椎名亮輔『音楽を考える人のための基本文献34』(アルテスパブリッシング、2017年)
「あとがき」によると、同志社女子大学で音楽文化を専攻している学生たちを対象にした授業で、古代から現代までの音楽学関係のテクストを読むために使用したものが素材になっているという。どんな授業が行われたのか分からないが、この本に掲載されたようなテクストが時代背景とか思想背景とともに、その難しい用語の説明を経て、概念的なものが提示されたのだろうと勝手に思う。
この著者も書いているように、この点では日本は翻訳大国であるので、たいていのものは日本語で読むことができる。『文學界』の最新号では翻訳と日本語の将来について特集されているようだから、いずれ読んでみたい。
ところで、きっと授業ではきちんとした解説とともにこれらのテクストが精読されたのだと思うが、この本では、例えばプラトンで言えば、最初にプラトンと『国家』の説明が簡単に書いてあり、その後に『国家』の中の音楽に関する部分が数ページ引用されている。
もちろん最初のプラトンについての解説などはかなり的確にまとめられているが、その後に続くテクストの理解には何の役にも立たない。まぁプラトンあたりは、私の知識からすれば理解できるとして、古代ならアリストクセノス、中世ならケルンのフランコ、ヨハネス・デ・グロケイオ、現代ならウェーベルン以降など理解できない。
テクストそのものの解説は、もちろん授業では行われただろうし、どうして本にするときに、それを付けてくれないのか不思議だ。
私的には、テクスト主体よりもテクストの解説を詳しくつけてくれたほうが、広く読まれると思う。
それとデカルトからベートーヴェンまでを「中世」に分類している理由が分からない。どう考えても近代ではないのか。タイトル負けしている本ってこういうのをいうのかな。
「あとがき」によると、同志社女子大学で音楽文化を専攻している学生たちを対象にした授業で、古代から現代までの音楽学関係のテクストを読むために使用したものが素材になっているという。どんな授業が行われたのか分からないが、この本に掲載されたようなテクストが時代背景とか思想背景とともに、その難しい用語の説明を経て、概念的なものが提示されたのだろうと勝手に思う。
この著者も書いているように、この点では日本は翻訳大国であるので、たいていのものは日本語で読むことができる。『文學界』の最新号では翻訳と日本語の将来について特集されているようだから、いずれ読んでみたい。
ところで、きっと授業ではきちんとした解説とともにこれらのテクストが精読されたのだと思うが、この本では、例えばプラトンで言えば、最初にプラトンと『国家』の説明が簡単に書いてあり、その後に『国家』の中の音楽に関する部分が数ページ引用されている。
もちろん最初のプラトンについての解説などはかなり的確にまとめられているが、その後に続くテクストの理解には何の役にも立たない。まぁプラトンあたりは、私の知識からすれば理解できるとして、古代ならアリストクセノス、中世ならケルンのフランコ、ヨハネス・デ・グロケイオ、現代ならウェーベルン以降など理解できない。
テクストそのものの解説は、もちろん授業では行われただろうし、どうして本にするときに、それを付けてくれないのか不思議だ。
私的には、テクスト主体よりもテクストの解説を詳しくつけてくれたほうが、広く読まれると思う。
それとデカルトからベートーヴェンまでを「中世」に分類している理由が分からない。どう考えても近代ではないのか。タイトル負けしている本ってこういうのをいうのかな。