宇野木めぐみ『読書する女たち』(藤原書店、2017年)
読書する、とくに女性が読書するという行為が、18世紀に飛躍的に増加した、しかし18世紀における女性の読書は不道徳というレッテルが貼られていたという事象を、絵画、小説、女子教育論などを素材にして明らかにしようとしたもの。
第一章の絵画を扱った章は、具体的で分かりやすい。しかし著者はもともと美術史の専門家というわけでもない。
第二章の文人たちの女子教育論では、18世紀初頭のランベール夫人、18世紀中頃のルソー、そして末期のラクロの女子教育論が論じられ、彼らが総じて女性の読書を実用的なものだけにすべきで、小説などに手を出したら、女性を堕落させることになると反対していたことを指摘する。
第三章から具体的な小説が対象となる。ルソーの『新エロイーズ』、ロベール・シャール、ラクロの『危険な関係』など。さらに第四章ではマリヴォー『マリアンヌの生涯』『成り上がり百姓』『マノン・レスコー』『危険な関係』『ポールとヴィルジニー』など。だが、これらの小説で女性の読書が扱われることはごくわずかで、いったい何の分析のためにこれらの小説が分析対象とされているのか、理解に苦しむ。
結局、冒頭で挙げられた、この著作の目的である、18世紀における小説と読書する女という関係については、絵画と女子教育論については、それなりに面白かったが、第三章以降の半分以上のページ数を当てた部分では、具体的な小説からは何も見えてこなかった。
初出一覧を見ると、この著者は、もともと女子教育論を研究していたようだが、読書する女というテーマを思いついて、むりやり結びつけて書いたような感を否めない。もっとつっこんだ分析を期待していたのだが、がっかり。そしてこんな本を出す藤原書店にもがっかり。
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第一章の絵画を扱った章は、具体的で分かりやすい。しかし著者はもともと美術史の専門家というわけでもない。
第二章の文人たちの女子教育論では、18世紀初頭のランベール夫人、18世紀中頃のルソー、そして末期のラクロの女子教育論が論じられ、彼らが総じて女性の読書を実用的なものだけにすべきで、小説などに手を出したら、女性を堕落させることになると反対していたことを指摘する。
第三章から具体的な小説が対象となる。ルソーの『新エロイーズ』、ロベール・シャール、ラクロの『危険な関係』など。さらに第四章ではマリヴォー『マリアンヌの生涯』『成り上がり百姓』『マノン・レスコー』『危険な関係』『ポールとヴィルジニー』など。だが、これらの小説で女性の読書が扱われることはごくわずかで、いったい何の分析のためにこれらの小説が分析対象とされているのか、理解に苦しむ。
結局、冒頭で挙げられた、この著作の目的である、18世紀における小説と読書する女という関係については、絵画と女子教育論については、それなりに面白かったが、第三章以降の半分以上のページ数を当てた部分では、具体的な小説からは何も見えてこなかった。
初出一覧を見ると、この著者は、もともと女子教育論を研究していたようだが、読書する女というテーマを思いついて、むりやり結びつけて書いたような感を否めない。もっとつっこんだ分析を期待していたのだが、がっかり。そしてこんな本を出す藤原書店にもがっかり。