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いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

団交政治。 collective bargaining politics

2024-09-13 20:33:31 | 日記
 (1)首相の政治信条、信念として自らの理念、理想、思想、政策を「断行」する型と周囲の政治状況を配慮してそれぞれの考え、政策を寄せ集めて「挙党一致」型がある。かっての自民党長期政権は派閥政治といわれて派閥の代表(長)が影響力、政治勢力、権力を維持していて、自らの意向により首相をつくりあげて政府の方針、政策を進める派閥力学政治が主流で大手を振っていた。

 (2)近年では若くして首相に就任した安倍首相の第1次政権では「お友達内閣」とヤユされて知人、友人で固めた閣僚内閣で適材適所とはいかずに不安定で短命政権に終わり、安倍第2次政権ではその時の反省から覚悟を決めて自らが進める政策を確実に実行することにこだわり、7年半という戦後最長の長期政権を維持した。

 (3)長く続いたデフレ脱却、、経済成長を目指して当時学説的に少数派だったリフレ派の黒田東彦氏を日銀総裁に起用して当時のカネの2倍を市場に供給して大規模金融緩和策を実施して、日銀は中央銀行としては掟破りの政府の国債を大量に買い込んで政府の財政、予算放漫政策を支えて、円安、株高を生んで、大企業、富裕層の増益につなげた。

 (4)アベノミクスといわれるもので、当時安倍首相も大企業が好調で企業利益が増えて中小企業、地方、国民に利益がしたたり落ちる(トリクルダウン)効果を説いた。日銀の大規模金融緩和は黒田総裁が物価上昇2%達成を目標にしてこだわり10年間続いたが、実現は遠く及ばないものだった。
 大規模金融緩和は欧米との金利格差による円安により輸入価格の高騰を招いて経済格差社会の副作用を深めて、当初は一定の効果もあった大規模金融緩和の出口論が指摘されながら10年が過ぎた。

 (5)その後の菅政権の後を引き継いだ岸田首相は、アベノミクス(大企業、富裕層優遇政策)の反省から新しい資本主義、成長と分配の好循環による厚い中間層をつくる政策を掲げたが、賃上げが進まずに物価高が国民生活を苦しめて次第に安倍元首相の成長論に傾いていき、政府会議はすれども成長と分配の好循環は具体策も示せずに実現できずに1期3年で首相交代となった。

 (6)岸田首相は自らの信念、理念、政策を貫きとおすことができずに、当時の岸田派党内第4派閥から第1派閥安倍派などに配慮しての方針、政策転換となった。今、自民党裏金問題で派閥解消が進み、その影響とみられる総裁選立候補者も9人と多数になり、新総裁、首相になって方針、政策、閣僚指名、内閣、党本部構成がやはりこれまでと違って変わるのか、団交政治(collective bargaining politics)を見極めたい。

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