読書な日々

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『オリンポスの果実』

2009年01月28日 | 作家タ行
田中英光『オリンポスの果実』(新潮文庫、1951年)

田中英光なんていってもほとんど知る人などいない、忘れられた作家だろう。1913年東京生まれで、早稲田大学在学中に1932年のロサンゼルス・オリンピックにボート(エイト)選手として出場したが、予選で敗退した。大学を卒業して横浜ゴムに就職し、日本統治時代に京城と呼ばれていた現在のソウルに派遣され、そこで朝鮮人文学者との交友が生まれる。1940年、ロサンゼルス・オリンピックに出場したときの経験をモチーフにして書いた『オリンポスの果実』を文学界に発表し第7回池谷信三郎賞を受賞する。終戦前に静岡に引き上げ、終戦後太宰治の自殺に衝撃を受けて薬物中毒になり、49年に太宰の墓前で、睡眠薬服用の上、手首を切り自殺した。太宰に師事し彼と同じように同棲をしたり薬物中毒になったりして「無頼派」と呼ばれる。

40年に『オリンポスの果実』で新人作家として認められてから49年に自殺する10年弱のあいだしか作家生活がないわけだが、一応11巻を数える全集が出ているので、けっこうな量を書いていることになるが、『オリンポスの果実』でしか知られていない、というか、このしょうせつだってほとんど知られていないに等しいだろう。私が知っているのは、高校生のときに同じくボートをやっていたので、部員の一人がこんな小説があると教えてくれたからだった。この前の朝日新聞の日曜版に電子化された小説を読むためのソフトの紹介があり、そのなかに電子化された小説の一つとしてこの小説のタイトルを見て、急に懐かしくなって、図書館で借りてきたのだ。

ボートの練習とか試合の場面というのはほとんどない。全編、選手団で日本を出帆してハワイに寄航したあとロスに着き、そこでの歓迎会や自由時間に観光して、日本にもどってくるという経験のなかで、選手団の一人でハイジャンプの選手であった熊本秋子を好きになって、彼女とのやりとりやら同僚選手からのさまざまな冷やかしなどのなかで感じたことが、まるで高校生か大学生の日記のごとくに綴られている。本人は同僚選手たちから体ばかり大きくて(当時の日本人としては大柄な180センチくらいあったようだ)技術のともなわないと馬鹿にされていると思っていたようだが、その純真な性格からきっとみんなから親しみを感じ愛されていたのにちがいない。新潮文庫版の解説を書いている河上徹太郎は当時の「文学界」の編集長で彼がこの小説の掲載を決めたようだが、その解説を読んでもどうしようもないぼんぼんだけど憎めない奴みたいな愛情が感じられる。

高校生だった私たちにも、自分たちが夢中になっているボートという、一般にはマイナーで、オリンピックのテレビ番組にも出てくることがないスポーツが舞台になっているだけでなく、それこそ当時の高校生が体験するような淡い恋心のようなものが描かれている小説として、まるで自分たちの心情が小説になっているというような気持ちになったのだろう。私だって他のクラスに好きな子がいても、とても声をかけることなんかできず、遠くから見ているだけみたいなものだったので、主人公の気持ちに共感できたのだろう。この年になってみると、大学生にもなってまるで高校生の馬鹿騒ぎだなと醒めたところがあるのは当然だろう。

テレビでボートの試合が放送されることはまずないので、オリンピックのボートレースなどを見たことはないが、なぜか私には外国人のボート選手がシングルススカルを片方の肩に担ぎ、もう片方の手に恋人(あるいは妻)をつれて練習場を歩いているというイメージがあり、どうしてかなと思っていたら、まったくそれと同じ情景がこの小説に描かれていることが分った。なるほどこの小説を読んだことで、そんなイメージが出来上がっていたんだなと納得。やっぱわずかなページ数の描写でもボートに関わる部分は強烈に残っていたんだね。

田中英光を紹介しているサイト(作家などの回想文が掲載されている)

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