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仏教ライフを考える西原祐治のブログです

偏見の構造―日本人の人種観②

2020年03月17日 | 現代の病理
『偏見の構造―日本人の人種観』 (NHKブックス 55・1967/1・我妻 洋著, 米山 俊直著)のつづきです。

 憎しみの転位と投射

 昔、ブラジルの奥地に、山を隔てて二つの部族が住んでいた。実際にあったブラジルの部族の話である。この部族は、一年に一度、戦争をするのが、長い間の慣習になっていた。決められた日、戦士たちは山の両裾から登り、山上で華々しい戦いをくりひろげた。といっても、武器はたかだか鎗や棍棒である。大した殺傷力はない。双方とも、数人が死に、十数人が負傷したところで、戦いをきりあげ、山を降りる。それから一年、つぎの戦いの日まで、二つの部族は、お互いを烈しく憎みあって暮す。ー 誰かの病気がなおらない。狩りにでても獲物がない。山の向うの奴らが、悪いマジナイをしているにちがいない。よおし奴等め、来年の戦いには、思い知らせてやる。あの、ウスギタナイ、卑劣な、けだものたちめ ー、そのうちに、つぎの年の戦いの日が、めぐってくる。戦士たちは、山の両裾から登り、山上で戦い、負傷者をかついでひき上げる。そしてまた、一年の憎み合いが続く。
 そこへ、ある時、ポルトガル人が来て、二つの部族は鉄砲を手に入れた。彼らは、早速、この新兵器を次ぎの戦いに使用した。たとい、先込めの火縄銃でも、棍棒や鎗とは比べものにならぬほど、殺傷力が強かった。双方ともに、未曽有の被害がでた。つぎの年は更にひどかった。部族民たちは被害の大きすぎるのに驚き、恐れ、長年続いてきた戦争を、中止してしまった。すると、思いがけぬことがおきた。それまで、かたく団結して暮していた夫々の部族の内部に喧嘩、口論が生じ、傷害沙汰がおこり、遂には一方の部族の長が殺される始末となり、部族が、二つなから、解体してしまったのである。
 ブラジル奥地の二つの部族のこの物語は、私たちに何を教えるか。

 ブラジルの二つの部族の一年一度の戦争と、一年間を通じての互いの憎み合いとは、攻撃衝動の「転位」の、見事な事例である。それは、部族内部に鬱積する敵意や憎しみや怒りを、すべて吸いあげ、山の向うの仇敵に向けて放出することによって、部族民のかたい団結と協力とを可能にする働きをしていた。だからこそ、鉄砲の殺傷力の強さに驚いた彼らが、戦争をやめてしまった時、それまで外に向けて放出されていた敵意や怒りや憎しみは、吐け口をふさがれ、あたかも、安全弁をふさがれたボイラーの圧力が高まり、タンクの各所から蒸気がふきだすように、部族内部に溢れかえったのである。(以上)つづく

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