仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

親鸞聖人いまさずは

2020年03月04日 | 親鸞聖人
本願寺出版社からの依頼です。

月刊「大乗」の新連載でございます。
タイトルは「親鸞聖人いまさずは」
ご誕生850年にむけたエッセーでございます。
字数は1200字弱です。
もし、聖人がおられなかったら…といった感じで、お願いできませんでしょうか。
毎回読み切りで、筆者は毎号、各先生方にお願いする予定でございます。
先生には、最初の4月号をお願い申し上げます。
(以上)

依頼は一昨日夕方です。4月号だと、これからの依頼では、ずいぶん慌ただしい製作です。そうか時間が無いから私に依頼してきたのだと思ったことです。

昨朝送信した原稿の頭の部分です。

親鸞さまのご誕生の日を、お釈迦さまにならって「降誕会」と言います。この「降誕」という言葉を、有難いと思ったことがあります。
あるとき誕生という言葉を辞書でひきました。すると「人の生まれること」(『広辞苑』)とありました。誕生とは、動物ではなく人の生まれること言うのです。では「誕」は、人だけに使う文字であり、言編もついているので、きっと素晴らしい意味のある文字だろうと、また辞書で調べました。すると意外にも「いつわること、でたらめ」(『広辞苑』)とあります。有難いと思ったのは、このときです。お釈迦さまの降誕は、「ウソ、偽りのなかにわが身を降ろす」いうことです。「たとひ身をもろもろの苦毒のうちにおくとも」(『讃仏偈』)という苦難に満ちたできごとだったのです。有難いと思ったのは、ここにひとえに私たち救うためのご苦労があると思われたからです。
 聖人のご誕生の日を「降誕会」と言います。そのご生涯は、お若きおりのご両親との離別、比叡山での20年間のご苦労、越後へのご流罪、関東での伝道などなど、ご苦労多きなかに、『無量寿経』の真実のみ教えを見極め、私たちにお伝え下さいました。まさに「降誕」のご生涯でした。(以下省略)
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