ねこ吉のよしなしごと

どうでもいい事ばかり書いていますが・・・。

会いたい人

2020-03-04 08:58:00 | 思い出


(買物帰りの道で見つけたタンポポ。クスノキの木の根っこに、へばりつくように咲いてた。どれだけ世の中が騒がしくても春は来てるね。)


コロナウイルス感染者は、各地で出始めて、ついに1000人を越えたらしい。
神戸市でも感染者が出た。

一体何処が底なんだろう。

今日は雨が降って寒い。
もう気分が落ち込んでどうしようもないわ。
術前でもあるし洋裁を休んだ。

今日、お雛様を片付けると決めていたので朝食後、すぐ開始。

本当に短いご滞在で、申し訳ありません。
来年、穏やかな気持ちで、ちょっと早めに飾れるように願っています。

片付けながら、昔のことを思い出していた。

小学校3年生の時転校してきたIさん、家はねこ吉の家と同じく商店街の路地を奥に入ったところにあった。
2人とも越境組。
一緒に小学校に通っていた。

Iさんがお雛様を買ってもらったので、見せてもらいに行った。
それは、御殿造というのか、お雛様が建物の中に入っていた。
こういうお雛様は、ねこ吉の幼稚園にもあった。

お雛様を持っていないねこ吉は羨ましかった。

娘が生まれて、お雛様を買うことになって御殿造を探したけど何処にも無かった。

Iさん、会いたいな。
同窓会に行った時、Iさんのことを聞いた。
その時は「ドイツに公演に行っていて出席出来ない。」と連絡があったそうだ。
女優らしい。

Iさんは、美人で可愛くて華やかな人だった。
詳しくは判らないけど、児童劇団のような所に通っていたようだ。
中学時代は演劇部。

文化祭ではもちろん主役。
お下げ髪のIさんがスポットライトを浴びて、台詞を言っていた姿を思い出す。
独り舞台?だったね。

卒業時に宝塚を受験したようだけどダメだったようだ。
ねこ吉と違う高校に進んで就職した。

働きながら劇団に所属していたのかも知れない。

ねこ吉と同い年。
彼女にも色々なことがあったと思うけど、「初志貫徹」
Iさん、偉いね。
きっと素敵に老い?てるだろうな。

また、中学校の同窓会してくれないかな。
今度は出席してくれるといいな。


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クリスマスイブ

2019-12-24 16:00:00 | 思い出


今日はクリスマスイブ。

クリスマスだからウキウキしたのは何時頃までだっただろう。

昔、OL(死語)として働いていた頃は、毎年会社のクリスマスパーティーや忘年会があった。

何を着て行くか?大いに悩んだ。
悩みながらも楽しみにしていたと思う。

当時洋裁を習っていて、クリスマスパーティーに来て行く黒のフレアースカートを縫うことにした。

ほぼ円形のサーキュラースカートというもの。
土曜日の夕方開かれるパーティーに、約2時間前までスカートの裾まつりをしていた。
トップスは、白の半袖パフスリーブのモヘアのセーター。
赤い木の実のブローチをつけた。
ねこ吉、22歳の冬 若かった。

ねこ吉の世代は社交ダンスを踊れる人などほとんどいなかったけど、上司の年代はほとんどの人がブルースぐらい踊れた。

ねこ吉は、ゴーゴー(死語)ならちょっとは踊れるが社交ダンスはほとんど踊れない。

しかし、上司に誘われれば断れず。

足をもつれさせながら踊った。

壁の花?
誰からも誘われず、ボォーとしていたねこ吉を可哀想と思って、上司の温情だったのかもしれない。

遠い遠い昔のお話。




今日一日、台所の換気扇を掃除して、鶏のモモではなく、手羽先を焼いた。

ビジュアルが悪いので写真は無し。

上の写真はオニオングラタン。
ハフハフ言いながら食べた。

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摂丹模試

2019-12-12 21:38:00 | 思い出



今日、2号線を歩いていると、街路樹のイチョウの木が黄葉した葉をほとんど落としていた。
「冬が来たな。」と思わせる風情。

イチョウの木を見ていると、高校時代に受けさせられた実力テスト「摂丹模試」を思い出した。




「摂丹模試」の摂とは、摂津地方、丹とは丹後地方で主に受けていた実力テストらしい。
たぬ吉は大阪の高校だったので、知らなかったって。
西宮に住む従兄が、「摂丹模試」に難儀していたと言っていた。

