仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

何時でも繋がる感覚が孤独を生む

2014年01月30日 | 現代の病理
一昨日の続きです。放送大学『人格心理学』の講座テキストに次のようにあります。


…いつでもどこでも相手とつながれるという状況が,逆説的に私と他者との埋めようのない溝を意識させ、孤独に直面させるということがある。たとえば、夜遅くなっても子どもがなかなか帰ってこないとか,恋人に電話をかけても通じないという状況を考えてみよう。相手が携帯端末をもっていないという状況が一般的だったとき,「何か帰りが遅くなる理由があるのだろう」とか、「またどこかで道草をくっているな」と多くの人は想像して待つことができていたはずである。しかし,携帯端末をもっている相手に連絡がつかないとなると、その不安は比べものにならないくらい大きくなる。いつでもどこにいても連絡がとれるはずであるのに、なぜ電話口出かいのか,なぜメールに返信がないのか,いても立ってもいられなくなるくらい大きな不安が押し寄せてくる。(以上)

人格心理学講師の大山泰宏氏は、その理由として次のように書いています。

いつでも他者と接触できるということは,結果的に相手のイメージを内的に保つことを難しくしてしまうのである。…相手への信頼と自分自身への信頼とは,相手が不在のときにこそ育まれるのである。しかしながら,いつでもどこでも接触があるということは,そのような他者に対する想像力を育てるという機会を失ってしまう。また,連絡がとれるはずだと思い込むことは,他者を自己の延長だと感じる乳児的な万能感の心性にとどめてしまうともいえる。それがゆえに 私たちはますます他者に対する疎隔感や絶対的な差異,そして孤独を感じることになるのである。(以上)

何度も携帯電話をして、相手とつながらないときに感じるあのイライラは、相手を思い通りにコントロールできるという自分自身の思いこみが、あのイライラの底にあるということです。携帯電話によってもたらされる、いつでもつながる感覚は、本来あるべき相手との精神的な距離感覚をマヒさせてしまうようです。
コメント
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