『感情の正体 ──発達心理学で気持ちをマネジメントする』 (ちくま新書・渡辺弥生著)からもう一題。
言葉と感情
感情の認識には、しぐさや表情のほかに「言葉」も大きくかかわります。心の内側からわき上がってくる気持ちを意識するためにも言葉への置き換えが必要です。
もし私たちが、嬉しい、悲しいといった気持ちを表す言葉やその概念を持たなかったとしたら、どのような暮らしになるでしょう。単純な感情ならば、しぐさや表情によって、他人に気持ちを伝えることもできるかもしれません。しかし、複雑なコミュニケーションは、そもそも成り立たないでしょう。現代のようにマルチタスクをこなす生活のなかで、他人に気持ちを伝え理解してもらったり、自分で受け止め噛みしめたりするには、気持ちを表す言葉の獲得が、とても大切です。
たとえば、言いようのない気持ちのときは誰にでもありますが、「なんだか気持ちがなかなかのらないのよ。こうなんというか、やりようがないというか、出口がないというか……」といった言い方では他人には何となくしか理解できませんし、本人も悶々とした気分が晴れないものです。しかし、「八方ふさがり」といった言葉を学び、うまく気持ちと置き換えることができるようになると、他人はその気持ちに共感しやすくなります。本人も、その言葉を知る前よりもカタルシス(解放感)を得ることができるようになるわけです。(以上)
カタルシスとは、「心の中に溜まっていた澱(おり)のような感情が解放され、気持ちが浄化されること」だと辞書にあります。わたしが自己中心的な生き方が、「罪悪深重の凡夫」という言葉で明らかになる。それは「心の中に溜まっていた澱(おり)のような感情が解放され、気持ちが浄化されること」なのでしょう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます