のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

被災文書クリーニング

2011-07-08 | Weblog
次の休みは午前中に『ディア・ハンター』午後に『10万年後の安全』と、人類の愚かさ2本立てでしんどい充実感を味わおうかと思っていた所へ、震災関係で人手を募集しているとのメールが入ってまいりまして、ちょっと迷ったのち、そちらに参加することにしました。ここでちょっと迷ってしまう所がのろでございます。

というわけで

東日本大震災の津波で泥をかぶった文書のクリーニング作業に参加してまいりました。
泥まみれカビだらけになった冊子を1頁1頁めくりながら、ひたすらブラシをかけて汚れを落としていきます。
作業手順レジュメの表現を借りると「野戦病院式」のスピード重視の作業で、10数名の有志が9時から5時まで黙々とブラシがけに従事しました。

等しく泥をかぶったとはいっても、やはり地域によて被害状況は異なるとのこと。ワタクシが手がけさせていただいたものは、泥のほかにはせいぜい木の葉が挟まっているぐらいのものでしたが、中にはページの間から海藻やヒトデが出て来るものもあったとか。乾燥しているとはいえなにしろ死後3ヶ月超のヒトデでございますから、匂いもたいへんなものだったそうです。

数日間に渡る作業のうち、ワタクシが参加できるのはこの1日だけでございました。膨大な文書が処置を待っている状況で、いったいどれだけ役に立てたのかは分かりません。
そもそも人類なんてそう長くは持たないだろうに、ものを作ったり、直したり、保存につとめたりすることにいったい何の意味があるのかとは常々考える所ではございます。
メフィストフェレスが言うように、初めから何もなかったらその方がよっぽどよかったのかもしれません。
しかしとにもかくにも現実にそうはならなかったのであり、私どもや世界といった諸々のものが存在し始めてしまった以上、その保存と記録につとめるのが、存在してしまっている者に課せられた宿命でございます。「在る」ということは「在り続けようと努力する」ということと同義だからでございます。

ところで作業中なぜか-----別に心弾むような作業ではなく、あるいはだからこそだったかもしれませんが-----、ワタクシの頭の中では「オブラディ・オブラダ」がエンドレスに流れておりました。
らいふごーずぉーん ってことでしょうか。

Cover Tune Grab Bag - "Ob-La-Di, Ob-La-Da"


↑無性に楽しい動画でございます。こういうのを見ますとたちまち「まー生きてるものいいか」と思ってしまうのですから、のろのニヒリズムも知れたものでございます。