いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

現実的政治論。 realistic politics

2011-08-14 19:33:19 | 日記
 (1)政治、経済、生活に今何が必要構成要件なのかと、それがそれまでの政治、政策、社会の流れと相容れないものであった時にどうするのか、どう判断するのかの問題提起であった。
 2年前に国民生活第一、政治主導のマニフェストを掲げて、圧倒的な支持を受けて本格的政権交代を果たした民主党政権が、その後マニフェストの裏付けとなる財源不足、政策準備不足が露呈して行き詰まり、結局勝手にマニフェストの中止、見直し、後退を決めて、最後は自らマニフェストを否定してみせて野党に譲歩し協力のもとに政権を維持しようという構図だ。

 (2)メディアの問題提起は「ばらまき施策を全部やるには財源が足りないことも、震災復興にみんなが等しく負担を分け合う必要があることも国民にはちゃんとわかっている。」、「選挙の時に何を言ったかも大事だが、世界の現実は日々動く、政策優先順位は変化する。」というものだ。

 国民の「政権選択」の「基準」を無力化して、政策力は問わない人気投票のように好みにあわせて選んだ中身を問わない政権に無条件で好き勝手にやってもらうことが(せめても国内外情勢に敏感に調整能力ぐらいは期待して)、「現実的(realistic)」な政治理念の基本として大切であるとでも言いたいのか。
 日本の政治風土を高く買いすぎている。現実にそぐわない理想(原理)主義を批判したいのはわかる。

 (3)民主党のマニフェスト崩壊、自らマニフェストを否定してみせる政権の「統治能力(governance)」の欠如は明らかだ。政治が理念、政策、理想主義を掲げて、国民主権の信頼、信認を受けて応えて政権担当する構図は、その後の政策力「約束」を実行できる政権能力があったのかの重要な国民判断の試金石として政治判断、責任の取り方にも重要なアイテムだ。

 その確認もなしに、できる政策データもなしにどんな政権でもいいから現実的に対応できる現実的政治が必要なのだというメディアの問題提起には驚き、賛成できない。
 国民選択に応える「政治責任」は重い。国民に約束したことが政策が実行できない理由、背景は何かの分析、検証、説明もなしに、約束したこととは異質の現実的政治に勝手に上手に「同化(assimilation)」することが政治にふさわしく必要だとは思わない。

 (4)「おきて破り(自らのマニフェスト否定)」の政治は、本来は国民に再度理念、政策、理想を提示して信を問うことが大前提だ。
 震災復興のため解散総選挙が現実的でないなら、総辞職のうえ全国会をあげての選挙管理内閣、復興改革内閣をワンステップ入れるべき政治状況の中だ。

 メディアの問題提起は、結果として国民からかけ離れた内閣、国会だけの政治理念(かっての既得権・密室政治)を擁護し、国民主権(選択能力)を無視した「現実的政治(realistic politics)」だ。

 日本の政治未成熟だからと言って、国民の選択権、自由権を無力化させてはいけない。メディアは議院内閣制の成熟先進国のイギリスを例に、現実的政治の正当性を主張するが、政治ではなくて「政治家」を育ててこなかった政治風土、日本全体の責任は重い。

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