ねこ吉の高校など国公立大学に行ける人などほとんどいない。
まして文系女子のねこ吉など、摂丹模試の数学など必要ないので、ほとんど白紙の答案用紙を前に、如何に時間をやり過ごそうか毎回苦労していた。

「Xを◯◯とする。」と一行書いたら、後は解けない。
0点を取ったこともある。
初めて取った時はショックだったけど、慣れとは恐ろしいもの。
いい時で15点くらい。
一桁もよく取った。

英語も酷いもので、数学よりちょっとマシ。って感じ。

国語も大したことはないけど、3科目では一番マシだった。
少なくとも問題に取り組もうという姿勢はあった。

どんな問題だったか忘れたけど、詩だったかもしれない。

「坊主の季節がやってきた。」

という問題文があって、それは木々が葉を落として冬が来ることを表していた。

珍しく問題と相性が良かったらしく、その時のテストは点数が良かった。

50年以上経ったのに、「坊主の季節がやってきた。」というフレーズだけは覚えてる。

そして、葉を落としたイチョウの木を見ると、「摂丹模試」を思い出すのである。

子供達の高校時代は、実力テストと言っていたようだから、何時ごろまで「摂丹模試」はあったんだろうか・・・。





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マグネットを作った。

2019-12-08 16:23:00 | 思い出



先日、ウィーンに行ったSさんからもらったお土産のチョコレート。
エリザベートの肖像画がついていて、とても綺麗。
包装紙を捨てるのが忍び難かったのでのシワを伸ばして残しておいた。

ディーンタピオカ のシールでマグネットを作ったことから思いついた。
「そうだ!マグネットを作ろう。」
ジャムや佃煮の瓶の蓋にボンドで金紙を貼った。
空気が入って貼りにくかったけど。


昼からダイソーに行ってマグネットを買って・・・。


一番大きなサイズを買った。




内側に折込んだ金紙の上に黒の画用紙を貼り、金属製の蓋だから、そのままでもマグネットはくっつくんだけど一応ボンドで引っ付けた。
まだボンドが乾いてませんが・・・。
今日も暇人の日曜日が過ぎていく。



追記
昔、昔、大昔。
ねこ吉が幼稚園に入る前かも。
父親はピースという銘柄のタバコを吸っていた。
濃紺にハトが月桂樹?の枝を咥えたマーク。
現在でも通用するオシャレなデザインだった。
缶入りと10本入りの箱があった。
どっちの銀紙か忘れたけど、吸い終えたら銀紙を指に巻き円柱を作り、中程をつまんで絞り、端を自立できるように台を作ると、ちょうどゴブレットのようなものが出来る。
よく作ってくれた。
ねこ吉は、受動喫煙だったんだな。
今なら、タバコの煙が超苦手。
喫煙者が近くに来るとさっさと席を立つけど、幼い頃は大して煙たいと思わなかったようだ。


追記

ネットでピース缶を検索。
ちょっとお借りします。



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七五三

2019-11-15 15:47:00 | 思い出






(プラタナスが黄葉してる。)

