のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

20年

2015-03-20 | Weblog
一人暮らしを始めてから、今日でちょうど20年になります。
うららかで天気のいい日でした。朝のうちに16インチのテレビデオが部屋に届き、配線を繋いでスイッチを入れ、最初に映し出された映像が地下鉄サリン事件で騒然とした霞ヶ関駅出口の様子でしたから、日付は間違えようがございません。

あの当時は三条河原町に駸々堂が、もう少し南には丸善が店を構えておりました。函館から出て来たのろさんは、本屋さんといえば基本的にデパートの一角にあるもの、という認識でしたから、「建物まるごと本屋さん」である丸善やジュンク堂には眼もくらむ思いでしたし、駸々堂のフロアの広さを見ては、別世界に来たような心地がしたものでございます。
その年に駸々堂で購入したグスタフ・ヤーノホ著『カフカとの対話』(ちくま学芸文庫)と、丸善で購入したオリビエーロ・トスカー二著『広告は私たちに微笑みかける死体』は各々の書店でかけてもらったカバーもそのままに、今もワンルーム拙宅の書棚に納まっております。丸善の洋書部門でスティーブン・バーコフの朗読カセットテープ付『Franz Kafka The Transformation and Other Stories』を見付けたときのワクワク感も忘れられません。まあ特装本でも何でもない、造本はおろか紙質も良いとは言えないペンギンブックスのペーパーバックなんですけれども、何せバーコフの朗読が素晴らしいのです。今も時々、作業のBGM的に聞いております。今の三代目ラジカセ氏にはカセットデッキがないので、MP3に変換したやつを。こんな所にも時代の変遷を感じます。


京都に来て初めて観た映画が何であったかは思い出せませんが、公開日の日付からして『レオン』かもしれません。スカラ座だったかしらん。観た時は感動しました。観た時は。
映画といえば、繁華街に大きな映画館がいくつも密集しているのにも驚きましたが、ワタクシにとって何といっても新鮮だったのは、ミニシアターなるものの存在でございました。特に今はなき「朝日シネマ」には何度も足を運んだものですが、これについては以前の記事で書きました。

なくなった映画館2 - のろや

今もしばしば足を向ける「みなみ会館」で、人生で初めてオールナイト上映を体験したのもおそらく1995年のことであったかと。シュヴァンクマイエルの『アリス』に始まり、『ヘンリー ある連続殺人鬼の記録』、『不思議惑星キン・ザ・ザ』、そしてルネ・ラルーの『ファンタスティック・プラネット』で締めというカルトな企画、その名も「ファンタスティック・カルト・ナイト」。春に近所の自転車屋さんで購入した7000円くらいの自転車(初代琵琶湖一周チャリ氏。数年後、うっかり鍵をかけ忘れた夜に盗難される)を飛ばして時間に余裕を持って行ったつもりが、着いてみれば何と劇場の外まで──階段を降りきってパチンコ屋さんの前まで──続く長蛇の列。「夜中に映画を観に来る人たちがこんなにいるなんて!」とカルチャーショックを受けたものでございます。
予想外の盛況に、どうにかこうにか会場には入れたものの、始めの2本は立ったまま観なければなりませんでした。これで座ったらたちまち寝てしまうのではないか、と少し不安だったものの、何しろ『キン・ザ・ザ』は眠気など跡形もなくぶっ飛ばす大傑作でしたし、あの頃のみなみ会館の椅子はクッションは固いし背もたれは低いしで、あんまり眠気を誘うような代物でもありませんでしたので、そのおかげもあってウトともせずに完徹することができました。あのいかにもレトロでちょっと無愛想な椅子、ワタクシはわりと好きでした。

振り返れば、この20年でみなみ会館も色々と変わりました。足が遠のいた時期もあり、手放しで全てがよくなったとは言えないかもしれません。しかし運営体制や上映作品の傾向が多少変わろうとも、マイナーな作品の上映や特集上映を積極的に企画してくれるという点でたいへん貴重な映画館であることは疑いを容れません。それにあの無理矢理感のあったトイレが近年大幅に改善されたのは、本当にありがたいことと思っております。

何となく続きます。