仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

歳を取ったらおしまい?

2009年10月15日 | 現代の病理
先月の敬老の日に「軽老の国」とあった。その軽老をにおわせるエピソードが新聞投書欄(21.10.14読売)にあった。

配慮足りぬ高齢者への質問

             主婦山下明子52
               (埼玉県上尾市)
 県内に住む、一人暮らしの義母が先日、病院で後期高齢者向けの健康診断を受けた。その際、介護予防のチェックリストを受け取ったが、その中に「自分が役に立つ人間だと思えない」という質問項目があり、「はい」か「いいえ」で答えることになっていた。
 義母からそれを聞いた私は思わず「えっ」と驚いた。義母は「はい」と回答したそうだが、悩んだらしく、「私なんて役に立たないのよね。生きていたって」とポツリとつぶやいた。
 チェックリストには、ほかにも生活習慣などを尋ねる質問もあった。この質問はメンタル面の状態をチェックする意味もあったかもしれないが、75歳以上のお年寄りに対する言い方としては少し配慮が足りないのではないか。こう聞かれたら、元気な人でも落ち込んでしまう。その思いやりのなさに寂しさで憤りを感じた。(以上)

日本の男女差別、障害者差別はなくなりつつあり、少なくても男女間や障害者に対して差別はあるという認識は良識人であれば理解している。ところが年齢差別は大きな顔して当然のごとく行われ、そこに差別あるという思いすらもたない場合が多くある。
女性に対して女性故に、また障害者に対して「自分が役に立つ人間だと思えない」などとその人の尊厳を無視して聞く人はいないだろう。

ところが老人に対しては、役に立つ役に立たないという視線を送る社会がある。一部の人であろうが老人の側も悪い。「歳を取ったらおしましだ」などと会話の中で言う。

老年者が少ない時は、老人をいたわろうといわれても、まだ余裕があるのでその気にもなる。ところが超高齢化社会(高齢化社会 高齢化率7%~14%・高齢社会 同14%~21%・超高齢社会 同21%~2007(平成19)年には超高齢社会となる)となると、老人をいたわる意味が明らかになっていないと、役に立つか役に立たないかという物を扱う視線で見てしまう。いやこれは老人だけではない。すべての人を役に立つか役に立たないかで見てしまう社会がある。

ノーベル賞作家パール・バック(1892〜1973)が1960年に来日した折、五ヶ所で講演会で繰り返し述べられたことは、「文明の程度は弱い人、頼るところのない人をどのように尊重していけるかによってはからなれのです」だと伝え聞きます。弱い立場である老人が、どのように尊重されているか。老人は、日本の文化の成熟度を知る尺度でもあるのです。
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