昨年出版された写真集で、版元はナショナルジオグラフィック。日本の若い女性フォトジャーナリストが撮った、キルギス語で「アラ・カチュー」と呼ばれる「誘拐結婚」をした25組の夫婦や女性達の姿です。
「誘拐結婚」とは、「仲間を連れた男性が、嫌がる女性を自宅に連れていき、一家総出で女性を説得し、無理やり結婚させる」というもの。街で見かけて一目ぼれした女性を待ち伏せ、有無を言わさず車に乗せ、遠くにある男の自宅まで連れていく。その間、「くどく」とか「お願いする」といった過程を経て、それでも断られたので決行することもあるのですが、全く突然、女性にとっては降ってわいたように起きることもあります。
恋人同士が、両家のあるいは女性の家族に結婚を反対され、駆け落ちのかわりに誘拐結婚を装う、という場合もあるようですが、たいがいは、無理やりの結婚が多いようです。
驚くのは、男の家族が結婚式の用意をして、親戚総出で誘拐した花嫁を息子が連れて帰るのを喜んで待っていること。待っている母親も誘拐して連れてこられたという人もいるのですが、彼女たちも、嫌がる女性に、白いベールを無理やりかけて結婚承諾のあかしにしようとまちかまえます。
いったんその家の敷居をまたぎ、ベールをかぶると結婚を承知したとみなされるので、何時間も抵抗し続ける女性もいるようですが、あきらめ、なきながら式に臨む花嫁も。
なぜ、女性たちは拒み続けないのか。「キルギスの村社会では、誘拐結婚が「慣習」として受け入れられてしまっている。いったん男性の家に入り、拒否し続けて実家に帰ったとしても「純潔を失った」と見なされ、家族に恥をかかせてしまうこともある」
拒否し続ければ、実家に帰ることもできるし、実家の両親に相談することもできるのだそうですが、実家の両親に「受け入れて結婚しなさい」と説得されることもあるといいます。
本書に載っている女性たちの顔はさまざま。不安に満ちて、茫然としている姿もあれば、しだいにやわらいでいく様子がわかる写真もあります。私たちの常識からみればあきらかに違法で、とんでもない結婚のありようなのですが、簡単には裁断できないもっと複雑な心情が、彼女たちの表情や言葉からは垣間見える気がします。
この「慣習」は、実は古いものではなく、20世紀に入ってから行われるようになったものだといいます。それも、以前は、「合意のある誘拐結婚」、つまり駆け落ちが普通だったとか。それが、この半世紀ほど前から、「合意のない暴力的な誘拐結婚」に変わってきたのだそうです。その理由はよくわからないようです。
違法であるにもかかわらず、多くは『家庭内のもめごと』として片づけられて、めったに犯罪として扱われることのないこの結婚。現地の人たちのなかには、「伝統だ」というひともいるとか。
話がそれますが、近隣のある村で、古い伝統を持つお祭りがいまに至るまで続いています。そのまつりに関してある話を聞き、驚いたことがあります。
それは、中世から始まるそのまつりでは、祭での役割が家ごとに代々決まっていて、神事の中心をつかさどる役割は名家が務め、裏方の仕事、たとえば掃除や片付けなどは下の身分の人たちが務めているというものです。時代が変わって「下の身分」なる階層がなくなっても、祭りだけは、差別が固定化しているのです。
容易に想像されることですが、その下のほうの仕事を任され続けた家の子孫は、祭りを維持する、つまり伝統を守りたいという気持ちが希薄になっている、と聞きました。
この祭りを今に伝えている集落はいくつもあるのですが、そのうちのいくつかは、いまもこうした古いやり方を踏襲しているということです。
この話を聞いてから、以前よりいっそう、「伝統」といわれると、私は眉に唾をつけたくなりました。「伝統」と「因習」の違いはとても微妙で、簡単には切り離せないと思うからです。
先日、テレビで、原宿を派手な格好をして歩いている、多分30歳近いと思われる女性がインタビューされていました。彼女は、一昔前の「ギャル」のファッションをしているらしく、インタビュアーから「なぜそんな恰好をいまだにしているのか」と問われ、こう答えました。
「私は原宿の伝統を守りたいのです」
10年か20年前のことでも、彼女にはだいじな「伝統」らしい。つまり「私にとっての伝統」というわけです。彼女は率直で、好感を持てましたが、でも、みながみな「私にとっての伝統」といいだしたら、なんだかわけがわからなくなる、とおもったことでした。