ブログを書こうと編集ページを開いたら、「今日は七五三です。思い出を書いてみましょう。」と書いてあった。

思い出すままに書いてみよう。

ねこ吉の七五三は、4歳と5歳でしたようだ。

写真館で写した写真が残っている。
もちろんモノクロ写真だけど、着物の地色はピンク。
大きな菊は白や紫だった。
おかっぱ頭には大きなリボン、手には千歳飴。

4歳は肩上げ、腰上げに埋もれていたような・・・。
隣に住む西井のオバさんがお祝いにくれたコッポリを履いている。

「コッポリには、畳が敷いてある。」
と思った。

今でもコッポリの形状、色が頭に浮かぶ。




子供達の七五三は・・・。

娘は3歳と7歳でした。

3歳は、お宮参りの着物の袖をお祖母ちゃんが縫ってくれて、上から赤いビロードの被布を着せた。

髪の毛は短かったのでカノコのリボンをつけただけ。

7歳の七五三は、いささか慌ただしかった。
確か、10月末に松戸の八柱というところから、3つ先の駅元山に引っ越して、11月1日に娘は転校した。

お祖父ちゃん、お祖母ちゃんが、引っ越した家を見がてら、七五三にやってくる。
七五三は土曜日で、翌日の日曜日はバレエの発表会だった。

着物はねこ吉の真っ赤な羽織を七五三用に縫い直した。(お祖母ちゃんが何処かに頼んで縫ってもらった。)

頭をアップにしてもらうので、美容院に予約。その隣の写真館にも予約。

ねこ吉は、大忙し。

転校してまもない娘は友達もいなくて、同じクラスの男の子に誘われるまま近くの駐車場で遊んでいたらしい。

ピンポンが鳴って、ドアを開けたら、こめかみから、頬にかけて擦りむいてエライ顔になった娘が立っていた。
駐車場で転んで砂利で思い切り擦りむいたらしい。

どないするの!その顔。

派手な顔だけど、傷は浅かったので、予定通り着物を着て七五三に行った。
3歳だった息子にも紺のかすりの着物を着せた。
お参りは帝釈天に行った。

翌日は、傷の上にドーランを一杯塗ってメイクしてもらい、娘は舞台で踊ってた。

出来上がった写真を見ると、うっすら傷が見える。
修正しきれなかったんだね。

今なら、ねこ吉でも、アプリで傷を消せる世の中です。

息子は、5歳で七五三をした。
羽織、袴は写真館で貸してくれた。

凄く緊張する息子は、羽織袴を着せられて、カチカチに顔がこわばっていた。
写真を撮ったらすぐ脱いで、娘とお揃いのブレザーに着替えて、また帝釈天にお参りに行った。

ブログ書くのに、色々思い出した。

「可愛かったな、子供達。」などというと、「過去形かよ。」と思い出話が嫌いな息子は怒る。

遠い、遠い、昔の話だね。














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前畑 頑張れ!

2019-09-24 14:40:30 | 思い出


今、大河ドラマ「いだてん」では、1936年ベルリンオリンピックで金メダルを取った前畑秀子さんのことが描かれている。
日曜日の放送では、あの名文句「前畑、頑張れ!」が連呼されていた。


それを聞いて、思い出すのは娘が高校1年生の夏である。

娘が入学した高校は、当時夏休み前に鳥取で遠泳教室があるのが恒例だった。

6月ぐらいから、体育の時間は水泳の練習だった。
水着は中学時代の物でもいいというので、そのまま持たせた。

創立して間もない中学だったので、水着はスカイブルーで、ストラップは白。
随分オシャレだった。

それを着て授業に出たら、「その水着はダメ。」と言われて納得はいかないけど、学校措定の水着を買ってやった。

試着した娘を見てびっくり!
帽子は白で顎で蝶結びにするタイプ。

水着は、超昔のスクール水着。
よくもまぁ、こんな水着売ってたねぇ!

ねこ吉の脳裏に浮かんだのは、「前畑ガンバレ!」

「こんなダサい水着も珍しいね。」と試着した娘に言った覚えがある。

その水着は旧制女学校の時代から、
そのまま連綿と続いているようであった。

ねこ吉はカナヅチ。
娘は、辛うじて、25メートルが泳げる程度。

体育はお爺さん先生。
自分はプールサイドの椅子に座り、プールにカエルをほりこんで、「これを見て泳げ。」と言ったとか。

家庭科の時間に縫ったダサい紺のキュロットスカートを現地で穿かないといけないと、機嫌が悪かった。

出発前に、白い小判形の名前を書いた札が配られた。

「命札」というらしい。

「私、生きて帰って来られるやろか?」と半泣きで出発していった。

3日後、ケロッとして帰ってきた。

クラス全員、担任が来るのを待たずに夕食を食べ怒られたらしいけど。

娘は帰るなり、キュロットスカートを捨てていた。



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狼少年ケン

2019-07-27 20:32:37 | 思い出


朝ドラ「なつぞら」を、ほぼ毎日見ている。


ヒロインなつが原画を担当したテレビ映画「百獣の王子サム」は、「狼少年ケン」がモデルだと思われる。

1963年11月から1965年8月までの放送だから、ねこ吉は中学生の頃かな。

特別楽しみに見てたわけではなかった。

「狼少年ケン」言えば思い出すのは、「ケン」と呼ばれていたオガワさんという女の子がいた。
運動神経抜群で、ショートカットで、色浅黒く、唇の厚い子だった。ねこ吉もケンに似ているなと思っていた。
体育委員をしていたような気がする。

