読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

『親の顔が見たい』

2009年06月21日 | 舞台芸術
劇団大阪『親の顔が見たい』(作・畑澤聖悟、演出・熊本一)

毎年恒例の「大阪春の演劇まつり」の一環として劇団大阪が『親の顔が見たい』を上演しているので見に行った。

東京にある私立の伝統校の星光女子中学で2年3組の道子が教室で首吊り自殺をする。第一発見者の担任である戸田先生にもとにはその日の夕方に道子の遺書が郵送されてくる。その中に五人のクラスメートの名前が書かれていたことから、この五人は学校に呼ばれて、別々の部屋で事情聴取を受け、そのあいだに彼女たちの父母(保護者)が呼ばれる。舞台は保護者たちが集められた進路指導室で進行する。登場人物は、校長、2年の学年主任、担任、五人の保護者たち。五人の中学生たちは彼らの会話のなかには出てくるが、登場人物にはならない。

「親の顔が見たい」というタイトルが予想させるように、テーマは学校でのいじめとそれによる自殺というものだが、いじめのありようが主題というわけではなく、いじめた側そしていじめられた側の保護者(両親ばかりでなく、片親だけというところや、祖父母が育てているところもあるので保護者ということ)が何をしたのか・どういう対応をしたのか・こんなときにどんな反応を見せるのかということがこの作品の主題である。

作品そのものはよくできていると思う。一気にいじめの実態を提示するのではなく、自殺した道子が自殺前に遺書としてあちこちに送った手紙が次々と出てくるとか、それまで知っていることを黙っていた保護者の一部が実は知っていたことを告白するというかたちで、真実が徐々に明らかになるように作られている。

最初は弁当に泥を入れられたとか服をゴミ箱に捨てられたというような程度のことと思わせておいて、それで自殺するのは自殺する側にも問題があったのではないかと保護者たちに言わせる。そして道子の親も片親でその母親が朝早くからパートの仕事に出ているというようなことや道子自身が学校で禁止されているアルバイトをしている事実が出てくると、それを口実にして五人のクラスメートのしたことをなんとか正当化しようとする保護者たちの醜い姿を見せる。

だが、道子がアルバイトをしていた新聞配達店の店員が道子の遺書をもって乗り込んできて、五人にむりやり服を脱がされて裸の写真を撮られたとか、売春をさせられていたなどという事実が明るみにでると、そのことを知らせたこの新聞配達員の見かけ(金髪に髪を染めているなど)を正当化の理由にしようとする。

結局、五人が事実を認めないのだから、いじめの事実はなかったと主張したい保護者の一部に対して、別の保護者が自分が娘に黙っているように、また証拠の携帯データはすべて消去するように指示したのだと名乗り出ることで、事実を否定することはできなくなって、話は終わる。

このように見てくるとこの劇の主題はいじめということを通してみた親子の問題を主題にしていることが分かってくる。

劇団大阪の谷町劇場は小さなスペースだが、今回はぐるりを客席にして、まんなかに長いテーブルをおいた配置になっており、この演出が新鮮だった。しかし俳優さんの語り口の特徴というのはどんな役をやっても変わらないものなのだなと、劇団大阪を何年も見ていて思う。

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