佐藤賢一『小説フランス革命Ⅱ バスティーユの陥落』(集英社、2008年)
佐藤賢一さんがいま渾身の力をふり絞って連載中の「小説フランス革命Ⅱ」で、ちょうど1789年7月14日のバスティーユの陥落をはさむ数ヶ月のことが書かれている。「小説フランス革命Ⅰ」も読まずに、「小説フランス革命Ⅱ」のほうを先に読むというのもなんだけれど、まぁ図書館で借りて読むということになると、先にⅠのほうを予約していても、予約希望者がおおければこういうことになってしまう。しかたない。
おもにミラボーとロベスピエールの二人、パリの武装蜂起を先導した人物として描かれているカミーユ・デムーランという若者の視点で書かれている。
憲法制定国民議会が憲法制定を先にするか・人権宣言を先にするか、王命・王令の違いなどを議論して、まったく埒があかない状態にあるのに、業を煮やしているパリ市民の一人としてカミーユはとにかくパリが蜂起しないことには事態が進まないと考えるミラボーに扇動されるかたちで武装蜂起を行い、革命が始まった。
私はバスティーユの襲撃というのは、そこに幽閉されている多数の政治犯を解放するためだとばかり思っていたのだが、この小説ではそうではなくて、武器がまったくない蜂起したパリ市民が武器を手に入れようと、武器弾薬が隠匿されていると噂されるバスティーユを襲撃しようとして起こったことらしい。
それにしても初めてのパリでの市街戦だったということもあるせいか、同じ佐藤賢一さんが書いた『褐色の文豪』の7月革命のときの市街戦の描写とずいぶんと違って、おとなしいというか、あっさりとしているというか、なんか拍子抜けするような描写になっている。たぶん同じ作家の書いたものだから、たぶんフランス革命のときの市街戦のほうがあっさりしていたのだろう。ただ全体に、描写が淡白になっているのは確かなようだ。どうもフランス革命という大事件のわりには、厚みが感じられないというか、血湧き肉踊る躍動感にかけるというか。
ミラボーというこの巻の中心人物を描くのに、『褐色の文豪』でもそうだが、人物のいい面も悪い面も、つまり人間的な部分をそっくり描き出すことは重要だろう。ここではミラボーの嫉妬にうずまく内面―ラ・ファイエットにたいする妬み、パリ市長バイイへの侮蔑など―がそっくり描かれていて、一歩間違える自分の栄誉心のために革命を起こしたかのようなふうに見える。なんか腹黒いものをもった百戦錬磨のじじいという描き方である。対するロベスピエールは一本気な若者で、革命の大義を通そうと一生懸命という感じだ。
ただそうした描き方が、この小説では功を奏していないというか、面白みを与えていない。この調子でいったら、フランス革命っていったいなんだったの、どこが偉大な革命だったのというようなことになりかねない。まぁまだまだ何巻も続く話なので、いまから先走って決め付けることはないだろうが、ちょっと心配だね。
佐藤賢一さんがいま渾身の力をふり絞って連載中の「小説フランス革命Ⅱ」で、ちょうど1789年7月14日のバスティーユの陥落をはさむ数ヶ月のことが書かれている。「小説フランス革命Ⅰ」も読まずに、「小説フランス革命Ⅱ」のほうを先に読むというのもなんだけれど、まぁ図書館で借りて読むということになると、先にⅠのほうを予約していても、予約希望者がおおければこういうことになってしまう。しかたない。
おもにミラボーとロベスピエールの二人、パリの武装蜂起を先導した人物として描かれているカミーユ・デムーランという若者の視点で書かれている。
憲法制定国民議会が憲法制定を先にするか・人権宣言を先にするか、王命・王令の違いなどを議論して、まったく埒があかない状態にあるのに、業を煮やしているパリ市民の一人としてカミーユはとにかくパリが蜂起しないことには事態が進まないと考えるミラボーに扇動されるかたちで武装蜂起を行い、革命が始まった。
私はバスティーユの襲撃というのは、そこに幽閉されている多数の政治犯を解放するためだとばかり思っていたのだが、この小説ではそうではなくて、武器がまったくない蜂起したパリ市民が武器を手に入れようと、武器弾薬が隠匿されていると噂されるバスティーユを襲撃しようとして起こったことらしい。
それにしても初めてのパリでの市街戦だったということもあるせいか、同じ佐藤賢一さんが書いた『褐色の文豪』の7月革命のときの市街戦の描写とずいぶんと違って、おとなしいというか、あっさりとしているというか、なんか拍子抜けするような描写になっている。たぶん同じ作家の書いたものだから、たぶんフランス革命のときの市街戦のほうがあっさりしていたのだろう。ただ全体に、描写が淡白になっているのは確かなようだ。どうもフランス革命という大事件のわりには、厚みが感じられないというか、血湧き肉踊る躍動感にかけるというか。
ミラボーというこの巻の中心人物を描くのに、『褐色の文豪』でもそうだが、人物のいい面も悪い面も、つまり人間的な部分をそっくり描き出すことは重要だろう。ここではミラボーの嫉妬にうずまく内面―ラ・ファイエットにたいする妬み、パリ市長バイイへの侮蔑など―がそっくり描かれていて、一歩間違える自分の栄誉心のために革命を起こしたかのようなふうに見える。なんか腹黒いものをもった百戦錬磨のじじいという描き方である。対するロベスピエールは一本気な若者で、革命の大義を通そうと一生懸命という感じだ。
ただそうした描き方が、この小説では功を奏していないというか、面白みを与えていない。この調子でいったら、フランス革命っていったいなんだったの、どこが偉大な革命だったのというようなことになりかねない。まぁまだまだ何巻も続く話なので、いまから先走って決め付けることはないだろうが、ちょっと心配だね。