ねこ吉の頃体育の時間といえば紺のブルマを穿いていた。

今はこんな例えは死語かも・・・。

カモシカのような足だった。

オガワさんは何組だったかな?
ねこ吉は同じクラスになったことはなかったかな?

懐かしくなって、卒業アルバムを引きずり出してきた。

オガワさんは6組だった。
当然ねこ吉と同い年。今頃どうしてるんだろな?何処に住んでいるのかな?




終活と称して、ねこ吉の若い頃の写真や卒業アルバムを赤い箱に入れて、「ねこ吉が死んだら捨ててね。」と娘に遺言けれど・・・。

最近、中学の同窓会に行ったことから、懐かしい人に出会ったり、新たに友人ができたり・・・。

お互い思い出を共有しているから、あの人、この人、懐かしい人の話が花盛り。

その度に卒業アルバムを引きずり出して確認。

今では、ずっと赤い箱から出て来たままになっている。
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怖いよォ〜!

2019-07-03 18:35:08 | 思い出


ねこ吉は、超怖がりなのに「兵庫の怖い話」という本を借りてしまった。

作者は尼崎市出身だった。

「ジェームス山に潜む老紳士」が読みたくて借りたけど、目次を見たら、「尼崎の怖い話」があったので、そちらから読み始めた。

エグい挿絵もあって、借りた事、読んだ事を後悔。

今晩眠れないかもしれないから、それ以上読む事を断念。

もう、サッサと図書館に返却します。
こんな本借りるなんてアホでした。

ここで、子供の頃の思い出を・・・。

ねこ吉の家はお風呂が無く、銭湯に行っていた。

脱衣場の天井近くには、いつも映画のポスターが貼ってあった。
見たい映画を番台で言うと、割引券をくれたり、うまくいけば招待券をもらえる事もあった。

夏になると怪談映画のポスターのオンパレードで、ねこ吉は、番台を通る時から下を向いていた。

ポスターを見ないように下を向いて服を脱ぎ、お風呂に入ったら、ガラス戸を通してポスターが見えないように奥の方に行き、体を洗うのもそこそこに、また下を向いて出て、早々に服を着て急いで帰っていた。

夏の銭湯が本当に嫌だった。

そんな怖がりなのに、何をトチ狂って、こんな本を借りてしまったんだろう・・・。

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鯉のぼりの頃

2019-04-26 15:47:03 | 思い出


桜が終われば、ツツジかな・・・。
近くの自転車置き場のツツジを撮ってみた。

最近あまり鯉のぼりを飾らないらしい。
そういえば、鯉のぼりの季節になっても見かけなくなったなぁ・・・。
マンションが増えたせいもあるかな。


この季節になると、ほぼ毎年思い出す事がある。

ねこ吉が幼稚園の頃の話。

ねこ吉は、難波幼稚園というキリスト教の幼稚園に一年通った。
二年保育がすみれ組。一年保育がゆり組とひつじ組。

ねこ吉はひつじ組。ゆり組の方がよかったな。

毎日、母親に幼稚園の近くまで送ってもらってた。
帰りは決まった場所までグループで先生に送ってもらい、母親が迎えに来てくれたような気がする。

そんな毎日だったのに、その日は何故一人で歩いていたのか思い出せないけど・・・。

確か小学校の横の道。
ねこ吉はドブ川だと思っていたけど、側溝ではなかったかと思う。柵も無くて危なくて今なら考えられないわ。
小さな子供だったせいか、大きくて深くてハマったら大変と思っていた。


