読書な日々

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今年読んだ本のベスト5

2011年12月30日 | 日々の雑感
今年読んだ本のベスト5

今年は、ついに読んだ本の数が50本を下回ってしまった。ただ、昨年同様に、言い訳じみているが、仕事関係の本を読むことが多くなったので、必然的にというか、無理して睡眠時間を減らしてまで読書量を増やすということをしなかったことの結果として、こういう数字になった。だんだんと小説が減ってきている。減っているだけではなくて、読んでも面白くなくなってきている。三上延『ビブリア古書堂の事件手帖』とか海堂尊『イノセント・ゲリラの祝祭』や角田光代『ツリーハウス』を読んだのだが、心にずしりと残るものではなかった。このブログを始めた頃に読んだ、桐野夏生の『OUT』、奥田英朗の『最悪』や『サウスバウンド』、重松清『いとしのヒナゴン』のような、もう読み出したら止まらず、読み終わるのが寂しいと感じたり、読後にしばらくその小説世界からでられなくなってしまうような強烈な感銘を受けることがなくなった。残念なことだ。数年前から人生の転機にあると何度か書いたが、やはりそれ関係の本を読んでもなんか満たされない、でも読まなければならないと、思ってしまうことが、小説世界に浸れなくさせているのだろうか?

1.金容雲『「日本=百済」説』(三五館、2011年)
この人の本は『日本語の正体―倭の大王は百済語で話す』も面白かった。日本と朝鮮は文化的にも言語的にも本当に近い。食べ物や身振りを始めとして、言葉の端々にもおやっと思うことがたくさんある。その原因は、かつて日本の支配者が朝鮮渡来の人々だったというこの仮説から十分に説明できるだろうと思う。この点では、日本と中国の関係とはまったく違う。この著者の仮説がもっと広まりいろんな面で実証されるようになると面白い。

2.中村孝義『室内楽の歴史』(東京書籍、1994年)
現在、大阪音大の学長をしている人のちょっと古い本だが、社会の特徴と関わらせて、室内楽の変遷を丁寧に記述したこの本は決して古びていないと思う。取り上げられている作品があまりメジャーなものばかりではないが、昨今はYouTubeで検索したら、けっこう聞いたことのないような作品でも出てくるから、便利だ。ちょっと触りだけを聞いてみるだけでも、本を読むだけとはまったく違う。

3.榊原英資『フレンチ・パラドックス』(文藝春秋、2010年)
EU諸国の財政・経済危機がいっこうに改善の兆しを見せない。同志社大学の浜矩子のように、EUやユーロを敵視した経済専門家がべらべらとユーロの危機を吹聴してまわるのを見るのは本当に腹立たしい。なんせこの人は1994年からすでに『分裂する欧州経済 - EU崩壊の構図』なんて本を書いているくらいに筋金入りの反EU、反ユーロ論者だからね。別に彼女に楯突いてこの本を書いたわけではないだろうが、2008年のアメリカの金融危機にもほとんど揺るがなかったフランス経済の特徴を分析して、日本経済の道しるべにすべきだという主張は、ミスター円と言われる人の発言だけに、興味深い。

4.萩原遼『金正日 隠された戦争』(文藝春秋、2004年)
少し前に心臓疾患で金正日が死んだという報道を読んだ時、この本で金正日が父親の金日成を心臓疾患に見せかけて毒殺したのではないかという仮説が述べられていることを思い出した。金日成もろくなことはしなかったが、金正日ははっきり言って極悪非道の人間だ。父親は殺すは、核開発のための資金を外国から導入するために飢餓を作り出し、しかもその飢餓で自分に敵対する人間たちを死に追いやったのだから。また日本人だけでなく韓国人も拉致している。


5.大井玄『「痴呆老人」は何を見ているか』(新潮新書、2008年)
痴呆というのがいかに社会的な産物であるのかを知らしめる貴重な本だ。認知症になるからみんな痴呆になるのではない。社会のケアが、人間としての尊厳を大事にして、自由な環境の中で行われれば、認知症が進んでいても痴呆にならなくても済むのだ。老人をのけ者して、邪魔な存在としてしか見ない現代社会が創りだした疾病が痴呆なのだ。100歳まで生きたことが何か本人の努力によるものであって、痴呆になるのは努力が足りないからだみたいな風潮になっていくのがなんとも怖い。



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