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仏教ライフを考える西原祐治のブログです

『生物学的文明論』 が面白い

2012年03月28日 | 都市開教
浄土真宗に限らず既成仏教教団の寺院は、過疎地帯に多く点在しています。そうした過疎化の中にあるお寺が、どう現代において、その役割を担って生き延びるか。

大きな括りとしては、過疎化寺院が、合理性や客観重視思考、比べあいの価値観といった現代人の思考と全く異なる価値観や考え方を体験できる場となることです。


その意味では今日(24.3.28)のNHKラジオ深夜便「ナマコに学んだ私のおまけ人生論」
と題して生物学者である本川達雄さんの話は有意義でした。

世間的には『ゾウの時間ネズミの時間』(中公新書)の作者と言った方がいいと思います。

ラジオでの本川達雄さんの話をネット情報で補って、私が興味を持った部分だけをご紹介します。話の中身は『生物学的文明論』 (新潮新書)の内容のようです。


人間を含め動物の時間の感じ方は、体のサイズによって変わる。どれも体重が重くなるにつれ、だいたいその4分の1(0.25)乗に比例して時間が長くなる。時間が体重の4分の1乗に比例するということは、体重が2倍になると時間が1.2倍長くゆっくりになる関係です。体重が10倍になると時間は1.8倍になる。

30gのハツカネズミと3tのゾウでは体重が10万倍違いますから、時間は18倍違い、ゾウはネズミに比べ時間が18倍ゆっくりだということ。

例えば、リンゴの木の枝から、リンゴ、鉄の塊、ネズミ、ゾウを同時に落とすと、同じ高さから落とせばどれも同時に地面に着くので、そういう意味ではすべてに同じ物理的時間が流れている。でも、ネズミは落ちている間に「あっ、落ちる落ちる落ちる落ちる・・・どうしよう!」なんて言いながら、いろんなことを考えているかもしれない。一方、ゾウは「あれぇ?」なんて思っている間にドスーンと落ちてそれでおしまいってことになる。

消費するエネルギーも体重と関係がある。子供は大人より体重当たりにすればエネルギーを多く使う。だから子供は同じ時間内にたくさんのことをするのだから、大人よりも時間が長く感じられる。

また動きまわるのが少ない生物ほど、エネルギーの消費が少なくて済む。動きが早いと消費エネルギーも多い。

現代人も縄文人も、体自体に大きな違いはなく、私たちの体のリズムは昔のまま。とすると、体の時間は昔と何も変わっていないのに、社会生活の時間ばかりが桁違いに速くなっているのが現代だ。

 そんなにも速くなった社会の時間に、はたして体がうまくついていけるのか。 現代人には大きなストレスがかかっているとよく言われる。そのストレスの最大の原因は、体の時間と社会の時間の極端なギャップにある、と私は思っている。


生物は心臓が15億回打つと死ぬ。それをヒトに当てはめると、41歳になる。生物学的には、生殖活動が終わるころの41歳が、ヒトの寿命のようです。それをふまえて、著者は人生を2つに分け、前半は生物としての生命体、後半は人工の生命体と認識した方がいいといい。

生物は利己的遺伝子によって動かされている。生物的な生命を終えた人生の後半は、この利己的遺伝子の支配から脱した生き方をすることを提唱しています。(以上)

こうした考え方とセットにして、現代人に新しい生き方を提唱する。過疎化地域にある寺院の1つの役割であり、それはまさに現代布教の最先端の場であり、都市部寺院が、それに追従していく構図が、未来の寺院の形態です。

もちろん、以上は1つの例です。浄土真宗を、そうした角度からどう提言していくかが重要です。
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