そのドブ川に沿って、毎月もらうチャイルドブックを小脇に抱えて家に帰ろうとしていた。

向こうから自転車に乗ったオッちゃんが来た。

ねこ吉が右によけると自転車も右。
左によけると自転車も左。

どっちに行ったらいいのか判らず走ったら、オッちゃんはそのままドブ川に自転車と一緒に突っ込んだ。

多分、ねこ吉は呆然としていたと思う。

その内お巡りさんもやって来て、オッちゃんと自転車を引き上げていた。
ドロドロのオッちゃんが這い上がって来た。

オッちゃんの救助に忙しく、怪我もしていないねこ吉に気付いてなかった様子。

「オッちゃん、生きてはるわ。」ホッとしたねこ吉はそのまま家に帰った。

家でチャイルドブックを開いたら、紙で出来た緋鯉が一枚入ってた。

当然、緋鯉と真鯉が入ってると思ったねこ吉は、「あそこで落としたんや。」と母親に言い、

母親は探しに行ってくれ、無かったので幼稚園の先生に「真鯉が入っていなかった。」と言いに行き・・・。

帰ってきた母親は、「初めから緋鯉しか入ってなかったんやて。」といった。

この年になっても、何で緋鯉だけだったのか納得がいかない。

そして、オッちゃんすいませんでした。
泥だらけになってどうやって家に帰りはったんやろ?

60年以上前の話である。





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ミルキーを買った。

2018-12-11 22:12:44 | 思い出
土曜日、不二家の商品を一杯並べて、ペコちゃんが販売促進のためにスーパーの店頭に来ていた。
小さな子と一緒に写真を撮っていた。

「どうぞ、ご一緒に。」と言われたけど、さすがにババアは遠慮した。

ペコちゃんだけ撮らせてもらった。

ミルキー、懐かしいなぁ・・・。
缶入り練乳と同じ味だ。

よく練乳を舐めていた子どもだったから、ミルキーも好きだった。

小学生の時だったか、棒状のミルキーを買ったことがあってペロペロ舐めていたら、当時飼っていた猫が異常に欲しがって、ねこ吉に登って来た。

口元まで登ってきて困った。



今日、スーパーに行ったら、ミルキーがワゴンに一杯あった。
よく見たら、色んな顔があった。
笑っている顔、目が寄っている顔、舌が反対の顔。

ねこ吉は定番の上段の真ん中のペコちゃんを買った。

ホントは、こういうキャンディを食べることを歯医者さんに禁止されている。

歯の詰め物がとれるといけないので舐めていた。

そして、ペコちゃん、不二家の事をいろいろ思い出した。


ねこ吉が小学校2年生くらいの頃、父親がテレビのコマーシャル関係の仕事をしていた。
当時はテレビの創成期だったのではないかと思う。
確か、関西テレビ開局記念の記念品、8の字のついたスプーンが家にあった。

