ねこ吉のよしなしごと

どうでもいい事ばかり書いていますが・・・。すっかり備忘録になってます。

叔父さん、有難うございました。

2023-10-28 18:52:44 | 思い出


昨日は、京都に住む叔父のお葬式でした。
9月24日に、105歳になったばかりでした。

9月26日に、「いとこ会」をして、叔父さんの住む施設に皆で会いに行く予定だったのですが、誕生日前に急に体調を崩し、「いとこ会」は中止になりました。



9月30日のブログ「話題のモンブラン」は、26日に叔父の子供3人、いとこ3人がお見舞いに行き、施設の近くのエクシブ京都八瀬離宮でモンブランをご馳走になった時の話です。
叔父がご馳走してくれたんです。

コロナのためにお見舞いに制限がありましたが、15分ほど叔父に会いました。
叔父はパジャマ姿でも、胸のポケットには手帳を入れ腕時計をしていました。
毎日、今日は何日かの確認を欠かさなかったそうです。

耳が遠かったので筆談だったけど、みんなのことはしっかり判って、部屋を出る前には握手をしました。
握り返してくれた手は、力強かったです。

家族に、「来年の手帳を買っておいて。」と言ったそうです。



ねこ吉は、叔父には生まれたときからお世話になっています。

ねこ吉は、思いがけず生まれた双子の長女なんです。
心音が重なっていたとかで、先生も気づかず後産だと思ったらねこ吉が生まれてきたそうです。
ねこ吉が、今までブログに書いている母は、本当は実父の姉で伯母なんです。
そして、実父の兄が、京都の叔父です。

1人でも大変な育児だったでしょうから、実母は、「育てられない。」と京都の叔父の家にねこ吉を連れてきたそうです。
叔父は後年、ねこ吉に、「可哀想だったなぁ。」と涙をこぼしてくれました。

ねこ吉は8カ月まで、京都の叔母や、岡山の実家で育てられたそうです。

実父の姉に子供がいなかったので養女になって、20歳になるまで、ねこ吉は出生の秘密?も知らずに尼崎の家で育ちました。
養母は58歳で亡くなり、実父は、63歳で亡くなりました。

まだ、出生の秘密?については、書きたいことは山ほどありますが、今日はこのぐらいにしておきます。
色々な思いで息が詰まってしまいそうなんです。
では、書かなければいいのですが、書かなければねこ吉がどんなに叔父に助けてもらったかが判らないと思うので・・・。



養父が再婚するのと同時にねこ吉は家を出て、神戸で一人暮らしを始めました。
当時結婚前の娘が一人暮らしをするというのは、世間はよく思わない時代でした。
叔父、叔母、実父がアドバイスをくれ、全てを手伝ってくれました。

叔父に、「これからも相談にも乗るし、困ったときは助けるけど、どうするかを決めるのはアンタやで。」と言われました。
母を亡くして途方にくれていたけど、叔父の言葉をしっかり守ってこの年まで生きてきたつもりです。

実母は?と思われるでしょ。実母は3年前に亡くなりました。
優しい言葉をかけてもらったことも一度も無いし、助けてもらったこともありません。
実父の仏壇にお参りに行ったら、突然怒り出し家を追い出されました。

そんな実母のDNAを受け継いでいる自分が悲しいです。



「心配、迷惑をかけないで生きていく。」そう思っていたのに、阪神大震災に遭い、また叔父に世話になってしまったんです。
たぬ吉の甲子園の実家にねこ吉達が避難しているところに、京都からリュックに食べ物を詰めて、西宮北口から瓦礫の中を歩いて来てくれました。
当時、叔父は77歳だったと思います。

何日もお風呂に入っていなかったねこ吉と子どもを京都の家に連れ帰りお風呂に入れてくれました。

本当に有難かった。
養母、実父の分も、ねこ吉を心配し気にかけてくれました。

他にも書ききれないくらいお世話になったんです。

叔父さん、長い間有難うございました。

素晴らしい叔父さんでした。ねこ吉自慢の叔父さんでした。

追記

叔父さんは、歌手の藤山一郎に似てました。


→「長崎の鐘 藤山一郎


にほんブログ村 にほんブログ村へにほんブログ村



最新の画像もっと見る