仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

光と影

2009年06月30日 | 苦しみは成長のとびら
6/13(土)~8/16(日)まで渋谷Bunkamuraザミュージアムで開催されている「奇想の王国だまし絵展」が開催されている。行ってみたいと思う。

角度を変えて見ると絵が変化したり、見た瞬間、そこに本物があるかのように見える静物画など、さまざまなだまし絵が体験できるとあります。

だまし絵の代表に「老婆と貴婦人」がある。老婆だと思ってみると老婆に、貴婦人だと思って見ると貴婦人に見える絵です。

見えない人に少し解説をすると、老婆に見えるときに目の部分は、貴婦人に見えるときは耳に見えます。老婆の口に見える部分は、貴婦人の首に見えます。貴婦人の胸元の肌が老婆の大きな鼻です。

こうした同じものを見ても見え方が違ってくることを利用する心理療法をゲシュタルト療法という。

固執する意識がとらえている「地と図」、そのとらえ方を変えていく療法です。これは仏教の気づきにもいえることです。

 以前書いた原稿から例話を拾ってみます。

たくわん漬けは、沢庵和尚が発明したもの。このたくわんで説明すると、なぜ、沢庵和尚の手柄になったかというと、沢庵和尚が出るまでは、糠(ぬか)は漬物に使えなかった。江戸時代以前は、ご飯は玄米を食べていたので、糠は、女性のおしろいとして用いていた。それが江戸時代となり、世のなかが平和になり、中国から殻臼(からうす)が入り普及して、白米を食べるようになる。白米を食べるので糠が豊富になった三代将軍の頃、沢庵和尚が糠に大根を漬けて、それが普及したとのこと。かくて、沢庵和尚は、沢庵漬けの創始者の如く、仏教以外の漬物の世界で有名となるに至った。

 国民が白米を食べ糠が豊富になる。その国には漬物の歴史があり、おのずから、糠に大根を漬け、大根漬けが生まれる。これは歴史の必然です。これが「影・地」です。
 ところが、丁度その頃、生まれ合わせ、漬物に興味がった男が、糠に大根を入れてみたら、うまい漬物ができた。これは偶然でこれが「光・図」です。
 この世のなかは、必然(影・地)と偶然(光・図)の織りなす絵巻物なのだが、人は歴史の必然としての「影・地」には無頓着で、偶然のできごとを自分の手柄とします。

終末期などの現実を受け入れられない苦しみの中で、この地と図がひっくりかえることがあります。老婆と見えていたものが貴婦人に見えるように。それは光の部分であったものが、苦しみによって否定され、影の部分であったものが、光の部分にとってかわるという現象です。(続く)
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