日曜の7時半から始まる漫画「ポパイ」は、不二家の提供だった。
家にテレビが無かったので、父親は会社の事務所まで行って不二家のコマーシャルをカメラで写していた。

テレビが見られるので、電車に乗ってねこ吉もついて行く。
阪神電車を梅田の手前で降りていたようだから、会社は福島辺りにあったようだ。

事務所は、いつも誰もいなかった。

ついたら、「やりくりアパート」をやっていた。
佐々十郎と大村崑、ダイハツのミゼットという自動車のコマーシャルをやっていた。
ドタバタ喜劇だったんじゃないかな。

それが終わると、武田薬品提供の「月光仮面」が始まる。
サタンの爪が怖くて、あまり見てなかった。

タケダ、タケダ、タケダァ~。というコマーシャルは今も覚えている。

それが終わると、不二家提供の「ポパイ」が始まる。
父親は三脚を立てて写真を撮っていた。

ねこ吉は漫画を見て笑ってた。

確か、それが終わると、谷内六郎の絵が表紙の週刊新潮「週刊新潮は明日発売です。」というコマーシャルがあったような気がする。

「赤とんぼ」のメロディが流れて、父親が事務所の鍵をかけて、家に帰るのである。

毎週行っていたのか、隔週だったのか思い出せないけど・・・。

たまに不二家から、ミルキーや、当時あった「フランスキャラメル」を1カートン?頂いた。

押入れにしまわれて、毎日1個もらって食べた。

嬉しかった、美味しかった。

今はもう無い「フランスキャラメル」あの味、忘れられない。



ネット検索したら「フランスキャラメルの写真が出てきた。
便利な世の中だわ。

ミルキーを一袋買って、ねこ吉は昔の事を一杯思い出した。

最近、酷いもの忘れで自分が怖い。
脳みそがカスカスに乾いている気がする。

不思議なことに思い出が詰まっている場所には、泉が湧き出ているんだろうか・・・・。

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思い出上書き保存

2018-09-09 20:12:34 | 思い出
昨日は、叔父の100歳の誕生日を祝う会があった。

叔父さん、お誕生日おめでとうございます。
ねこ吉は小さい時からお世話になりました。本当に有難うございました。

従兄、従姉、従妹たち。

何十年ぶりに会う人もいた。

皆、年より若く見える。
主役の叔父さんも、とても100歳には見えない。

叔母さんの妹さんは、毎日折り紙で鶴を折り、千羽になったら人にプレゼントしてるって!
手先を動かすということが、如何に大事かということやね。

もう一人の叔母さんの妹さんは、つい最近まで喫茶店をしてたって!
毎日人と接して、お喋りすることが大事なんだね。

先日、「遠い、遠い思い出」を書いたときの田舎の話が出た。
従兄や従姉は、ねこ吉よりも年上だから、より鮮明に田舎の事を覚えている。

ねこ吉は、詳しく聞いて田舎の思い出を共有して、上書き保存した。

思い出話に花が咲く。

昔、従兄、従姉が小学校のの夏休みに、ねこ吉の家に泊りがけで遊びに来た。
あんな狭い家に、どうやって寝ていたんだろうと、思い出せないねこ吉である。

加古川の従兄が、「尼崎で飲んだ冷やし飴が美味しかったなぁ。やかん持って買いに行った。」と言った。
従姉も冷やし飴を飲んだことは、よく覚えているって!
ねこ吉は、高校生になってもやかんを持って買いに行ったわ。

確か、ナイス市場の入り口のお饅頭を売る店で、冷やし飴は売っていた。
店の名前は、「まるみや」
その店のおじさんは、日本舞踊をやっていて、文化会館で黒田節を踊った。
メイクした顔は、高田浩吉にちょっと似ていた。

そのナイス市場は数年前に取り壊された。

ねこ吉は尼崎に行ったら、冷やし飴を人目もはばからず立ち飲みしていたけど、その楽しみも無くなってしまった。

従兄は親戚の家の間取りや、庭の風景をよく覚えていた。
ねこ吉は、そういう事はほとんど覚えていない。

脳裏に浮かぶのは、ご馳走になった当時珍しいお料理、お菓子ばかり。総天然色?で思い出す。

どれだけ食い意地がはってるんだろ・・・。

部屋には従姉が作ったお洒落なガーランドが飾られ、壁には、昨日出席した人たちの懐かしい、懐かしい写真を大きく引き伸ばして貼ってあった。何て素敵な思い付きでしょう。
もちろん、幼い頃のねこ吉も写っていた。

うちのアルバムにはない写真ばかり。
ねこ吉がスマホで写真を撮っていたら、従弟が、「データを送ろうか?」と言ってくれアドレスを書いて来た。

寝る前にはパソコンに画像付きのメールが送られてきた。

仕事が早いね。どうも有難うございます。
ダウンロードして、「思い出」と名付けたファイルに保存した。
嬉しいです。



楽しい時間は、超高速で過ぎて行く。
名残惜しいけど、また会う日まで・・・。

叔父さん、いつまでもお元気で。

四条烏丸から帰ります。
運よく、ちょうど来た「京トレイン」に乗る事ができた。

昨夜は興奮未だ覚めやらず・・・。
なかなか寝付けなかった。

ブログを書こうにも、何から書いたらいいのだろう・・・。
日々ボキャブラリーを無くしていくし・・・。

昨日会った人、皆若い。

ねこ吉も、この夏の暑さですっかりバテて落ち込んでいたけど、stay young で頑張るわ。






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遠い、遠い記憶

2018-09-02 10:08:19 | 思い出
ついさっき手に持っていた物を、何処かに置いて狭い家の中を探し回る。
そんな自分が情けなく・・・。

物忘れとは、近い過去を忘れるものだと気がついたのは数年前。
「結構、昔の事は覚えている。」と自信を持っていたねこ吉も、その内、遠い過去も思い出せなくなるんだろう・・・。

