昨日(26.1.12)書いた「事情があって」をお伝えします。門信徒のSさんは、15か月前に「あと半年」と言われた肝臓がんを抱えて過ごしています。そのSさんが、この9日(26.1月)に担当の医師から、「あと1月もてば…その前でも肝不全でいつ亡くなるかわからない」といわれました。次の日、お宅へ伺い、「みんなでお別れ会でも…」など、よもやま話をしました。しかし考えてみると“お別れ会”はなかなかできにくい。その理由は、来て下さる方に負担が多いということでしょう。これは私たちの生き様は、死の別れに際して「「ありがとう、さようなら」と言えない生き方をしているということでもあります。
Sさんは、ご自身のがんについては、毎月開催しています「がん患者・語らいの会」で、以前、がんになってからと、あと半年と言われ、3カ月たった時との2度、お話をしてもらっていました。旅行も一緒に行ったりした仲間なので、その仲間とのお別れにと思い「明日のがん会、新年会だけでも行きましょう。送迎します」と告げ、みんなに会いたいとなり、昨日、5時からの新年会を目指して、地元を3時に出発したものです。
新年会は案の定、Sさんは終わって帰り際「楽しかった、楽しかった。みんな好き勝手のことを言うし」と喜ばれ、その様子を見ていた私もうれしかったです。会場を後にするとき、みんなに握手を求められ「ありがとう」を別れの言葉を交わすことができました。
お互いに別れを受け入れているときに、しっかりと別れの言葉を交わすことができるのだなーと感慨を持ちました。
Sさんは、ご自身のがんについては、毎月開催しています「がん患者・語らいの会」で、以前、がんになってからと、あと半年と言われ、3カ月たった時との2度、お話をしてもらっていました。旅行も一緒に行ったりした仲間なので、その仲間とのお別れにと思い「明日のがん会、新年会だけでも行きましょう。送迎します」と告げ、みんなに会いたいとなり、昨日、5時からの新年会を目指して、地元を3時に出発したものです。
新年会は案の定、Sさんは終わって帰り際「楽しかった、楽しかった。みんな好き勝手のことを言うし」と喜ばれ、その様子を見ていた私もうれしかったです。会場を後にするとき、みんなに握手を求められ「ありがとう」を別れの言葉を交わすことができました。
お互いに別れを受け入れているときに、しっかりと別れの言葉を交わすことができるのだなーと感慨を持ちました。