話を元に戻すと、キルギスの誘拐結婚も、一部の人たちにとっての「伝統」になりつつあるようで、大きな力でやめさせようとしても、簡単には収束しないのだろうな、と暗い気持ちになりました。
「誘拐結婚」とは、「仲間を連れた男性が、嫌がる女性を自宅に連れていき、一家総出で女性を説得し、無理やり結婚させる」というもの。街で見かけて一目ぼれした女性を待ち伏せ、有無を言わさず車に乗せ、遠くにある男の自宅まで連れていく。その間、「くどく」とか「お願いする」といった過程を経て、それでも断られたので決行することもあるのですが、全く突然、女性にとっては降ってわいたように起きることもあります。
恋人同士が、両家のあるいは女性の家族に結婚を反対され、駆け落ちのかわりに誘拐結婚を装う、という場合もあるようですが、たいがいは、無理やりの結婚が多いようです。
驚くのは、男の家族が結婚式の用意をして、親戚総出で誘拐した花嫁を息子が連れて帰るのを喜んで待っていること。待っている母親も誘拐して連れてこられたという人もいるのですが、彼女たちも、嫌がる女性に、白いベールを無理やりかけて結婚承諾のあかしにしようとまちかまえます。
いったんその家の敷居をまたぎ、ベールをかぶると結婚を承知したとみなされるので、何時間も抵抗し続ける女性もいるようですが、あきらめ、なきながら式に臨む花嫁も。
なぜ、女性たちは拒み続けないのか。「キルギスの村社会では、誘拐結婚が「慣習」として受け入れられてしまっている。いったん男性の家に入り、拒否し続けて実家に帰ったとしても「純潔を失った」と見なされ、家族に恥をかかせてしまうこともある」
拒否し続ければ、実家に帰ることもできるし、実家の両親に相談することもできるのだそうですが、実家の両親に「受け入れて結婚しなさい」と説得されることもあるといいます。
本書に載っている女性たちの顔はさまざま。不安に満ちて、茫然としている姿もあれば、しだいにやわらいでいく様子がわかる写真もあります。私たちの常識からみればあきらかに違法で、とんでもない結婚のありようなのですが、簡単には裁断できないもっと複雑な心情が、彼女たちの表情や言葉からは垣間見える気がします。
この「慣習」は、実は古いものではなく、20世紀に入ってから行われるようになったものだといいます。それも、以前は、「合意のある誘拐結婚」、つまり駆け落ちが普通だったとか。それが、この半世紀ほど前から、「合意のない暴力的な誘拐結婚」に変わってきたのだそうです。その理由はよくわからないようです。
違法であるにもかかわらず、多くは『家庭内のもめごと』として片づけられて、めったに犯罪として扱われることのないこの結婚。現地の人たちのなかには、「伝統だ」というひともいるとか。
話がそれますが、近隣のある村で、古い伝統を持つお祭りがいまに至るまで続いています。そのまつりに関してある話を聞き、驚いたことがあります。
それは、中世から始まるそのまつりでは、祭での役割が家ごとに代々決まっていて、神事の中心をつかさどる役割は名家が務め、裏方の仕事、たとえば掃除や片付けなどは下の身分の人たちが務めているというものです。時代が変わって「下の身分」なる階層がなくなっても、祭りだけは、差別が固定化しているのです。
容易に想像されることですが、その下のほうの仕事を任され続けた家の子孫は、祭りを維持する、つまり伝統を守りたいという気持ちが希薄になっている、と聞きました。
この祭りを今に伝えている集落はいくつもあるのですが、そのうちのいくつかは、いまもこうした古いやり方を踏襲しているということです。
この話を聞いてから、以前よりいっそう、「伝統」といわれると、私は眉に唾をつけたくなりました。「伝統」と「因習」の違いはとても微妙で、簡単には切り離せないと思うからです。
先日、テレビで、原宿を派手な格好をして歩いている、多分30歳近いと思われる女性がインタビューされていました。彼女は、一昔前の「ギャル」のファッションをしているらしく、インタビュアーから「なぜそんな恰好をいまだにしているのか」と問われ、こう答えました。
「私は原宿の伝統を守りたいのです」
10年か20年前のことでも、彼女にはだいじな「伝統」らしい。つまり「私にとっての伝統」というわけです。彼女は率直で、好感を持てましたが、でも、みながみな「私にとっての伝統」といいだしたら、なんだかわけがわからなくなる、とおもったことでした。
話を元に戻すと、キルギスの誘拐結婚も、一部の人たちにとっての「伝統」になりつつあるようで、大きな力でやめさせようとしても、簡単には収束しないのだろうな、と暗い気持ちになりました。