読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

『船に乗れ!Ⅲ合奏協奏曲』

2010年04月30日 | 作家ハ行
藤谷治『船に乗れ!Ⅲ合奏協奏曲』(ジャイヴ、2009年)

連作の最終巻。高校二年生で付き合っていた南枝里子が他の男性とのあいだに子どもができて退学し、恋愛も破綻してしまうという事件があり、なんとかその痛手を隠しつつ、三年生になって、音楽ホールの落成をきっかけに、オーケストラは専攻科だけでやるという方針転換に新たな気持ちで取り組んでいた津島たちの演奏会に突然枝里子がやってきて隠れてバッハのブランデンブルグ協奏曲5番を演奏して、またあっという間に去ってしまう。後から渡された手紙とかつて一緒にやっていた曲の楽譜でやっと踏ん切りをつけた津島は、チェロを捨てる決心をして予備校に通い始める。

たぶん作者が高校生のときに経験したことをほとんどそのまま小説にしたんだろうなと思いながら読んだ。また小説だからそういうふうに作ってあるのかもしれないが、なんだかすごく凝縮された高校三年間という気がする。普通の人間の3倍も4倍もの出来事が濃縮されているというか。

私の高校三年間も心の中ではけっこう波乱だったけど、外見的にはとくにたいした出来事もなく過ぎていった三年間だった。毎日(日曜日も祝日もなく、休みだったのは正月くらいか)ボートの練習に明け暮れ、帰宅したら、勉強もせず、テレビを見るばかりで、音楽を聴いたり、小説を読んだりはたまにするくらい。坐骨神経痛で膝が痛くなってボートができなくなった三年生の初め頃からは小説を読むようになった。それでちょっとは小説らしきものを書いたりして、大学も文学部に行こうと決めた。

「あのときこうしていればよかった」というようなことは誰しも考えることだが、あのときあの子が言ったあの言葉はじつはこういうことを意味していたんじゃないのかとか、あのときのあいつの行動はこういうことから来ていたんじゃないかというようなことが、つぎつぎと合点がいくというか、思い当たる節がある的に、突然ひらめいたりするということが、20歳代の出来事について私の場合は40歳代まであった。しかしそういうことも最近はほとんどない。たぶん人はそういう形で若い頃の過去と切れていくんじゃないかと思う。忘れるということは、本当に忘却してしまうということもあるけれども、重要な出来事の場合は、本当に忘れてしまうことはできないで、その隠された意味が突然分かる、よみがえるというような、牛の反芻行為ににたことが起きなくなることを言うのだろうと思う。

この作家はこれを30年後の45歳くらいで書いているわけで、まさに反芻行為を行なってきたことを思い出しながら書いたのだろうが、きっとこれでそれも終わりになるにちがいない。そういうことで青春時代に踏ん切りをつけることになるのだろう。


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『音楽の聴き方』 | トップ | 久しぶりライド »
最新の画像もっと見る

作家ハ行」カテゴリの最新記事