ビゼー『カルメン』(河内長野マイタウンオペラ・不朽の名作シリーズvol.1)
13日ラブリーホールでビゼーの『カルメン』を観た。指揮は牧村邦彦、オーケストラは大阪シンフォニカー交響楽団、演出は中村敬一、カルメンは田中友輝子、ドン・ホセは松本晃、エスカミーリョは松澤政也、ミカエラは木澤佐江子であった。
だれでも聞いたことがあるあの序曲(たしか「ウォーターボーイズ」のなかで使われていたよね)、そしてメインテーマのように何度も使われる闘牛士エスカミーリョのテーマで、超がつくほど有名なオペラで、フランスのオペラといえば、たいていの人はこれしか知らないのではないだろうか。
たぶんこれは観客だけでなく、出演する側も、フランス・オペラといえば『カルメン』で、これをやったことがなければ、フランス語オペラも初めてということのようだ。事実、配布された冊子のキャスト紹介のなかで多くの歌手が、フランス語は初めてでてこずったというようなことを書いている。イタリア語のような開口音に比べると、閉音も多いし、曖昧な母音も多いから、大音量で歌うにはきついのかもしれない。たしかにエスカミーリョの有名なテーマソングは変な歌い方に私には聞こえた。音がスムーズに流れていないというか、ごつごつした歌い方なのだ。聞いていてまったく乗ってこない。
このオペラはやはりスペイン人がやってこそ、と言えるような、まったくインターナショナルとは反するオペラだと思う。たとえばけっしてだれにも束縛されたくないというカルメンの自由奔放な生き方は、漆黒の髪をもち内部に熱い思いを秘めた、そう、たとえばペネロペ・クスルみたいなスペイン女性にぴったりの役柄だろう。なんか白色の西洋女とも違う、かといって従順な東洋女とも違う。そしてラテン系だから男だって自由奔放と思うかもしれないが、スペインの男性は意外とまじめな人が多い。たぶんカトリックの教育のせいかもしれないが、このドン・ホセのように、母親思いでまじめなのだ。だから、一度道を踏み外すと、今日で言うようなストーカー的な行動に出る。
ただパリ生まれでおそらくフランスから出たこともないらしいビゼーがどの程度スペインのことを知っていたかは分からないし、こうした自由奔放に生きる人間を主人公にしようとする意識は時代のものだと考えられる。1850年にクーデタによって第二共和制を倒して皇帝についたナポレオン三世は、パリの大改修工事(いわゆるオスマン・パリ市長によるパリ改造工事)やフランス国内の鉄道網の整備などインフラの整備を中心とした政策によって産業の育成・発展、雇用の創出を実現して、フランスに上げ潮の時代をもたらした。こういう産業発展時というのは同時に労働者の意識も変化していく時期であり、労働運動も活発になっている。フランス語版の『資本論』が出版されたのも、このオペラが初演されたのと同じ1875年だったというのは、偶然ではないだろう。
産業も発展し、労働者の意識も高揚したこの時代だからこそ、ジプシー女というどちらかといえばマイナーな社会的存在を主人公にしているけれども、殺されようが何をされようが、自分の思うように生きたいという、まさに新しい人間像をカルメンに託して表現していると思う。
今日は二階席で全体の見晴らしはよかったのだが、遠く用のメガネを忘れたために、役者の顔どころか、字幕さえあまりよく見えなくて、オペラに没入できなかった。演奏なんかはなかなかよかったんだけどね。
13日ラブリーホールでビゼーの『カルメン』を観た。指揮は牧村邦彦、オーケストラは大阪シンフォニカー交響楽団、演出は中村敬一、カルメンは田中友輝子、ドン・ホセは松本晃、エスカミーリョは松澤政也、ミカエラは木澤佐江子であった。
だれでも聞いたことがあるあの序曲(たしか「ウォーターボーイズ」のなかで使われていたよね)、そしてメインテーマのように何度も使われる闘牛士エスカミーリョのテーマで、超がつくほど有名なオペラで、フランスのオペラといえば、たいていの人はこれしか知らないのではないだろうか。
たぶんこれは観客だけでなく、出演する側も、フランス・オペラといえば『カルメン』で、これをやったことがなければ、フランス語オペラも初めてということのようだ。事実、配布された冊子のキャスト紹介のなかで多くの歌手が、フランス語は初めてでてこずったというようなことを書いている。イタリア語のような開口音に比べると、閉音も多いし、曖昧な母音も多いから、大音量で歌うにはきついのかもしれない。たしかにエスカミーリョの有名なテーマソングは変な歌い方に私には聞こえた。音がスムーズに流れていないというか、ごつごつした歌い方なのだ。聞いていてまったく乗ってこない。
このオペラはやはりスペイン人がやってこそ、と言えるような、まったくインターナショナルとは反するオペラだと思う。たとえばけっしてだれにも束縛されたくないというカルメンの自由奔放な生き方は、漆黒の髪をもち内部に熱い思いを秘めた、そう、たとえばペネロペ・クスルみたいなスペイン女性にぴったりの役柄だろう。なんか白色の西洋女とも違う、かといって従順な東洋女とも違う。そしてラテン系だから男だって自由奔放と思うかもしれないが、スペインの男性は意外とまじめな人が多い。たぶんカトリックの教育のせいかもしれないが、このドン・ホセのように、母親思いでまじめなのだ。だから、一度道を踏み外すと、今日で言うようなストーカー的な行動に出る。
ただパリ生まれでおそらくフランスから出たこともないらしいビゼーがどの程度スペインのことを知っていたかは分からないし、こうした自由奔放に生きる人間を主人公にしようとする意識は時代のものだと考えられる。1850年にクーデタによって第二共和制を倒して皇帝についたナポレオン三世は、パリの大改修工事(いわゆるオスマン・パリ市長によるパリ改造工事)やフランス国内の鉄道網の整備などインフラの整備を中心とした政策によって産業の育成・発展、雇用の創出を実現して、フランスに上げ潮の時代をもたらした。こういう産業発展時というのは同時に労働者の意識も変化していく時期であり、労働運動も活発になっている。フランス語版の『資本論』が出版されたのも、このオペラが初演されたのと同じ1875年だったというのは、偶然ではないだろう。
産業も発展し、労働者の意識も高揚したこの時代だからこそ、ジプシー女というどちらかといえばマイナーな社会的存在を主人公にしているけれども、殺されようが何をされようが、自分の思うように生きたいという、まさに新しい人間像をカルメンに託して表現していると思う。
今日は二階席で全体の見晴らしはよかったのだが、遠く用のメガネを忘れたために、役者の顔どころか、字幕さえあまりよく見えなくて、オペラに没入できなかった。演奏なんかはなかなかよかったんだけどね。