、萩原が原稿を頻繁に落としだし、それが話題になってからだった。

もともと週刊少年ジャンプという漫画週刊誌は、小学館のサンデー、講談社のマガジン、秋田書店のチャンピオンといった老舗が確固たる地位を占める少年週刊漫画誌のなかに、後発で切り込んでいった事情があった。そのため、既成の大物漫画家は使えず、新人を発掘開拓していくことで、今日の地位を築いた。

後発ゆえ、独自性を高めるために、読者からの人気ランキングで連載期間を決めるシステムと、漫画家を囲い込み他で仕事をさせない独特なシステムが特徴でした。しかし、そのシステムは漫画家にとって、極めて過酷なものであったようで、潰れる漫画家も数知れず。

萩原一至も人気漫画家であったが、連載当初に比べると、次第に絵が精緻になり、ストーリーも果てが見えないほど広がりすぎの感があった。他の漫画家からも、その絵の上手さを真似され、賞賛されるほどの凄みのある絵柄だったが、週刊連載は厳しいだろうなとの推測通り、次第に頁数が減り、遂には原稿を落とすようになった。

こりゃ、萩原も潰れるかなと思っていたら、暫しの休載を経て、月刊誌で再開していた。私の記憶では、このような形で復活したジャンプの漫画家は、萩原が最初ではないかと思う。

皮肉なもので、かつては発行部数が500万部と言われたジャンプも、人気漫画の相次ぐ終了で、その人気にもかげりが出てきた。それゆえ、集英社としてはドル箱作家の萩原を手放すわけにはいかなかったが故の月刊誌再開ではないかと思う。

このことが契機になったかどうかは分からないが、他の雑誌でも人気漫画家の月刊誌への移行が出てくるようになった。週刊誌に連載するという行為は、漫画家にとって名誉であると同時に、相当なストレスともなっていたように思う。だからこそ、潰れる漫画家が続出していたのだろうと思う。

萩原の月刊誌移籍は、才能ある漫画家を、掲載誌を変えることにより、再生復活させる最初の事例になった感があり、私個人としては、たいへん注目していました。もっとも、その月刊誌さえ時折落としているようですが、単行本を読むと、その絵柄は更に精緻さを増しており、無理なからん気もします。しかし、完結するのかいな?

もしかしたら、次は「HUNTER×HUNTER」の冨樫かもね。
コメント (4)
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