こだわり米専門店スズノブ 西島 豊造(五ツ星お米マイスター)の豊かに造ろう

様々な現実を見つめらがらも、日々を前向きに考えて進んでゆくためのブログです

「限界集落」という言葉は変えられないのか

2010年03月03日 23時17分01秒 | Weblog
「限界集落」
過疎化や高齢化が極端に進んだため、共同体の維持が困難化している集落を示している新語なのだが、この言葉は残酷すぎる響きを持っていると思う。

テレビ朝日の「報道ステーション」で、これを救うための地域の取り組みを紹介していた。
深刻な問題だからこそ、過疎化していく産地が、頑張っていることを伝えてくれることは嬉しい。
しかし、出来れば「限界集落」という言葉を使わないで、違う言葉で伝えてもらえることは出来ないのだろうか。

この響きは、その地域に「死刑」を宣告しているように聞こえる。
この言葉を聞いた地域も、絶対に良い印象は持たないのは明らかだし・・・

自分も、そうなってほしくないから、1人でも多くの若者に戻ってもらおうと思っているから、お米だけでなく、全力で産地そのものを活性化しようと考えて動いているのだ。

だから
「限界」とは言わないでくれ。

つらい!
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精鋭部隊よ。これがスズノブだよ

2010年03月03日 22時31分50秒 | Weblog
今日、某産地と私的に情報交換をすることになっていた。
事前の話だと1人の予定だったが、実際には新人を2人連れてきていたため、思いもよらない事実に、少々ビックリ。

でも連れてきた理由はよく判るので、何も隠さず、綺麗ごとも一切言わず、ありのままの消費地の現状と、東京という消費地が抱えている、他とは違う問題点を話し、さらに産地とのズレ、産地としての問題点等の話を、4時間にわたって話した。

申し訳ないと思いながらも、その中で、新人2人の反応は見させてもらった。
ただの新人で終わってしまう器なのか。
直ぐに産地の戦力となる器なのか。
それとも磨けば光る原石なのか。

本当は、もっともっと自分の考えを言って欲しかったのだが、さすがに自分と初めて会ったばかりでは、そうそう意見も言えなかったようだが、それでも自分としては、「なるほど。だから連れてきたのか」という結論となった。

仕事からして、なかなか産地から出向いてくるチャンスは無いと思うが、東京に来ることがあれば、この2人には、なるべく自分のもとに寄ってもらいたいと思っている。

教えたいことが山ほどあるのだ。

何故自分と産地が付き合うことになったのか。
この10年以上、何を考え、何を目指していたのか。
何処まで実行できて、何処まで可能性があって、何処が無理なのか。
その中で、何故、産地はミスをしてしまったのか。
何処で歯車がくるってしまったのか。
どうして自分がブラント化を止める事態となったのか。
自分は何処に対して怒っているのか。

では復活は出来るのか。
チャンスはまだあるのか。

針の穴ほどだが、まだ復活する可能性はある。
しかし、それは、東京からではコントロールしきれない。
東京からでは、穴が小さ過ぎて見えないのだ。
よって、全てを地元でコントロールしなければらならない。

わざわざ、あの苦労人が、自分のもとまで2人を連れてきたのだ。
だから、その方法を教えてあげる。

使いこなせ。
精鋭部隊の2人よ。
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島根は伝えてくれていたんだ

2010年03月03日 22時03分00秒 | Weblog
今日、いきなり島根県の生産者が訪ねてきた。

自分が明日の玉川島屋へ納品するお米をハイエースに積んで、車庫に向かおうとしているときに、店頭に来たことは知っていて、消費者じゃなくて生産者だということも、訪ねてくる様子から判ってはいた。

でも、生産者だと名乗らないまま帰ってしまう人もいるので、自分は声をかけないまま車を車庫へ向かって行ってしまった。

数分で車庫に車を持っていくことは出来るので、そんなに時間はかかっていないが、店に戻ったら、まだ、その時の生産者が店で待っていて、従業員から「島根の生産者だそうです」と教えられると、「以前に訪問した島根の普及員から聞いてきた」と言ってきたのだ。

消費地にきて色々な事を学んでも、そのことを産地に戻って話さない、または話すチャンスが無いままとなってしまうことが多い中で、島根はシッカリと消費地の現状などについて、生産者に対して説明をしてくれていたのだ。

こんな嬉しいことは無い。

だから、あの時とは違う、今の最新の情報を伝え、自然に恵まれすぎている産地には見えない部分、その中での産地としての取り組み方、生き残り方、産地の使い方、ブランド米作りのヒント等を、店頭での話のままとなってしまったが、その場で思いつく限り教えてあげた。

だから今度は、さらの多くの島根の人たちに、今日話した内容を伝えてほしい。
そして「西の魚沼」とも言われていた、あの時の島根に戻ってほしい。

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やはりレベルが高い生産者だ

2010年03月03日 10時30分28秒 | Weblog
昨日、山形県の上和田有機米の生産者が訪問してきた。

この上和田有機米は、山形県のトップレベルの生産者集団。
栽培に関するこだわり、美味しいお米への追求心、産地としての役割、流通の中での自分たちの存在をものすごく勉強している。
自分が見ていても、安心できる生産者集団なのだ。
だからこそ、自分の店では、「サポートしなくても大丈夫」という思いもあって、今まで実験的にしか販売したことが無いのだ。

しかし、この前の、お米マイスターの「お米ネットワーク会議」と同時に行われていた、「生産者商談会」の場にも参加していたので、ブースによって少しだけ話して、お互い知っているにも関わらず、あえて名刺を渡してきた。

この意味することを謎解きできるかは賭けだったのだが、やはり上和田有機米は、この謎を見事に解いて、連絡をしてきた。
だから、今回は喜んで会ったのだ。

「サポートしなくても大丈夫」という思いは今でもある。
しかし反面、「全ての産地の見本や励みにもなる」という思いもある。
そして、時代が時代なので、あえて上和田有機米のお米を、特別に取り扱っても良いのではという気持ちにもなっているので、しばらくしたら、上和田有機米の売りたいお米で、玉川島屋で試食販売をしてみようと考えている。
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