書いておけば、思い出すよすがにはなるはず・・・。
今朝、突然思い出した遠い、遠い昔の事を慌てて書き留めておこう。

ねこ吉の母の実家は岡山の津山の近くにあった。山あり、川ありの田舎だった。
3,4歳?4,5歳?母に連れられて、多分、三ノ宮からデゴイチのような蒸気機関車に乗って帰省した。
およそ、63,4年前かな。

三ノ宮駅で、白いチマチョゴリを着て、先をつまんだような変わった靴を履き、髪を真ん中で分けた人を見て、「母が朝鮮(韓国?)の人よ。」と教えてくれた。

車内に物悲しいメロディーが流れると、通路を白い着物?を着てカーキ色の帽子を被った傷痍軍人の人たちがアコーディオンを持って通るのが怖かった。

父も一緒に帰省した時は、「トンネルに入るとススが顔につく。」と言って、慌てて父が窓を閉めていたことを思い出す。

以前ブログに書いたけど、汽車の中で見知らぬおじさんの駅弁のピンクに緑の線が入ったかまぼこをもらって、母に恥をかかせたこともある。



田舎の家には、お祖父さんとお祖母さんがいた。

お祖父さんが、生みたての卵に釘で穴を開けた物をくれた。
最初は白身ばかりで美味しくなかったけど・・・。

川で取った鰻を蒲焼にしていたけど、ねこ吉は食べさせてもらわなかったな。

ある日、散髪屋に行くことになって、母におんぶされて田んぼの近くを歩いていた。
田んぼには水が入っていた。

遠くに丸いものが動いていた。母に聞くと、「あれは、蛇が泳いでいるのよ。」と教えてくれた。
散髪屋でもらった砂糖の塊りのようなメレンゲのお菓子。白、水色、ピンク、黄色。
何年か前、何処かで売っているのを見かけたな。

お祖母さんが亡くなって、葬儀の時は丸い棺桶だった。

座敷から外を見てたら、遠くに貨物列車が丸太を積んで走っていたような・・・。

何処までがねこ吉の記憶か、夢で見たことなのか・・・。

全てにしっかり色がついている。

心理学講座で習ったけど、人は色で記憶する人、音で記憶する人、身体で記憶する人がいるらしい。

ねこ吉は、色で記憶する人らしい。





(すいません、検索した画像お借りします。)


追記

パソコンに、「メレンゲ 駄菓子」と入力、画像検索。

わぁ~、このお菓子や。

フローレットとか、五色バナナとかいう名のお菓子だそうです。
瞬時にして、調べ物が出来る有難さ・・・。





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追悼 西城秀樹さん

2018-05-17 18:33:45 | 思い出
(あえて、秀樹の若い頃の写真を・・・。)

5月10日、美容院が休みでパーマがかけられなかった。
かなり、ボサボサの頭で過ごしていたけど、やっと今日パーマをかけた。

いつもならあさイチでいくのに、午前中は歯医者の予約があって、珍しく午後からいったので、帰って来たのは3時過ぎ。

家に帰って、パソコンのスイッチを入れた。

立ち上がったYahoo!の画面には、「西城秀樹さん、死去」のニュース。
63歳だって!

「2度の脳梗塞、それでも頑張って、歌っている。」と、そんなニュースも見たことがあった。


1972年デビューして、「情熱の嵐」「君よ抱かれて熱くなれ」「ブーツを脱いで朝食を」など etc...
「夜のヒットスタジオ」など、よく見ていた。

当時新御三家といわれた郷ひろみ、野口五郎、西城秀樹。
3人の中では、ねこ吉は西城秀樹のファンだった。

ドラマ「寺内貫太郎一家」では、樹木希林との掛け合いが楽しくて毎週見ていた。
会社の昼休み、ドラマの感想を喋りながら、「ヒデキ可愛いね。」とか・・・。

「ヒデキ感激!」でおなじみのハウスバーモントカレーのCMも・・・。


会社の先輩たち、3人で何度か神戸国際会館にコンサートを見に行った。

客席から「ヒデキィ~!」と叫んだ。

1979年、「YMCA」では、客席で踊った。

秀樹も若かったけど、ねこ吉も若かった。

訃報を聞いてから、YouTubeのミックスリストをBGMにかけながら、夕飯の支度をしている。

ご冥福をお祈ります。

追記

テレビ各局で、西城秀樹が亡くなったニュースを伝えている。

懐かしい歌が流れ、若々しい当時のヒデキのVTRが流れてる。

「ブーメラン、ブーメラン、きっと貴方は戻ってくるだろうォ~。」ブーメランストリートの一節。
戻ってこられればいいのにね。



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思い出の箱の蓋が開いた!

2018-04-10 20:32:58 | 思い出
(ラナンキュラス、花びらぎっしり、みっちり・・・。花屋の店先で。)

今日は、三宮でAさんとランチ。

昨年11月の同窓会で出会って、M先生宅に一緒に伺い、その後もすっかり友達にしてもらって、メールのやり取りをしている。

前回1月25日三宮でランチして、風月堂であんみつを食べ、食べるのがのろいねこ吉を残して仕事に行ったAさん。

今日は、「」でランチ。
長くしゃべれるし、デザートもドリンクもバイキングだし・・・。

ねこ吉も出来るだけ早く食べたよ。

何しろ、Aさんとねこ吉は、中学、高校が同じ。
一度も同じクラスになったことはなかったけど・・・。

たくさんの人と積極的につながり、学生時代の友達と今も付き合っているAさんに比べて、ねこ吉は、中学時代の友人一人としか付き合ってこなかった。
高校の同級生がミクシで見つかったけど、その人は東北に引っ越し、病気で去年亡くなってしまった。


今日は、中学校と高校のクラス写真を持っていった。

見ながら、色んな人の思い出話や、今どうしてるか?を聞いた。大変な人生を送ってきた人もいたようだ。
友達が少なかったねこ吉は、人の表面しか見ていなかった。

長所も短所も併せ呑み、友達を作ろうとしなかった。

性格のきつそうな人、愛想の無い人、そんな人とは一度も話をしたこともないまま卒業してしまった。


心の中の学生時代の思い出の箱、ねこ吉は今まで蓋を閉めていたけど、11月以来、パカッ!音を立てて蓋が開いた。
色々話しているうちに思い出が堰を切って溢れだした。



今日もAさんは、ランチの後仕事に行った。お気をつけて。
ねこ吉と旅行に行く約束もした。これからもよろしくね。


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ああ、四月・・・。

2018-04-01 20:34:51 | 思い出
今日から四月。何て日の経つのが早いの!

もう、毎年同じことを書いて言い古されて、他にぴったりの言い方は無いのかしら・・・。
日々、ボキャブラリーが減っていくねこ吉は、毎度同じようなブログを書いていて情けなくなってしまう。


上の写真は、駅前のお家のモクレン。

このお家は、ねこ吉が遥か昔一人暮らしをこの街で始めたときからあった。
女性ばかり4人が住んでいた木造アパート、会社員2人、大学生2人。
一部屋に集まって、テレビを見たり、ケーキを食べたり・・・。女子寮みたいだった。
給料日にはケーキをご馳走したこともあったなぁ・・・。

このお家の前の道は、ねこ吉の通勤路だった。ハイヒールを履いて、よく走っていたなぁ・・・。

今はスニーカーでも、走るのはしんどい。



モクレンの隣にはライラックが咲いている。

今日は西宮ガーデンズに娘と行くのに駅で待ち合わせ。
電車のホームには、桜の花びらがヒラヒラ舞っている。

近くには桜の木が無いのに、花びらは何処からやって来たの?



何時までも寒い、寒いと思っていたら、いつの間にか桜は満開。

そして、今日は、もう散り始めてる。

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